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流山本町ツアーで見る・聞く・深める

昨年の話になりますが、流山本町ツアーに参加しました。
2022年11月よりmachiminの店頭に立たせていただき、流山本町のことをお客様に聞きながら知っていく時間を過ごすこと1ヶ月。

流山本町の観光名所と言われる場所などを知っていきながらも、理解までは至らず。
理解できていないと、お客様に流山本町の”魅力”を伝えることはできないとモヤモヤする日々。

どうしたら良いかなと思っていたときに、手塚さんや橋本さんが参加されていたNPO流山史跡ガイドの会のガイドさんによるツアーのことを思い出しました。

史跡ガイド歴10年以上!岡さんによる流山本町ツアー

早速、史跡ガイドの会のHPからツアーの予約をして、ガイド歴10年以上の岡さんによる流山本町ツアーに参加してきました!

流山史跡ガイドの方々は流山の郷土試験を合格された総勢50名以上のガイドさんから構成されています。
岡さんはライトブルーの史跡ガイド限定アウターの装いで、リュックの中には郷土試験のテキストである「流山のむかし」が入っておりました。

流山のむかし

当日は流山駅で10時に待ち合わせをし、12時までに流山駅に戻ってくる2時間コースでお願いしました。

歴史的な建物から、当時の様子に思いを馳せる

流山本町の魅力といえば、旧市街地の古い建物が見られることです。
足早な岡さんにせっせとついていきながら、立ち止まると見どころスポットの紹介です。

管理栄養士のビストロ・EIZEN

こちらは管理栄養士のビストロEIZENさんです。
地元の方からも「EIZENさんのご飯はヘルシーで美味しい」とお聞きしていました。なんと1食あたり塩分2g未満のヘルシーランチがあるそうです。「大正ロマンの雰囲気が残る建物を活かして、EIZENさんはできました。元は仕立て屋さんだったんですよ。」と岡さん。
”カラフルでかわいい建物だな”と思っていましたが、岡さんの情報で建物の背景を知り、大正の街並みや人々の暮らしを想像します。

岡さんが地図を見せながら説明してくれます。

「EIZENさんのある諏訪道を流山市役所に向かって進むと布施につながっているんです。明治23年に作られた人工の川が利根運河です。」と手持ちの地図を見せながら伝えてくれます。
「流山は水運で江戸とつながり、荷物の集積所になって大繁栄しました。そしてみりんの醸造業で財を成し、産業都市になっていったのです。」
見たことのある道も歴史を知ることで、景色に体温が加わり愛着が増します。

鬼瓦の説明をする岡さん
流山における国の有形文化財第一号/呉服屋・新川屋さん
北側の鬼瓦には恵比寿様

千葉の子どもの教育は、お寺から始まった?

流山本町にある常与寺は、”学校として使われていた”ということを聞いたことがありました。

「かつての県庁所在地だった流山にある常与寺に、明治5年に全国の小学校設立を目指す学制の発布に伴い、小学校が設立されたんです。」

「常与寺は千葉県で1番最初の小学校であり、常与寺から始まった小学校が2022年で150周年を迎える流山小学校です。常与寺には小学校と共に、千葉師範学校も創設され、現在は千葉大学教育学部になっています。」
お寺から始まった教育の歴史を紐解くと、千葉の近代教育の発祥の地につながりました。
常与寺の外観を見るだけでは分からない、千葉の歴史がそこにはありました。

かつての県庁所在地だった流山
千葉師範学校発祥の地
かつての流山小学校

みりんで産業都市となり、花開いた流山の文化

流山本町といえば”みりん”ということだけは知っていましたが、最近になって「天晴みりん」「万上みりん」の2大みりんで栄えていたことを知りました。
流山本町の万上通りを歩いていると、キッコーマンのみりん工場があります。みりん工場の前を通ると、ほのかにみりんの香りがして、ここで本当に作られているんだなと実感します。
みりん工場の前には「まちなかミュージアム」と題して、万上みりんの昔の風景を描いた銅版画や歌川広重が描いた江戸の風景画が飾られています。「今で言う出店で食事を楽しむ江戸の人々が描かれており、みりんが使われていた様子を見ることができます」と岡さん。
水運で江戸とつながり、みりんがこうして江戸に運ばれて庶民の食文化に溶け込み、流山が発展していく歴史の一コマをみることができます。

万上・堀切紋次郎のみりん工場
流山の2大みりん・万上みりん×天晴みりん
歌川広重の江戸の食文化が描かれた風景画

万上通りをさらに先に進み、天晴通りを歩いていると、一茶双樹記念館に到着。一茶は小林一茶、双樹は天晴みりん醸造5代目の秋元双樹をさし、家業の傍ら俳句をたしなんでいた双樹と一茶の親交は深かったそうです。

双樹亭の縁側

双樹亭の美しい縁側を見ていると「当時は贅沢ができなかったため、双樹亭を建てるときは節目のない正目の柱を使ったり、見えないところにこだわったそうです。」と岡さん。話を聞くことでより建物から奥ゆかしさやが漂い、いっそう趣を感じられる気がします。

枯山水
一茶の句碑

「流山に縁のある文化人は一茶だけではないんです。夏目漱石も秋元家の秋元梧樓が企画した”三愚集”という作品に携わっているんですよ。」と言って、三愚集で描かれる小川芋銭のカッパの俳画の資料を見せながら説明してくれました。
こんな話も史跡ガイドの岡さんから聞かないと、知らないままだった、流山の文化の広がりです。
「産業が栄えていたからこそ文化も発展していったのですね」とお話しながら、何かが繁栄していく過程は、複数の事象が影響しあっているんだなと流山本町の歴史からも学びとることができます。


他にもココには紹介しきれていませんが、流山本町のハッと驚く発見が詰まったツアーでした。
総勢50名以上の史跡ガイドさん、皆さんきっと個性があり、流山の好きな場所が異なるんだろうと思います。2時間のツアーでこれほどまでに凝縮したお話がお聞きできるのであれば、様々なガイドさんから違った角度で流山の魅力についてお聞きしてみたいなと思いました。

また参加したらレポを書こうと思います。

江戸川の河川敷から見える富士山

おまけです。
ツアーの日は、江戸川の河川敷から富士山が見えました。
「雨上がりで空気が澄んでいるから見えるんですね。珍しいです。」と岡さん。
富士信仰で浅間神社に富士塚を作った昔の人を思いながら、なんだか運気が上がりそうだなと嬉しくなりました。

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