見出し画像

“きっかけは1脚の椅子” 語り場『道』 PART-3

【きっかけは1脚の椅子 小林正和】

小林
僕もずっと持ってる本を持ってきました。
僕、建築、インテリアデザインを仕事にしてるんですけど、 まだ、インターネットが無い時代の雑誌。
『BRUTUS 342』(イームズ/未来の家具)1995年

BRUTUS 342

どうしてこんな本を持ってきたかって言うと、さっきのファッションの話で、高校終わったら大体週の半分以上、部活終わった後に古着屋や服屋行って、店員さんとかと喋ってるような生活して、バイト代を全部服につぎ込んでる、そんな生活してたんですよ。
そのお店にインテリアとして、買い付けと一緒に買って来た家具“イームズ”の椅子があって。イームズって、今では当たり前な名前になってますけど、当時は知るわけもなく、僕からしてみたら、あ、かっこいいけど、座っちゃダメっていうか、そのお店のオブジェとして置いてるような感じだったんで。それを店員さんが、ある日「いいよ、座って」って言ってもらえて、 初めて座ったんですよ。今は色んなデザインの椅子があるから、イームズってそこまで突表しもないものかもしれないですけど、イームズの何がすごいって、大量生産に持っていったとかってのもあるけど、人体工学に基づいた椅子なんですね。初めて座った時に、「あ、こんなに体にフィットする椅子ってあるんだ」って。

学生時代に購入した初期のイームズ

普段座る学校の椅子や、家の椅子だってそんなにいい椅子に置いてるわけでもなかったから。生まれて初めて座るっていう“行為”に感動したんですよ。
例えば丹羽さんの布団も、寝て感動するとかってよく聞くけど、それと同じようなことが、高校3年生の時にあって。
そこから椅子が好きになって、 でも情報がなくて。
で、これが当時、その時に出てた雑誌。
これは当時そのイームズに座らせてもらったお店で見せてもらってた雑誌。
今みたいにネット通販とかもないから、バックナンバーとかでも手に入んなくて、これはもう当時買えなかったのを、改めて後に買ったんですけど。

その後に出たこの96年の『ハッピーなインテリア』っていうのを当時買って、ほんとこれ何年かぶりかにこう見ましたけど、 ほとんど中身覚えてるんですよね。

BRUTUS 360

インテリアの内容に関しては、今見るとチープなものなんですよ。
こんなトイレにチャールズ皇太子の額とか、わけのわかんない写真ですけど、当時は「かっこいいな」って見てて。
それで結局、椅子が好きになって、当時、僕がいた岡山の田舎にある丸善の洋書コーナーに行って、インテリアのコーナーで洋書をずっと読んでて、この『Mid century modern』ってミットセンチュリーの教科書みたいな本なんですけど、 これを買って、本当穴が開くほど読んでた。

Mid century modern

それからは休みの日はいつも丸善にいて、椅子の本をほとんど見尽くしたんですよ。お金無いから立ち読みなんですけどね。で、今度は隣のコーナーにインテリアの本があって、インテリアの本を見ていってたの。で、インテリアの本もほぼ見尽くして、今度隣のコーナーに何があったかっって言ったら、建築のコーナーがあったんですよ。それを、大して英語も読めるわけでもないけど、訳も分からず見てて、そしたら当時、古着屋の友達に「俺はすごい本を見つけた」って。それはすごい建築を見つけたってことなんだけど、「家の中に滝が流れてた」って。それって、“フランク・ロイド・ライト”“落水荘”っていう、もうすごく有名な建築なんですけど。世の中にこんなものがあるんだっていうのに衝撃を受けたの。で、気が付いたら、椅子がインテリアになって、インテリアが建築になって。でも、高校生3年生の時にこういうの知ったんで、もう進路は決まってたんですよね。僕、大学は商学部なんですけど、まあ将来家具屋をやれたらいいかなぐらいな感じだったんですけど、それが岡山から、都会の名古屋に来たら、売りたい家具は、もう売られてるんですよね。じゃ、僕がする必要ないのかなと思って、そこから色んなことをやってったら、 設計士、建築家っていう職業があるんだっていうのを知って、大学出た後に、地元の岡山に戻って、資格も学歴もないから設計事務所に入れなかったので、アルバイトで設計事務所に入らせてもらった。でも給料そんななくて食えなくて、朝から17時まで設計事務所で働いて、17時から22時までレストランでウェイターをして終わったら、また事務所に戻って仕事をするみたいな。それを、24歳ぐらいかな、社員にしてもらえるまでやってた。この辺が今の僕に至るきっかけになった雑誌です。

それと『デザインのデザイン』という日本デザインセンターの原研哉さんの本。
僕は“デザイナー”なんですよ、“アーティスト”じゃないんですよ。
丹羽さんともよく、この話したりしてて、作家と職人って言ったら、「僕は職人だ」って言うんですよ、はっきりしてるんですよ。
建築士って、アーティストみたいなスタンスで仕事してる人いるんですね。
「俺の作品はさ」みたいな。なんだけど、僕はそうでは無くて、“実績”って思ってる。
それはデザイナーだから。デザイナーっていうのは、問題を解決する人間だと思ってるんですよ。
でもアーティストにちょっとなろうとしてる自分もいたりする。そんな葛藤がある中で、イクスデザインって屋号に“デザイン”をつけてるのは、「僕はアーティストじゃないんだよ」っていうのを戒めるというか、間違えないようにするため。
その“デザイン”っていうのを屋号につけたきっかけになるような話がこの本には色々と書かれてる。
そんな話もちょっと今日はできたらなと思ってます。

デザインのデザイン

PART-4 【伝えることの大切さ】へ続く。

PART-1【それぞれの歩んできた道】
PART-2【きっかけは1枚の布団の写真】

プロフィール
丹羽拓也(にわたくや)
instagram 
@niwatakuya
1978年生まれ
丹羽ふとん店 5代目
寝具製作技能士一級
ふとん職人としては2011年に第26回技能グランプリにて優勝。
日々のふとん制作だけでなく、ふとんを通じた様々な活動を積極的に取り組む。
学生時代からの趣味の動画制作や写真撮影を活かし、SNSなどを利用したり、実演、ワークショップなど、ふとん職人として、インテリアやアパレルなど多岐にわたり挑戦。
あらゆる取り組みから、伝統の技法を使い「現代のふとん」の価値を見出している。
2017年 レクサスが主催となり、日本の各地で活動する、地域の特色や技術を生かしながら、自由な発想で、新しいモノづくりに取り組む若き「匠」に対し、地域から日本全国へ、そして世界へ羽ばたくサポートをするプロジェクト“LEXUS NEW TAKUMI PROJECT”に、全国から選出された51名の「匠」の一人として選ばれる。 
2019年 ロンドンの日常の暮らしに溶け込ませる尾州の毛織物を使ったプロダクトを持って、新たな挑戦としてLondon Craft Week 2019に参加。 
https://niwafuton.com/

プロフィール
小林正和(こばやしまさかず)
instagram  
@iks_kobayashi
1979年生まれ
イクスデザイン 代表
学生時代からの家具好きが昴じ、家具からインテリア、建築へと興味が広がり大学卒業後、設計事務所へ入所。
岡山、東京の設計事務所を経て、2012年にイクスデザインとして学生時代を過ごした名古屋で独立。
現在は東海圏を中心に建築設計、インテリアデザインを行う。
手掛けたお店やクリニックなどを国内外の書籍やデザインサイトにて紹介される。
http://iks-d.jp/

ナナメにつながるきっかけを”をビジョンに掲げ活動するMIJP(NPOメイド・イン・ジャパン・プロジェクト)にご興味を持たれた方は是非リンクよりお問い合わせください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?