見出し画像

あったことをなかったことにされるということ(遅れてきた『ののの』ファンです)

私、遅ればせながら、いまごろなんですけど、『ののの』でデビューされた太田さんのファンです。もっと早く知りたかった、そしたらもっといろんなイベントに参加できたのに、と思いますが、まぁ仕方ないですね。下にも書いていますが、昔、筒井康隆さんのファンになったとき、SFファンの方とのイベントが楽しそうでもっと早く生まれてきたかったと思いましたが、それと同じで時間は戻りませんので……。(もっともその後、交流する機会に恵まれました。逆にファンのすごさと熱量に圧倒されました)

『ののの』読んでびっくりして、それでいろんなイベントされたりZINE作られてることも知って。

 実はODD ZINEも、vol.7去年見てて、千葉から西荻まで買いに行ったりしてたんですが、あ、この方なのかと、点と点が繋がったような感じでしたね。それで<文章とか企画などについてのよろず相談室>に行って、完全にこれはすごい人だとファンになりました。

過去の作品とかインタビューをかき集めて読んだりしています。そしてそこからまた世界が広がっていくのでとても楽しいです。(中高時代、筒井康隆さんの大ファンで、筒井さんがおすすめするものはなんでも読んだりしていました。対談とかも線を引きながら読み込んでいました。あの感じに近いです)

タイトルに書いた言葉をどこかで読んだなあと思って、でも出典がどこだったかわからなくなり、発見できて良かったです。

とはいえ、私はこのイベントを聞いてないので文脈とか場の雰囲気がわからないのでセリフごと引用すると以下のような言葉になります。

太田さん:「割にあわないことをやっているな、という思いはあるけど、自分の哲学や思想が端的に出ているのが小説なんだと思う。『ののの』は、あったことをなかったことにされるのが我慢ならないという気持ちで書いた。」

もっとも自分もライターというか少しですがインタビュアーしたことあるのでわかりますが、話したことまるまるなんて載せられませんし、場合によっては話したことそのままじゃなかったりすることもあるので、こういうふうに一個だけ取り出すのってどうかなと思うんですが、なんかすごい印象に残った言葉なのでここに載せました。

他にも気になる言葉がいくつかあってこの記事ではないんですが、『ののの』刊行されてすぐくらいと思いますが 「神楽坂『かもめブックス』さん(https://twitter.com/kamome_books)で『ののの』フェアを展開して頂いてます」とありまして(2020年10月11日に投稿されたもの https://twitter.com/ohta_yasuhisa/status/1315294146567962624?s=20&t=D6_6-E7wRYXt22zRY8YzoA)、写真から察するにどうやらこの作品にかかわりのある小説等が展示されてたようです(刊行記念選書フェアと書いてあります)。それで個々の書影はわかるのですが、その下におそらく筆者の太田さんが書かれたのではないかと推測する言葉があるのです。ぎりぎり読めるような読めないようなもどかしい感じです。まぁ、でもいいんです。と、いいつつ拡大して読んだものもあり(拡大しすぎると逆にわからんくなるのでその拡大具合が微妙)、その言葉のひとつにまた衝撃を受けました。文字の解読が誤っていたら申し訳ないのですが、

「気まぐれな運命に守られながら、人は自分の身体や感情を自分のものと勘違いして日々を生きている。誰かのことや世界のことを知りたいと思う時、初めてその違和感に気づくのだろう。この身体も感情も少しも思い通りにはならないということを。」(かぜまち/年上のひと)

確かによくよく考えると身体なんかは本当に思い通りにならないんですけど、感情だけは自分のものってこの年になっても思ってたんですが、そうか違うのかって。がつんと来ました。

ってそれだけのnoteで恐縮なんですけど。過去のツイッターの記事を掘り起こすのも、なかなか大変で、ここに書かせていただきました。

タイトルに書いた言葉もなんにでもあてはまりそうで、あてはまらないようで、『ののの』に描かれた「あったことをなかったことにされるのが我慢できない」の正体ってなんだろうっていろいろ考えてみたりするのですが読書会で話したり人の話をたくさん聞いたりしてみたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?