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精神科夜間救急②~忘れられない女性患者👩違法薬物の恐ろしさ😱後編~

 その後、入院女性患者👩は、明け方近くまで症状を出したが、その後は、眠りについた。

 もし、朝になっても、あれが続くようなら、あのままの状態が良い訳はないので、多くの日勤職員が来る前に、再度当直医に連絡し対策を得ようと思っていたが、その必要はなかった。

 大きな鼾さえかいて、眠っている彼女を、職員三人がベッドに戻し、布団を掛けた。危惧していた転倒などによる外傷もなかった。

 幸いなことに、彼女の行為は、監視カメラには映っていないし、残っていない。おそらく現在は、どの病院の監視カメラ類の再生も、コンプライアンス規則に則って運用されていると思うが、当時はその辺りのコンプライアンス意識は、かなり低かった。映像が好奇の目に晒される可能性もあったのでと、電気を消す選択は良かったと思っている。(当直医診察時の必要最低限での点灯はしている)。

 結局、私と当直医の記録だけが、真実を残すことになった。

 いろんな意味で、記憶に残るハードな夜勤🌙🏢だった。しかし、話しはこの夜勤だけでは、終わらなかった。

 当時、違法薬物関係での入院は、マンパワーのある大きな病院🏥が受け持つ慣習だった。もちろん、今でも違法薬物や依存症の治療は精神科の中でも、専門的な分野と言える。とても、その病院🏥で治療できることではなく、次の日には転院🚑が予想された。

 私の次の夜勤バイトは、2週間後だっただろうか?、少しあれから日にちがたっていたと思う。

 その日当然、彼女👩はいなかった。特に当たり前だろうと思っていたので、職員間の会話の中で、話題にもしなかったが、仲の良かった、その夜の相勤の男性看護助手が小さな声で、「知ってますか?きつたんさん、あの子、死にましたで。」と教えてくれた😨。

 彼が言うには、次の日、主治医(当直医ではない)が、昨夜の出来事を彼女に話し、別の病院🏥へ紹介状を書くので転院するように説明したらしい。彼女はそれに同意し、退院したが、転院先に行くことなく、自らこの世を去った🏢。と言うことだった。

 違法薬物に関しては、確かに使用していたと本人が語ったらしい。元々地元でも有名になる位に美人✨で、自分でも自信のあった彼女は、高校卒業とともに東京へ行き、芸能事務所に入ったという。名前は覚えていないが、グループユニットの中心メンバーでもあったようで、わざわざ彼(上記看護助手)は夜勤中に、芸能事務所のHPを見せてくれた💧。確かに大きく売り出されてはいたが、現実は厳しかったのだろう。地元に帰って来ていたようだ。

 どのような形で、どのような種類の違法薬物を使っていたのか?、今となってはわからないが、或いは家族は知っていたのだろうか?、だとすれば入院時に家族がいなかったのも、なんとなく理解できる。

 また、退院時の対応として、せめて病院の車🚙で、次の病院🏥まで送ることは出来なかったのか?、主治医はどのような説明をしたのか?、当直医の記録もおかしな点はなかったが…。

 私の看護記録も事実を忠実に、かつ詳細に書き出した。(救急時、本来それが仕事だ)。しかし、本当にあれで良かったのだろうか?、今は書く、書かないの二択ではなく、事情によっては、一部事実をわざと大掴みで書くなど工夫している。これは、虚偽・改竄・隠蔽ではなく文章表現の技法的なものだ。もちろん本当は良くないのかもしれないのだが、例え訴えられても、自らの状況とその必要性を理路整然と述べる自信のある行為であれば、必要な時には、それを自分に許可している。

 何も知らず、そんな時の私の看護記録を読んで批判する同僚看護師もいたが…💧。そんな奴は、精神科看護師として経験が浅いか、長くても何も学んでいない(経験を積み上げていない)奴だろう。そんな奴に理解できようはずがない。

 肌寒くなって来た晩秋🍁になると、今でも彼女を思い出す。どんな事情であれ、例え汚れた過去があっても、死ぬ必要はない。美しく自信があった分だけ、苦しみが深かったのだろうか?。

「守れなくて悪かった…」

 今はただ、彼女の御冥福を祈るばかりである。

終わり

今回も長文お付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m

※15年前の精神科看護の場面ですので、現在では考えられないような対応や表現もあろうかと思いますが、ご不快な点があれば、ご容赦ください。