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Vol.12② 法学徒の基底 〜2016年夏、本郷〜

Vol.12① 法学徒の基底 〜2016年夏、本郷〜

面倒がらないための秘訣


六法を引くというのもそうですし、どんな勉強にも、マメさというのでしょうか、その都度調べたりすることが必要だと思うのですが、やっぱりついつい面倒になったりしませんか?

面倒に思わないための秘訣がありましたら教えていただけますか?

面倒がりの私にそれを聞きますか?(笑)

そうですね……。
ひとつ、自分のやり方では、「深く考えない」というのが効果があります。

あれをしなきゃな、と思うと面倒になるんだったら、あれをしなきゃと思ったとたんにすぐ動いて、やってしまうんです。
考えずに。

イメージ的には、「あれをしなきゃ」の「あれを」くらいが脳裏に浮かんだときにはもう体が動いてるみたいな。

辞書を引くなら、そう思った瞬間に辞書に手を伸ばして開くとか。
辞書がもし隣の部屋にあるなら、ああ隣の部屋にあるなあ、なんて考える間もなく一瞬で立ち上がって取りに行って戻ってきて調べるまでを一息にやるとか。

しなきゃと思ってるとどんどん面倒になるんで、思う間をなくしてしまうんです。
いきなり動くんです。
そこに思考を挟む間がないように、すぐ。

な、なるほど!
考える間を作らずに即動く、ですね。


それは勉強だけでなく仕事にも応用できそうですね!

もちろん、慎重な熟考が必要な性質のものはダメですよ!
会社の合併とか(笑)。

それと、大邸宅での断捨離、みたいに実行に時間がかかるものも不向きです(笑)。

あくまで、始めたらさっと終わらせられるもので、かつ、辞書を引くとか単純作業的なものに限ってした方がいいと思います(笑)。

人は、面倒なときに、「それをしなくてもいい理由」みたいなことをどんどん考えついたりしますから、それを考える隙を自分に与えないようにするんです。

いや、人はって一般化していいものか。
私だけかもしれませんけどね(笑)。


⁂ ⁂ ⁂

「自分の頭で考える」こと

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▲夕食前に寸暇を惜しんで不法行為法(民法)の勉強

勉強のときに「深く考えない」というのは、ある意味で目から鱗といいますか、逆転の発想のように思いました。

ついつい何事も深く考えなければと思ってしまいますけど、単純作業で済むことは、考えることが逆に妨げになるということですね。


そうですね、頭を使わない作業の部分も勉強時間の中にはありますからね。

辞書を引いて調べたその後は、それを使って考えたりしますけど、辞書を引くという行為自体を前後から切り分けると、その部分は肉体的な単純作業になりますから。

勉強は効率性だけを見るべきじゃないと思いますけど、でも明らかに考えなくていいところは考えずにしておいて、エネルギーは他に回すのがいいかと思います。

肝に銘じようと思います!

それとちょっと似たことなんですけど、法学部に入ったときに、法律の勉強は「自分の頭で考える」ことが必要だとおっしゃる先生が何人かいらっしゃいました。

その言葉をそのまま、当時しばらく愚直に信じてしまっていて、穴にはまりました。

というのは?

基本的な知識もない段階で、自分の頭で考えようとしてたんです。
だから、試験の問題でも、もともとある裁判例や学説の動向をろくに知りもしないのに、その法律問題を自分なりに解こうとしたんですよね。

自分の頭で考えようとして。

それは、やり方として正しくないということですか?

正しくないんです。

そもそもの前提というか、その事例のどこが、どういう法的な点で、なぜ法的な問題になっているのかをわかっていることが、法律の問題を解くためのまず一歩目で、それには、まず一定の基本的な知識をもってないと無理なんです。

その基本が身についてないのに、ただ「自分の頭で考える」という言葉にとらわれてしまって、最初の頃は本当に自分なりの答案を書いたりしてました。

でもそれって、法律の答案になりえないんですよね。

法律の素地がないままに思ったことを書くのは、たとえどんなに立派なことや独創的なことを書いたとしても、単なる意見表明というか、感想文というか、とにかく法律の勉強の中では無意味な答案にしかならないんです。

法律の答案として、そういうものは求められていないんですね?

そう、求められてないんです。
だから、法律の答案としては点数がつけられないんです。

東大の試験で一回だけ「可」を取ってしまったことがあったんですけど……。
※成績評価は上位から順に「優上」、「優」、「良」、「可」、「不可」となります。インタビューVol.4② 参照

ええ、民法の試験でと話しておられましたね。
インタビューVol.5② 参照

はい、「民法基礎演習」ですね。
法学部に入って最初の学期末試験で受けた科目だったんですけど、まさにこの試験で、「自分の頭で考える」ことをしてしまったんですよね。
法的な知識もなく、法的な思考もせず、ただ独自の意見を書いてしまったんです。

そうそう、判例で「畢竟(ひっきょう)独自の見解」というフレーズが出てくることがあるんです。
原告なり被告なりの主張を裁判所が退けるときに使われるフレーズなんですけど。

「論旨は畢竟独自の見解を主張するものであって、到底採用できない」、みたいな。

「畢竟」なんて、普段使わないですよね?

絶対日常で使わないですよね。

でも、なぜかその言い回しが気に入ってしまって、頭にインプットしてます(笑)。

自分ではおそらく一生使うことはないフレーズですけどね、「いやあ、あなたの言ってることは畢竟独自の見解ですから! 到底採用できないですね!」なんて(笑)。

それはともかく、独自の見解を書いた民基礎の答案は、客観的に見たら、「可」になっても仕方ない答案でした。
ちょっとは勉強したので悔しかったですけどね(笑)。

他にもそういう学生さんがいらっしゃったかもしれませんね?
それなら、法学部に入ったばかりの学生さんに対して、先生方が「自分の頭で考えるのが必要」なんておっしゃるのは、学生さんを迷わせてしまうのでは……?


先生方のおっしゃったことはまったく正しいんですよね。
ただ、その真意は、たしかに初学者には伝わりにくいし、迷う人は迷うと思います。

多くの学部生からすると、法律を自分の頭で考えることができる段階って、ずっとずっと先にあるんです。
まずは基本的な知識や法的な考え方の枠組みを自分にインストールしないといけないんですけど、それだけでもう膨大だし難しいことなので。

私の場合は、民基礎の試験が「可」だったことで、この段階で「自分の頭で考える」ことに疑問をもったんですよね。
これ、少なくとも今の自分にとってはミスリーディングな言葉だなと思って。

で、じゃあ自分の頭で考えようとすることはしばらく封印して、まずは基礎を頭に入れよう、それもできるだけ多く、話はそれからだ、と考えたんです。

そこから、いろいろな基本書や論文や法学雑誌の特集なんかを読みあさりました。

読んでいて、ときには自分なりに考えたりしたくなるようなトピックもありましたけど、まずはベースを作らねばと思ってひたすら読んでました。

考えたくなるようなトピックというのは、たとえばどんなものでした?

この学期は民法第4部という科目を履修してたんですけど、民法4部の範囲は親族法と相続法なんです。
その中だと、親族の問題が身近に感じられて、たとえば選択的夫婦別姓の問題とか、離婚後の親権のあり方とか、後見制度の問題とか、そういったものが社会人としても興味深かったです。

結婚と離婚と子どもと親との関係と……。
たしかに、親族法は私たちに身近な問題を扱っているのですね。

相続法は、名前の通り相続のことなんですよね?


そうですね、名前の通り。
個人的な好みとしては、相続法より親族法の方が面白かったですけど、でもとにかく民法4部の試験に向けて親族法・相続法関係のものを読み続けてました。

結局、初学者から先に進んでいくにあたって、そういう読んで読んでひたすら読んで、みたいなやり方が自分には合ってたんでしょうね。
徐々に徐々に理解が進むにつれて、最初はまったく書けなかった法律の答案も書けるようになっていきました。

気がついたらいつの間にかできるようになっていた、みたいな?

そうなんです。
気がつくと書けるようになってた、という。

最初はできなかったものが気がつくとできるようになってたって、嬉しいものですね。
そうなった頃にやっと、少しですけど、自分の頭で考えたことを答案に入れ込めるようになってきたことにも気がつくんです。

ああ、ついに!

ある意味、法学の勉強は、外国語の勉強と共通するところがあるように思います。

最初は何もかもが未知のところから、用語の意味や法的三段論法や条文への当てはめ方を学んで、現実の事件の判例も読んでいくんですけど、外国語を学ぶときに、単語の意味や構文や文法を学んで、その国の文化や慣習もあわせて知ろうとするのと似てるなって。

法学と外国語の両方を学んできた佐々木さんだから見えてくるものがあるんでしょうね。


次回、東大法学部生の試験対策!とは……?


お読みいただいてありがとうございます。
次回に続きます!
Vol.13① 法学徒の発見 〜2016年夏、本郷〜

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↑ 本noteの元記事

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