完全に推しだけしか見えていない藍島さんが、世界で一番の小説家になるまで 1
あらすじ
Web小説に幼いころから慣れ親しんでいる俺は、小6から小説投稿サイトを使い続けて利用歴は約5年。高校では幽霊部員だらけの文芸部に所属しWeb小説の読み書きに励んでいるから当然、友人も少なく仄暗い青春を過ごしていた。
しかしある日突然、同学年のアイドルオタクの女子が小説投稿のやり方を教えてほしいと俺に頼んでくる。
渋々要求を受け入れる俺は、彼女がいずれノーベル賞作家になることを知らなかった。
それは推しごとかお仕事か。社会人になっても終わらない青春ラブコメディ開幕。
1 静かな日々との別れ
4月も半ばを過ぎた、よく晴れた日の放課後。
知多半島の西北端の高校に通う文芸部員の俺は、部室である資料室で机に突っ伏して寝ていた。
他にも部員はいるが皆幽霊部員なので、使われない備品だらけの部屋にいるのは俺だけだ。
別に昼寝をするだけなら帰宅してもいいのだが、俺はグラウンドで練習している運動部の掛け声を聞きながら寝るのが好きだった。
外には汗を流し青春を謳歌している生徒たちがいる一方で、自分は狭く汚い部室で一人昼寝をしている。その落差に身を置くのが逆に気持ちが良いのだ。
(野球部は、走り込みが終わったみたいだな……)
外の音の様子で時間の経過を感じながら、俺はうとうとと心地のよく眠気の中に居続ける。春の午後の日差しに暖められた部屋にいると、無限に寝ていられそうな気がしていた。
しかし完全に寝入りそうになったところで、突然大きな物音が部室内に鳴り響く。
それは部屋の出入り口にある引き戸が、勢いよく開け放たれた音だった。
「3組の与村《よみ》って、ここにいる? ちょっと用があるんだけど」
与村というのは俺の名字で、声の持ち主は誰かはわからないが女子のようだ。
(一体なんなんだ、急に)
急に女子に自分の名字を呼ばれるのは、日陰に生きる俺には不安を呼び起こすことでしかない。混乱しつつも顔を上げると、そこにはスマホを手にした一人の少女が立っていた。
透明感のあるロングの黒髪に、繊細なまつ毛に縁取られた二重の目元。
すらりとした細身にこの高校の制服である古典的なセーラー服がよく似合う彼女は、2年1組の藍島まほあ。
クラスメイトの名前も満足に覚えきれない俺でも名前を知っているほどに、校内でも随一の美少女と評判の高い女子生徒だ。
(なぜこいつが、この部室に?)
無言のまま俺は、藍島の綺麗で可愛らしい雰囲気の顔を見る。
ぱっとしないやせぎすの眼鏡男である自分に、女子が何の用があるのか見当もつかない。
しかし俺の困惑をよそに藍島は部室内にずんずんと入り込み、俺の前までやってきて話しかけてきた。
「あなたが、3組の与村だよね」
「ああ」
「スマホでいつも何かを書いているっていう」
「小説投稿サイトのことを言っているなら、それなりには使っているな」
令和の文学青年を自称する俺は、自分の時間のほとんどをWeb小説の読み書きに割いていて、今使っているサイトはプレオープンした小学校五年生のころからお世話になっている。
そのことは別に隠してはいないので、藍島が誰かから聞いてもおかしくはない。
「その小説投稿サイトってやつに詳しい与村に、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
質問に俺が受け答えると、藍島は有無を言わさない圧のある態度でスマホの画面を突きつけた。
「私、このサイトでやってる『ワケもなく悪い男の小説大賞』っていう、審査員がJapan Knightsのモツヒサくんで受賞作を朗読してくれるコンテストに応募したいんだよね。私は初心者だから、与村が投稿サイトの使い方を教えてくれない?」
そう言って藍島が俺に見せてきたのは、俺が普段使っているサイトとは違う、黒とピンクを基調にしたデザインがお洒落な女性向けの小説投稿サイトのTOP画面だった。
Japan Knightsというのは、大手事務所が大々的にデビューさせたわりに売り上げが芳しくないと評判の、新人男性アイドルグループの名前である。どうやらその女性向けのサイトでは、新規ユーザーを増やすためにアイドルとのコラボのような華やかな企画も行われているらしい。
(結構いろんなイベントがあるんだな。運営の注目作品ピックアップの更新も頻繁なようだし)
普段使っているサイトとは雰囲気がまったく違う、ガーリーな画像がずらりと並ぶそのサイトを、俺は興味深く観察した。
一方の藍島は、天使のような姿とは不釣り合いな熱っぽい早口で話し続ける。
「私、小説なんか書いたことないんだけど、地下アイドル時代からモツヒサくんのこと見てるから、絶対にモツヒサくんに朗読してもらう価値のあるものが完成すると思うんだよね。モツヒサくんの趣味が読書だから、私もなるべくモツヒサくんが読んだって言ってた本は読むようにしてきたし。モツヒサくんはね、実は結構読書家なんだよ。バラエティ番組ではややうざいお調子者のキャラなんだけど、握手会にいるときの素の姿はすごく物静かで思慮深い雰囲気の人で、そのギャップがまた……」
こうして「推し」への愛を語る藍島の瞳には、危なそうな光が宿っていた。
実のところ、藍島まほあはかなりの美少女なのだが、男子生徒の憧れの的にはまったくなってはいない。
なぜなら彼女は可憐な外見に反して性格がきつく、そしてその「モツヒサくん」という男性アイドルの熱狂的なファンとして学校中によく知られているのだ。
(俺にある用事っていうのもその、男アイドル絡みのことだったんだな)
相手の意図を把握はできた俺は、言いがかりや苦情ではなくて良かったとほっとする。
「でも俺、自分の小説書くのに忙しいから……」
「オッケー。じゃあ今から私、ここでモツヒサくんがなぜ最強のアイドルであるかについてプレゼンするね」
藍島とは関わり合いになりたくない俺は、適当に理由をつけて断ろうとした。
しかし藍島は一向に人の話を聞かず、スマホの画面を切り替えてそのアイドルの楽曲のMVを流そうとし始める。
「モツヒサくんの素晴らしさがわかれば、与村もきっと私に協力してくれると思うんだ。モツヒサくんは変顔も得意だけど黙っていればウルトラ美形で、歌もめちゃめちゃ上手いんだよ。まずこのデビュー曲のモツヒサくんの歌声を聞いてほしんだけど、初っ端から出してくるアイドルらしからぬ低音グロウルがエグくて……」
その圧の強さに観念した俺は、藍島が動画サイトのプレイボタンを押してしまう前に、渋々要求を承諾した。
「わかった。わかる範囲でよければ、見てはみる」
「あ、それじゃアカウントを作ってここからどうすればいいのかわかんないから、説明よろしく」
俺が手短に返事をすると、藍島は一旦推しについて語るのを止めた。
そしてサイトの上部に表示されていたアイコンをタップし、作者向けのマイページを開いてにっこりとほほ笑む。
藍島の表情は半端なく可愛らしく、魅力的だった。
だがその笑顔が売れない男アイドルを愛しているからこそのものであることを知っているので、俺は恋に落ちたりはしなかった。
もしかすると、藍島に投稿サイトの使い方を教えるのは、今日一日では終わらないのかもしれない。
だが何度藍島に頼りにされたとしても、きっと俺はヘルプページ以上の扱いを受けることはないだろう。
俺は直観で、そう悟っていた。
しかし藍島がいずれノーベル賞作家になる人物であることは、そのときの俺にはわかるはずもないことであった。
2 講義初回
一応は美少女である藍島と二人っきりで向かい合って座っていても、自分の置かれた状況をよくわかっている俺は冷静なままだった。
「じゃあまず、やるべきなのは……」
まず藍島が登録したらしい小説投稿サイトの名前を検索した俺は、適当にTOPページに表示されている人気作家らしきアカウントのプロフィールページをいくつか見て、自分が使っている投稿サイトとの違いを確認しようとした。
俺が普段使っている小説投稿サイトは書籍化やコミカライズを達成した作品の宣伝広告以外はイラストがなく、一般ユーザーのプロフィールには文字情報しか並んでいない。
しかし今現在、スマホの画面に表示されているお洒落で可愛らしい女性向け小説投稿サイトの作者たちのプロフィールページには、少女漫画ちっくなイラストやパステルカラーが綺麗な写真を使ったアイコンやヘッダーが並んでいて、自己紹介欄の文章も当然だが女の子らしいものばかりである。
(『切ない恋愛を書きます。最後はちゃんとハッピーになる話が好きです』『胸キュンしてもらえるようにがんばります』か……。なんかキラキラしてるなあ)
程よく洗練されたTOPページの奥に隠されている女子の秘密めいた文化の世界の香りに、俺は来てはいけない場所に来てしまったような気持ちになって画面をスクロールする指を震わせた。
俺が好んで書いて読むのはSFロボット活劇や古き良き異能バトルであって、不幸そうな少女がいけ好かない不良やヤクザに可愛がられる話はNTRものを目にしたときのような気まずさを感じる。
しかし藍島は推し以外のことには無頓着で鈍感な女子高生であるので、「溺愛」や「逆ハー」といったタグが並んでいるページを男子高校生が閲覧して居たたまれなくなっていても平然としていた。
藍島は俺が小説投稿サイトの作法を教えてくれるのを待って、机の上にスマホを載せて妙な熱意に輝く瞳でこちらを見ている。
他者から期待される機会がほとんどないから戸惑うが、俺は何か言うべきことを探した。
(まあどんな投稿サイトでも、まずペンネームを登録するものだよな。コンテストのためならなおさら、名無しじゃ印象悪いだろうし)
まず最初に思いついた助言はごく一般論なものであったが、サイトの雰囲気を見て適当に膨らませてアドバイスにする。
「どうもこのサイトはヘッダーやアイコンを設定できるみたいだから、小説を投稿する前にプロフィールを作った方が良いんじゃないか?」
自分のスマホから指を離し、俺は机の上に置かれた藍島のスマホの画面に手を伸ばして、サイトの上部にあるデフォルトのままのアイコンをタップした。
そのまま管理画面らしきページから何回か遷移すれば、プロフィールの編集ページが現れる。
まずやるべきことを把握できたらしい藍島は、何も記入されていないまっさらなプロフィールページを興味深げに見つめてから、ゆっくりと自分のスマホを操作しだした。
「ふーん、そういうところはSNSと変わんないんだね。じゃあいつも使っているアイコンがこれだから……」
藍島が画像のアップロード画面を開き、男アイドルの写真ばかりのファイルからアイコン画像を探す。
しかしそのとき、何らかの通知がポップアップで表示された。
「あ、モツヒサくんのキャンプ配信の通知だ」
藍島は即座に通知の情報を読み取り、タップして詳細を読む。
「六時から配信開始ってことは、早く帰らないと大画面でリアタイできないじゃん」
そして出動指令を受けた兵士のように俊敏に藍島は立ち上がり、ケースの背面に推しらしき男の写真が挟まれたスマホをリュックにしまって背負った。
リュックには痛バックと呼ばれる部類の過剰な装飾はなかったが、アイドルグループのロゴが刻まれたキーホルダーやスマホの背面の写真と同じ顔が印刷された缶バッチなどが存在を主張していた。
「ごめん。ちょっと、モツヒサくんの配信があるから帰るね」
勝手にやって来た藍島は、帰るときも勝手に帰るらしく、仕方がなく始めた俺の指導を中断して帰宅を決めている。
「ああ、うん」
そもそも藍島を歓迎してなかったものの、藍島の勢いに気圧されている俺は、ほっと安心することも忘れて頷く。
足早に部室を出ていこうとする藍島は、戸を閉める前に振り向いてごく軽い別れの挨拶を残した。
途中で帰ることを申し訳なく思っているのか、藍島の声は先程までよりは少々柔和で、目鼻立ちがはっきりと綺麗な顔に浮かぶ表情には埋め合わせとしての恭しさがあった。
「今日はありがとう。また、明日もよろしくね」
感謝の言葉を伝えることを忘れない程度の常識はさすがの藍島も持ち合わせているらしかったが、明日の予定について彼女が俺の都合を配慮することはなかった。
(そりゃ明日も俺はここにいるが……)
唐突な来訪者が去って静かになった部室で一人椅子に座り、俺は女子との不意な約束に混乱した心に平穏を取り戻そうと、自分のアカウントがある小説投稿サイトをスマホで開いた。
藍島と二人で見ていた見知らぬ女性向けのサイトと違って、そのサイトにはお洒落さの代わりに心地の良いシンプルさがあり、ダッシュボードには自分の書いた小説のタイトルやPVなど見慣れたものしかないので実家のように安心できる。
(PVやブクマ数は、見たことないくらいすごい数字を叩き出してくれても別に良いんだけどな)
今現在連載している学園ロボット物の作品ページを見て、最新エピソードにほんのわずかにPVがついていることを確認する。
固定読者が数人しかいない連載であるが、それでも新しい投稿を必ず見てくれる人がどこかにいる状況は、何万人もの作者がいるWeb小説の世界においてそれなりに恵まれていることを俺は知っていた。
だが俺は趣味は趣味のままだから良いというアマチュアリズムに生きる人間ではなく、自分の書いた作品が出版されて認められたいという野望を抱くプロフェッショナルに憧れる人間であるので、数人でも読者がいることに感謝はしてもその数字に満足することはなかった。
(まあ俺はごく一般的な不人気ジャンルの書籍化希望者だが、藍島はプロ志望とは違うのに趣味勢と言うには欲があって不気味だ)
Web小説の執筆は田舎の進学校においてはマイナーな趣味であるものの、同好の士が集まるサイト上では俺はありふれた存在である。
しかし藍島は、自分で書いた物語をより多くの人に読んでもらうことを望む素直で健気なWeb小説の作者たちとはまったく別の生き物であり、推しのためという異質な動機に基づいて行動していた。
しかしだからこそ、推しが関係なくなってしまえば藍島は今しがた突然帰宅したようにWeb小説から離れ、文芸部員である俺への不可解な訪問も終わってくれるのかもしれないし、いますぐにでも終わってほしいと俺は願った。
自分のことを好きになってくれるかもしれない美少女ならともかく、絶対に自分に靡くことのない男アイドル好きの美少女と一緒にいられるほど、俺の心は広くはないのである。
3 異常事態の翌日
藍島が部室を訪問してきた翌日も普通に朝は来て、俺は朝礼前には自分のクラスの教室にいた。
遅刻しそうな者以外はだいたい登校している始業直前の教室は、それぞれの話し声がざわめいて重なり個々の話題を匿名にする。
俺はその喧騒に安心して紛れて席に着き、自分の机の近くに立つ男友達の古賀昭弥に昨日の部室での迷惑な出来事についてあれこれと報告していた。
「だから俺たち文芸部の部室には、しばらくあの藍島まほあが来るみたいなんだよ。困るよな」
藍島の前ではたじろぐことしかできなかった分、俺は苛立ちを隠さずに古賀に愚痴る。
背が高く大柄で短く髪を刈った古賀は一見すると素朴だが男らしい顔立ちのスポーツマンで、見るからに陰キャの俺と接点があるタイプの属性の人物には見えない。
しかし古賀は実際には運動音痴の文化系であり、ほとんど幽霊部員で部室に姿を現さないものの俺と同じ文芸部員であるから、藍島のことと無関係な人物ではなかった。
「その藍島まほあってあの、入学したての去年の四月に一目惚れだと言って告白してきた男子に、推しアイドルの新曲の再生回数を増やすように頼んで帰らせたっていう藍島まほあか?」
一部始終を聞いた古賀は、突然の事態に若干驚きながら聞き返した。古賀は俺ほどの危機感を抱いてはいる様子ではないものの、一応でも自分が所属する部の受難にはそれなりに興味を持っているようである。
「ああ。中学時代にはデビュー前の推しに人気投票で勝たせるために、全校生徒にハガキを配って歩いていたって噂の藍島まほあだよ」
「そうか。あのときどき昼の放送で怪文書を読み上げているような楽曲紹介をして、中途半端にアーティストぶった鬱陶しいアイドルソングを爆音で流してる藍島まほあか……」
誰かから伝え聞いた藍島の武勇伝を引用して俺が頷くと、古賀は現実に知っている藍島の奇行について述べながら相づちをうつ。
俺も古賀もそれほど熱心に同級生の名前を覚えているタイプではないのに、藍島のことについては二人とも知っているのだから、彼女はこの学校で本当によく目立つ人物なのである。
「それでその後、書比古は無事に藍島に小説の投稿のしかたを教えることができたのか?」
先日の昼放課も藍島が推す男アイドルの新曲を流していた教室前方のスピーカーを眺めつつ、古賀は訊ねた。
「いや。プロフィールページを記入しかけたところで、推しの配信が始まる通知が来たとか言って帰って行った」
尾張と三河の確執よりも深く肩をすくめ、俺は頭を振って答えた。
藍島について苦々しく語る俺の表情を見た古賀は、他人事と判断した様子で薄く笑う。
「まあ面倒事だとしても、藍島は黙ってれば美少女だし考えようによっては良いんじゃないのか?」
一歩引いた態度の古賀に、自分には関係ないこととして終わらせてもらっては困ると俺は机に両手をついて言い返した。
「顔が可愛くたって無理なものは無理だからな。古賀もたまには部室に来てくれよ」
一対一では逃げ場がないから仲間が隣にいてほしいと、わりと必死に助けを求める。
しかし古賀の反応は淡白なものであった。
「おれは小説は書かない読み専だからな。部室はWi-Fiもないし、やめとくわ。またお前の小説の誤字脱字をチェックしてやるから、それで勘弁な」
「それはめちゃめちゃ助かるけどさあ」
埋め合わせの提案をきっちり提示されて反論を封じられた俺は、親友の薄情さを責めつつも感謝した。
古賀は小説の書き手としての活動はまったくないのに感想コメントやレビューは頻繁に残す稀有な読み専で、SNSや動画サイトを使って埋もれた良作を掘り起こすスコップ活動を行うVTuberとして一部の界隈ではそれなりに信頼されている。
リョナとTS百合を好むニッチな趣味の持ち主であるという事実に目をつむれば、古賀はWeb小説の書き手にとってかなり頼りになる友人なのだ。
(こいつが友達にいなかったら、俺は今以上に読まれない作者だったわけだし……)
本気の布教をするほどハマるわけではなくても、古賀は読了ポストやほどほどの長さのレビューを俺の作品に書いてくれる。
応援してくれる人がいてもなかなか読まれないのは自分が不甲斐なくなるが、善良な読者がすぐそばにいるのは紛れもない幸運であり、古賀は俺にとっては意外と重い存在である。
しかし古賀はただ単に友人が書いているものを読んでるだけであって、俺の作品に特別惚れ込んでいるわけではないのでさらりと会話を終わらせた。
「とりあえず小説のネタになると思って、頑張って藍島を迎えてみることだな」
現実の異性に対して古賀が興味を示すことは一切なく、藍島が奇天烈な女子であることを差し引いてもその態度はあまりにも無関心であった。
やがてちょうど始業のチャイムが鳴ったので、古賀は俺の机から離れて自分の席に戻る。
(昭弥の言うこともわかるけど、あいつと二人っきりなのはやっぱり困る)
古賀が去り、担任の教師が教室の現れるまでのわずかな時間を有効活用しようと、俺は机の上に突っ伏した。
寝不足で授業中に眠らないためである。
しかし結局俺は藍島について考えることをやめられず、その行為に安らぎはなかった。
4 コンテストの要項とラジオ
終礼の後、古賀と軽く別れの挨拶を交わした俺は、重い足取りで部室に向かった。
ほどほどに広い校舎の中でも外れに位置する文芸部の部室につながる廊下は人影が少なく、平穏だった昨日と同じように静寂に包まれている。
部室の前にたどり着いた俺は、恐る恐る引き戸を開けた。
ここはもう藍島の出没スポットになってしまっていて、安らぎは失われているように思われる。
しかし半ば物置に近い狭さの部室には、ひとまず誰の姿もなかった。
古い部誌や文庫本が詰め込まれた金属製の本棚や鍵がかかったまま開かないチェストなど、あまり役に立たないものに囲まれた椅子に座り、俺はガラス窓から薄い雲に覆われた青空を見上げた。
(もしかすると藍島は、今日もまた何かしらの推し絡みの用事があって来ないのかもしれないな。それなら今日は昼寝せずに、自分の小説を書こうか)
淡い期待を抱いて、両手を組んで背伸びをする。
しかし腕を下ろして鞄からスマホを取り出した瞬間、やかましい音を立てて扉が開いた。
「与村いる? いるね。昨日の続きなんだけどさ」
我が物顔で悠々と部屋に入ってくるのは、可憐に凛々しくセーラー服を着こなした、俺を含むそこらへんの男子よりも背の高い藍島である。
藍島はまったく迷うことなく俺のすぐ隣の場所にある椅子を机の下から引き出し、背負ったリュックを下ろして座った。
四、五人分の席しかない小さな部室では藍島の存在はほとんど巨人の侵略者で、俺は思わず身を縮こませる。
(ある日突然失ってみると、自分一人の時間の価値がより重く感じられるなあ……)
おそらく一生慣れることない他人の気配に心を乱されながら俺は、曖昧な笑顔で取り繕ってうつむいた。
しかし藍島は俺の返事や反応を気にすることなく、さっさと本題に進み始めた。
「昨日家でプロフィールページの設定は終わらせてきたんだけど、これでどうかな」
藍島はリュックのポケットからスマホを取り出し、ブラウザを開いてアカウントを作ってあった女性向け小説投稿サイトのプロフィールページを俺に見せる。
ペンネームは「愛ノ島」と書いてあり、自己紹介欄には「初心者です」と一言。アイコンにはシックなカカオ豆のイラストが、ヘッダーには水彩風に塗りつぶされた暗い茶色のテクスチャがそれぞれ設定してあった。
日本史の用語集に載っていた四十八茶百鼠という言葉を思い出させる、江戸時代のような地味な色彩に心中では疑問を抱きつつ、俺はまずは講師役として藍島を褒めた
「そうだな。豆のアイコンが可愛くていいんじゃないのか」
「でしょ? ココアブラウンはモツヒサくんのメンカラなんだ。私はちゃんとルールを守るファンだから、アイコンもヘッダーもきっちりイチから自作した画像だよ」
藍島は誇らしげにアイコンをタップして、カカオ豆の画像を拡大した。ペン画風のタッチのイラストはこなれていて、アイドルを追うのをやめて真面目に描き続ければそれなりに評価されそうな才能を感じさせる。
マサヒサだかモチヒサだかよくわからない男アイドルのメンバーカラーが奢侈禁止令を出されたに違いない栗皮茶なのは、どうでも良かった。
しかし少なくとも藍島がアイドル本人の写真をアイコンに設定したり、アイドルが映ったバラエティ番組の切り抜き画像を無断転載してSNSの投稿に使う類の痛々しいドルオタではないらしいことには、素直に安心することができる。
「規約をきちんと確認しておけばフリー画像でも問題はないが、著作権や肖像権は大事だよな」
SNSのアイコンは地元のショッピングモールにある巨大な招き猫の写真にしてある俺は、ごく一般的なネットマナーを添えて相づちをうった。
(高校生だってこととか、件のアイドルのファンであることをプロフィールでアピールするのアリかもしれないが、強調しすぎるのも寒いし小説関係の受賞歴とかがないならこれくらいで良いのかも)
リンク欄にSNSのアカウントがあることで素朴な自己紹介を補強していることを確認して、俺は机の上に置かれた藍島のスマホに触れる。
「で、小説の投稿についてなんだが」
「うん」
藍島は言葉数が少なければ普通に愛らしい表情で、長いまつげを震わせて俺の指の先にあるスマホの画面を見ていた。
条件反射で鼓動を高鳴らせ、俺は思わず顔を伏せて説明を始める。
「マイページからこのBOOK管理に入って、ここの新規作成から作品が作れるらしい。まずはタイトルとジャンルを決める必要があるようだが、藍島は何ていうタイトルの小説を書いてるんだ?」
タップに合わせて画面は軽快に遷移し、若干場所がわかりづらい新規作成ボタンを押せば、新しい小説を作成する画面が現れる。
まずは必須の入力項目を埋めさせようと、俺は藍島の前にスマホを移動させた。
昨日に藍島が「受賞する価値がある作品を完成させられる」と豪語していた記憶があったので、当然完成はしていなくても書きかけの小説があるものだと俺は理解していた。
しかし藍島はきょとんとした様子で、首を傾げた。
「タイトル? 決まってないよ」
「じゃあ、本文の書き出しは?」
「まだ一行も書けてないから、与村が書き方教えてよ」
本文の冒頭を仮題にしてはどうだろうと尋ねると、藍島は過大な要求を笑顔で軽々と突きつける。
こちらの事情は、何ら慮られるところはなかった。
小説投稿サイトの使い方だけではなく、小説の書き方の指導も求められるのかと、俺は薄っすら予感していたものの皮肉めいた気分になって、ぼさぼさの頭をかいた。
だがたとえ相手が藍島であったとしても、小説を書く方法論を語る正当な理由を得たことには、正直わくわくしている。
俺も自己顕示欲にまみれたワナビの一人だから、自分の創作論を語りたい気持ちは常にある。聞かれてもないのに語るのはみっともないから黙っていただけで、尋ねられたら嬉々として答えてしまうだろう。
そうなるのが格好悪く思えたのも多分、藍島の頼みに応じたくなかった理由の一つなのだが、ここまで来てしまったからには受け入れるしかない。
「しょうがないな。それならまず、書こうと思っていた内容を聞こうか」
矜持を守るためにあえて恩着せがましく、俺は藍島に質問する。
俺は一瞬だけ無意識のうちに、自分がごく普通のワナビであるように、藍島もごく普通に小説を書こうとしているのだと錯覚した。
しかし男アイドル界隈という異世界よりも遠い場所の住民である藍島は、もちろん普通ではなく理解しがたい人物である。
だから俺が尋ねた瞬間、よくぞ聞いてくれたという様子の藍島は、剣術の達人のように間合いを詰めて接近し怒涛の勢いで話し出した。
「私が『ワケもなく悪い男の小説大賞』に応募しようと思っていたのはね、裏社会を生きる六人の男たちが、組織の主導権を争って殺し合いをする話だよ。ジャパナイ全員出演で映画を撮るならって妄想で考えたストーリーなんだ。ジャパナイのサード・シングルは学園ラブコメドラマとタイアップしてるのに、なぜかMVの衣装が全員黒スーツのノワール映画風で特にサビの歌詞が超エモいんだよね。マシンガン乱射してるモツヒサくんの映像を見てたら、殺伐とした世界を生きて死ぬモツヒサくんが見てみたいなって思っちゃって……。あ、ちなみにエモっていうのは元々はアメリカを中心にハードコア・パンクから発展した音楽のジャンルのことを指した言葉で、つまりスクリーモやメタルコアの影響を強く受けたジャパナイの楽曲におけるエモはそこらへんの学生が使う単なる流行語じゃなくて、そういう歴史を踏襲した本質的な意味も持っていて……」
終着点が一向に見えないまま、藍島は疲れや躊躇を少しも見せることなく話し続ける。
(オタクは語りだすと止まらないって言っても、限度ってものがあるだろう)
ジャンルは違えどもオタクであるという点に関しては共通点があるはずの俺も、藍島の止まることのない強い語りには恐怖を覚えた。
確かに俺も、ゼロ年代のロボットアニメの系譜について話すときにはこれくらい威勢がよいのかもしれないが、それでも藍島よりは常識的な範囲で生きているはずだと思う。
「いやいや、ちょっと待て。その『ワケもなく悪い男の小説大賞』は、下限なしの一万字以内の短編小説を募集するコンテストだよな。六人の男の殺し合いじゃ、一万字じゃ収まらないだろ」
俺は何とか勇気を振り絞って藍島の執筆計画の短所を指摘して、コンテストに応募するための小説を書くというところまえ話を引き戻した。
二次創作の枠に収まることはない脳内キャスティングの熱はすごいが、話が脱線してくのは修正しなければならない。
「え、一万字ってすっごい長い気がしたけど、そうなの?」
話せば聞く耳を持たないわけではない藍島は、やや後退して不思議そうに聞き返す。
「一万字は描写の濃さにもよるが、だいたいSNSに投稿されるひとつの平均的な短編漫画くらいの長さだな」
俺は自分のスマホでSNSのタイムラインを開き、流れてきた短編漫画を適当に表示させて藍島に説明した。
模試で書く八〇〇字の小論文に慣れているとわからなくなるが、小説投稿サイトでは一般的に数万字は短編から中編で、十万字前後から長編であると考えられている。
「そっか、じゃあ別の話を考えない駄目か」
自分の認識にズレがあることを知った藍島は、当初の想定にこだわらずあっさりと方向転換しようとする。
一方で俺は最初に書きたかったアイディアを捨てるほどではないと考えて、助け舟を出した。
「いや、そうでもないぞ。裏社会が舞台の話を書くために、藍島は六人分のキャラクターの設定を考えたわけだろ」
「うん。元球児とか、潜入捜査官とか、大雑把には考えた」
「そのキャラクターの内の一人か二人を選んで、さまになりそうな過去のエピソードについて書けば、だいたい一万字以内の小説になるんじゃないのか」
六人組アイドルグループのMVを下敷きにしたパロディはあくまで発想の起点に留めておくことで、ドルオタの妄想っぽさが薄れてそれらしくなるのではないかと、俺はちょうど良く有用なアドバイスを思いついて伝える。
その提案を聞いた藍島は、感心した様子で頷いた。
「確かにそうかも。それなら書けそうな気がする」
藍島は何かを思いついた表情でスマホのメモアプリを開き、何かを書き留める。
考えたことを記録する習慣をすでに持っている藍島の姿に、思ったより自分は必要ないのではないかという疑念を抱いた。
その記入が終わるのを待って、小説投稿サイトの新規作品の作成ページに戻ろうと俺は声をかける。
「じゃあとりあえずこのページのタイトルには、コンテスト用(仮)とか入れておいて……」
その言葉の「コンテスト用」くらいまでは、ちゃんと藍島の耳に届いていた。
しかしそのときまた再び、藍島のスマホに通知が表示されて、藍島は素早くポップアップバナーを開いた。
「あ、もうすぐラジオ『第六ジャパ騎士学園』の時間じゃん」
今回はスケジュールアプリのリマインダーだったようで、藍島は通知を読み上げて確認する。
(もうそろそろ帰ってくれるのか)
昨日の出来事を思い出し、俺は藍島がこのまま帰宅するのだろうと先を読んだ。
しかし藍島は帰るそぶりを見せず、おもむろにリュックの中からWi-Fiのモバイルルーターを取り出し、窓際のチェストの上に設置した。
そしておそらく件の男アイドルのロゴマークが入っているのであろう栗皮茶のポーチのチャックを開けて、ワイヤレスイヤホンのケースを手にして俺の方を向く。
「ちょうどいい機会だから、休憩のついでに与村にも聞かせてあげるね」
藍島はイヤホンの左側を自分の耳にはめ、右側を俺に差し出した。
尖鋭さと可愛らしさの同居する色白な顔に浮かぶのは、素晴らしくまぶしい笑顔であるが、俺がその好意を受け取る理由はなかった。
「いや、俺はラジオとかあんまりよくわからんから……」
俺は椅子を引いて立ち上がり、藍島が帰らないなら自分が帰ろうと、部屋の時計を見て適当な理由をでっちあげようとした。
だが藍島はそこまで関係が深くない異性が相手であることを気にも留めずに、ものすごく強い力で俺の肩を掴んで再び座らせた。
「大丈夫だよ。ジャパナイは話し方がみんな個性的だから、誰が何を話してるかすごくわかりやすいと思う。声も特徴的だし。でも歌うときは六人の声が渾然と響き合って素晴らしい一体感を生み出すのがジャパナイのすごいところで、特にやっぱりモツヒサくんが低音を響かせることで全体の音が引き締まって……」
和やかで優しい、しかし激情をはらんだ声色で、藍島は俺を捉えて支配下に置く。
藍島の長く冷たい指が俺の右耳に触れて、ワイヤレスイヤホンをはめている間も、俺は耳垢がついたらついたら恥ずかしいな、と何となく思いながら黙って震えているしかなかった。
(こういうイヤホン片方ずつ、みたいなラブコメ風のシーンを書いたことはある。だけど相手が藍島の場合は)
過去に執筆した異能学園ラブコメの内容が、走馬灯のように頭の中を駆け巡って逃避しようとするけれども、目をそらすことのできない藍島の存在感が現実に俺を引き戻す。
「音量はこれくらいかな」
スマホを操作する藍島が、最小音量から徐々に上げて丁度よい音の大きさにすると同時に、片耳ににぎやかなラジオの前番組の音が入ってくる。
「音量が合わなかったら言ってね。イヤホンの本体のボタンだと細かい調整ができなくて、スマホで上げ下げしてるから」
俺の鼓膜を気遣って、藍島がスマホを片手に微笑んだ。
しかし俺は耳の健康も大事だけれども、好きでもなんともない男アイドルの会話を長々と聞く虚無の時間に精神が耐えられるかどうかの方が心配だった。
つい先程までWeb小説を書く話をしていたはずなのに、どうして二人でネットラジオを聞くことになるのかがわからない。
「この部屋、電波状況がわりと良い気がする。学校にいるときは、またこうやって使わせてもらおうかな」
藍島は窓際に置かれたモバイルルーターを眺めて、恐ろしい思いつきを口にする。
その声があまりにも明るく楽しげなので、俺は藍島に否定的な返事をすることができなかった。
(そいつらは実はトーク力があって、思ったよりめちゃめちゃ面白いラジオ番組だったってことはないだろうか)
椅子の背もたれに無気力な身体を預けて、俺は根拠もなく願った。
だがその数分後に始まった男アイドルの番組はやはり、知らん若い男たちがつまらないお悩み相談と、下ネタで騒いでいる音声でしかなかった。
そして俺は愛想笑いでやりすごした結果、彼らは世界で一番面白い話をしていると信じている藍島によって、アーカイブも含めてがっつり一時間以上そのラジオ番組を聞かされた。
5 夕方のショッピングセンター
数日後の夕方、また俺は藍島と二人になったが、その日は部室ではなく学校から少し歩いたところにある太田川駅のすぐ隣のショッピングセンターにいた。
太田川駅は十年ほど前に高架化を完了した小綺麗な駅で、再開発された周辺の土地には劇場ホールやビジネスホテルなどの真新しい建物が立ち並んでる。
鉄鋼業で愛知のものづくりを支える東海市の玄関口である太田川駅前は、街を刷新するための潤沢な予算があるのだ。
「どんでん広場」と名付けられたやたら面積のある広場を横切って、俺が藍島に連れて行かれたのはスーパーや家電量販店、百円均一ショップやドラッグストアが入った商業施設のフードコートで、地元ラーメンチェーン店と天丼専門店の二店舗しかないものの子連れ客や学生でそれなりに席が埋まっていた。
子供の甲高い声やそれを静止しようとする親の声、そして歓談にいそしむ他校の女学生の話し声がやや低い天井に反響して、ざわめきを作り出している。
そうした若干の騒音に包まれたフードコートの中央の席で、俺と藍島は向かい合って座っていた。
「モツヒサくんが出ますように……!」
藍島はソフトクリーム付きのプリンパフェを前にして、件の男アイドルとラーメンチェーン店のコラボ特典であるコースターが入った袋を手にしている。
プリンパフェとコースター入りの袋は俺の手元にもあり、元々は甘味処を営んでいた地元ラーメンチェーン店の期間限定の甘味メニューは、値段のわりに豪華で見栄えが良かった。
要するに俺は、ラーメンチェーン店と推しアイドルのコラボメニューを一緒に食べようと言い出した藍島に付き合って、フードコートにいるのである。
(学校の誰かに見られても多分、あの二人は付き合ってるとか噂されずに、藍島の布教活動の被害者扱いされるんだろうな)
ソフトクリームが溶けないうちにプラスチック製の容器の中のパフェをスプーンですくって食べながら、俺は妙に俯瞰した感覚で自分を客観視する。
一方でパフェよりもまずコースター入り袋の中身を重視している藍島は、開け口も綺麗に封を切っていた。
だがその種類は思ったものではなかったらしく、藍島は紺色のセーラー服の襟の下の肩を落としてため息をつく。
「んん、ヤタロウか。残念。明日、隣のクラスのヤタロウファンにあげるか。与村は、コースター何だった?」
「モツヒサって書いてあるな」
藍島に聞かれてやっと、俺は一切の興味を示すことなくコースターの袋を開ける。
その中に入っていた柄は藍島の求めていたものであったらしく、ひと目見た藍島は羨ましそうというよりは獲物見つけた鷹のような眼差しで反応した。
「え、モツヒサくん!? ヤタロウと交換してもらってもいい?」
藍島はいわゆる「箱推し」という気持ちはそれほど持ち合わせていないようで、わりとぞんざいな扱いで推しではないメンバーのコースターを俺に差し出した。
だが俺はどちらのコースターも普通に不要だったので、二枚とも藍島のものにしてもらうことにする。
「交換じゃなくていいから、やるよ。それはファンの友達にあげてやれ」
「いいの? ありがとう」
俺が渡されたコースターの袋に自分の袋を重ねて丁重に押し返すと、藍島は猛禽類から人間に戻って頬をゆるめ、スマホで写真を撮った。
そして二枚のコースターを大事にファイルにしまうと、今度はリュックから得体の知れない簡易ケース入りのDVDを取り出してきた。
「じゃあ最近お世話にもなってるし、お礼にこれ。この前テレビで放送されてたジャパナイのコンサート密着特番。ダビングしてあるから返さなくて大丈夫だよ」
藍島は大真面目に感謝の気持ちを表しているつもりで、俺にそのDVDを手渡す。
それはちゃんとレーベルも画像付きで綺麗に印刷してある手焼きのDVDで、俺は強力な呪物を手にするように恭しく受け取った。
「ああ。ありがとう」
DVDを鞄に入れた俺は、再びパフェのスプーンを握る。ほどよい大きさに砕かれたプリンとソフトクリームを合わせて食べればくどさの少ない冷たくさっぱりとした甘さを楽しむことができた。
(学校帰りに女子とフードコートで過ごす経験は小説の参考になるに違いないはずなんだが、ちょっと変人に寄りすぎた相手だ)
俺が黙ってパフェを食べていると、やっと藍島が数日前の続きを行うために会っているのだということを思い出して口を開く。
「それでえっと、この前はたしかラジオを聞いてもらって終わったよね」
「藍島の小説の方向性を、決めたところだったな」
ラジオは目的ではなかったはずだと、俺はやんわりと訂正を入れた。
だが藍島はその意図をたいして汲み取ることなく、話を進める。
「そう、六人の裏社会の住民の中の、一人か二人分のエピソード」
そして机の上に置かれていたスマホを手に取りメモ帳アプリを開いた藍島は、人に伝わるように言葉を選んでいる様子を見せつつ書き留めたアイディアを説明した。
「いろいろ考えたんだけど、普通の少年に見えて実は学級崩壊の原因になっている謎めいた男子小学生だったっていう、詐欺師キャラの過去エピソードはどうかと思ってるんだ」
ここまでの度を越えたドルヲタぶりはともかく、藍島の書こうとしているものはアイドルが元ネタの妄想からオリジナルの創作に着実に近づきつつあった。
そのスムーズな変遷に、自分の指導が功を奏した結果ではないだろうかと俺は自画自賛したい気分になる。
「学級崩壊の原因になる男子学生……。『ワケもなく悪い男』っていうコンテストのテーマにもあってて、いいんじゃないのか」
スプーンについたソフトクリームを舐めながら、俺は自分のスマホでコンテストのページを確認して頷いた。
一方で藍島は、ソフトクリームの溶けたプリンパフェを飲み物のように口にしていた。
「テーマはこれで、ばっちりだよね。でもなんかあんまり、ちゃんと始まってちゃんと終わるようなストーリーが考えられなくて」
藍島はアイディアには自信があるようだが、小説としてまとめられるかどうかは不安な様子で、プラスチックの器に入ったパフェを飲み干す。
だが数多くの小説を書いてきた俺は、短編にしろ長編にしろ、物語はポイントさえ抑えれば案外かっちりとしたストーリーが存在しなくても雰囲気でまとまるということを知っていた。
もちろん、本気でコンテストや公募での受賞を狙うならそんなことは言ってられないかもしれないが、藍島が書こうとしているものをひとまず完成に導くのが今の俺の役割であると俺は考えていた。
だから俺は創作活動における先達として、藍島にアドバイスを送った。
「下限なしの短編を募集するコンテストなら、別にそこまで整ったストーリーがなくても大丈夫だと思うぞ」
「え、でも起承転結とか、そういうのが必要なんじゃないの?」
ドルオタとしての行動はともかく、シナリオに関しての知識はごく一般的なものを持っているらしい藍島は、不思議そうに俺の方を見る。
そこで俺は物でたとえて説明しようと、最後にとっておいたパフェの丸いミルククッキーに、残ったプリンをなるべく綺麗に載せて藍島に見せて食べた。
「数百文字とか数千字の話なら、こうふわっと印象的な一場面を劇的にまとめるだけでも十分形になるはずってことだ」
プリンの欠片でもクッキーに載せるという一工夫があれば様になるように、ほんの小さなアイディアでも上手に活かせば一つの作品になるということを俺は伝えたつもりだった。
プリンの載ったクッキーは言うほど立派には見えなかったかもしれないが、藍島は俺のアドバイスを理解したようでメモ帳アプリをスクロールしながら質問を返した。
「じゃあ今考えてたのは、彼のことが好きでじっと見てる女の子がいて、その子だけが彼が学級崩壊の原因になってるって気づいてるいう物語のはじまりなんだけど、これだけでも短編小説になるの?」
「女の子だけが気づいてるっていうのを、ちょっとしたオチにつなげれば十分可能なんじゃないのか」
そのちょっとしたオチを作るのが難しいのだが、結局考えるのは自分ではないので、俺は無責任で楽観的な見通しをした。
「ちょっとしたオチか……。どんなオチだろう」
空になったプラスチックの容器を弄びながら、藍島は考え込む。
俺はそこで先日に見た小説投稿サイトの新規作品の作成ページを、結局未記入のままにしていたことを思い出した。
「もしかすると、ここらへんで投稿サイトに戻って、仮でいいからタイトルと、あとキャッチコピーをつけてみると上手くまとまるかもしれんな」
「キャッチコピーって、このあらすじとは別にあるこれのこと?」
最終目標である小説投稿サイトに立ち返って考えることを俺が勧めると、藍島はスマホでその新規作成ページを開いて指をさす。
「それがキャッチコピーだ。例えばランキングでは、こうやってタイトルの上に表示される」
俺は自分のスマホでさらにそのサイトのランキングページを出して、藍島にキャッチコピーが実際に投稿した場合にどう見えるのかを説明した。
「だいたいの小説投稿サイトではこうやって、タイトルやあらすじとは別に内容を端的に表す短い文章をつけることができるんだ。もちろん書き上げてから考えてもいいが、俺は作品の内容を練るときにあらすじと一緒についでに仮で考えてみてる」
そのまま俺は、自分が小説を書き始める前に行っている作業について藍島に話す。
物語の始まりから結末までの筋書きをプロットと呼ばれる形にまとめることも必要だが、何を物語の中心に置きたいのか改めて考え直すときには、キャッチコピーやタイトルについての思案が役に立つことが多かった。
「タイトルと、キャッチコピーと、あらすじだね」
思ったよりもずっと飲み込みが早い藍島は、俺の話の要点をすぐに掴んで新規作成ページの入力を始めた。
不慣れなことに取り組みつつも藍島には余裕があるように見えたので、俺はさらに一歩踏み込んだ助言をする。
「それとあとジャンルとタグだな。一人でも多くの読者に読んでもらいたい場合は、サイトの傾向をよく見て考えるべきポイントだ。だが藍島の場合はコンテストが目的だし、今回の審査にはPVやブクマは関係ないみたいだから、ある程度は好みで決めちゃってもいいと思うぞ」
「なるほど。ジャンルはこの中なら恋愛かな? タイトルはどうしようか」
藍島は恋愛と書かれたボタンを押して、ジャンルを選択した。あらすじやキャッチコピーは何かしら書いた形跡が見られるが、タイトルはまだ空欄のままにしてある。
俺は何か言えることを考えて、藍島が参加したいコンテストが行われる小説投稿サイトのTOPページに並ぶタイトルをざっと眺め、自分が使っている別の小説投稿サイトと比べながら雰囲気を探った。
「俺の使ってるサイトだと作文みたいなタイトルが多いが、ここのサイトはキャッチコピーも含めて結構ポエミーな雰囲気だな」
今見ている小説投稿サイトは表紙画像を設定できることもあり、説明過多なタイトルは少なく表面上の文字情報もサイトの外観同様のお洒落さを保っている。
藍島も俺に倣ってTOPページを開き、他の作品のタイトルやキャッチコピーを参考にしながら、相づちをうった。
「そうなんだ。ちなみにジャパナイのデビュー当時のキャッチコピーは『死ぬまで守り通す。俺だけのユアハイネス』っていうわりと恥ずかしいフレーズなんだよ」
おそらく藍島は俺の考察を真面目に聞いて、真面目に返事をしているはずだった。
しかし同時に藍島は真面目に常にアイドルオタクであるので、その受け答えはだんだんと脱線し始めた。
「一人一回全員このセリフを言う動画が存在するんだけど、これがまた甘酸っぱいノリで直視するのがなかなか難しいやつなんだ。まあ頑張って見まくったんだけど。モツヒサくんは真面目で純度が高い仕上がりで、守り通される前に尊さで死ぬかと思ったね。ファンネームのハイネスはもちろんここから来てるんだけど、呼ばれるのはともかく自称するのはちょっと恥ずかしいから困ってて……」
スイッチの入った藍島は軽快に直進し続ける暴走機関車で、レールの存在しない遥か遠くまで走り続ける。
(この流れはまずいぞ)
人並みの学習能力がある俺は、先日と同様の藍島の語りの加熱具合に危機感を覚えた。
しかし俺が危険を察知したときにはもうすでに手遅れで、藍島は優秀な聞き手であることをやめ、完全に推しの布教モードに入っている。
藍島は件の男アイドルのデビュー時の思い出話をひとしきり話すと白く形の良い両手を合わせ、素晴らしいことを思いついたという表情で提案をした。
「そうだ。カラオケでちょうどそのデビュー当時のライブ映像の配信を期間限定でやってるから、今から行こうか。一時間くらいならそんなに帰り遅くならないし、ここはそんなに長居するところじゃないからね」
そう言って微笑んだ藍島の背後には「長時間のご利用はご遠慮いただきます」という文言に勉強をする学生のフリー画像を添えた張り紙が見えた。
フードコートの席を不当に占拠してはいけないという社会的なルールを守る藍島は、礼儀正しい女子高生の見本である。
しかしそれはそれとして、俺は藍島の正しさでは覆いきれない突き抜けた部分に付き合いたくはなかった。藍島には正しさはある程度あっても、まともさは足りないのである。
だから俺は藍島から逃れたい一心で、鞄から小銭入れを出して開いて、中身がないふりをした。
「行ってもいいけど今俺、所持金残り数十円だし無理だな」
数十円は嘘だが、パフェを食べて残金が数百円しかないのは本当だった。
しかしそのささやかな抵抗も、藍島の前では無駄になる。
「じゃあお金は私が出すね。この時間の学割で一時間なら、そこまで高くはないし」
藍島は机の上に両手をついて身を乗り出し、ただの女子高生のはずなのになぜか言葉に宿る権力で、強引に主導権を握る。
「それはありがたいが、藍島にお金を使わせるのは悪いだろ」
「いいよ。メンズハイネスが増えてくれて、私も嬉しいから」
俺は必死に逃げ道を探して遠慮の姿勢を全力でとったが、藍島は笑顔でさらりと退路を塞いだ。
(俺はその、メンズハイネスってやつになった覚えはないんだが)
Japan Knightsのファンネームがハイネスであり、中でも男性のファンのことをメンズハイネスであるという知識を藍島のおかげで得てしまっていたが、俺は断じてファンになったわけではない。
しかし藍島は、ただ単に流れに抗う強い意思を持てないまま唯唯諾諾と従い続けているだけの俺の態度を、布教が功を奏して仲間になりつつあると完全に勘違いしていた。
もしも俺がもっと話し上手で人付き合いが上手な人物だったのなら、それとなく笑いをとりつつ藍島の熱心な誘いを断ることができたのかもしれない。
だが現実には俺は、藍島のようなバイタリティあふれる変人をいなして適度な距離を保つ技術を持ち合わせていなかったので、コミュ障というほどではなくてもその圧には負けるしかなかった。
「それじゃ、行こうか」
気づけば藍島は、俺の分の食器も一緒に片付けたトレイを手に、凛と立っていた。
テーブルは綺麗に拭いてあって、正に立つ鳥跡を濁さずということわざの通りである。
「ああ」
俺は力なく微笑みつつ、暗い気持ちで椅子から立ち上がり、満員ではないものの少々混み合ったフードコート内で席を空けた。
空いたテーブルには早めの夕食にやってきたのかもしれない老夫婦が座って、藍島の提案の半分の正しさを証明していた。
もしかするとラジオ番組よりはライブ映像の方がまだマシなのしれないが、それでも俺は見知らぬ美男子がふざける様子を好き好んで見たくはなかったし、自分では価値が本気でわからないものに夢中になっている異性を可愛らしいと思える心の広さは、残念ながら俺にはなかった。
〈続く〉
↓その2
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