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いつも思うここではないどこかへ

急に日が長くなり朝起きても外が明るい。19時頃まで日が沈まない。油断して薄着で出るとまだまだ肌寒い北風と突然の雨にずぶぬれになるような気候。用事以外は窓が大きい部屋の中で、太陽の光を浴びながら過ごすのが気持ちの良い季節。最近は少しお菓子作りなんかもしてみたり。

こう日が伸びてくると、暗く寒く家に籠りがちだった冬が恋しくなるから不思議た。温かい飲み物を飲みながら永遠に本を読んでいられる、それが許される季節な気がするのだ。

思えば幼い頃は夢見がちな子どもだった。親が子どもを叱るときによく言う本当はお前は橋の下でひろってきたんだよという言葉。まあ実際にいう親はなかなかいないだろう。わたしはそれが本当だったら良かったのにと思うような子どもだった。どこかに見たことのない素敵な両親が私を連れてってくれたらどんなに良いのにと。遠野物語のような日本の昔話もどこかで本当にあったのではないかと15歳くらいまで本気で信じていた。願っていたという方が正しいかもしれない。想像は常に現実を凌駕した。外国に住みたいと初めて思ったのはもういつ頃か忘れてしまった。小学生時代にこつこつと続けていた真剣ゼミの赤ペン先生にイギリスに留学してアメリカで働きたいと書いていたのを数年前に見つけこんな昔から考えていたんだと驚いた。その夢は半分は叶って半分はまだ叶っていない。

どんな形であれイギリスに住むのは夢だったし、言葉も必死に勉強した。友人や恋人もでき自分なりの居場所もできた。しかしそこが最終地点だとは思えなかった。また何かを探さなきゃ。私の夢は振り出しに戻る。日本に帰国し仕事をしながらもどこか上の空の自分を感じていた。これは本当の自分じゃない、どこかへ行くための助走期間なのだと自分を励ましたり慰めたりしていた。どこへ行きたいかはまだわからなかった。アメリカはフランス人の夫とビザのことを考えると踏み切れず、そこまで行きたいかもわからなかった。アメリカそのものに行きたいのではなく、アメリカに象徴される何かに憧れていただけなのだ。

ひょんなことからベルギーに来ることを決めた。ベルギーに住んでいる人のSNSやブログをたくさん読み期待に胸を膨らませた。実際ベルギーに来た時は見るもの会う人全てにわくわくし高揚感であふれていた。ここからまた新しい人生が始まると思うと嬉しくてしょうがなかった。

移住して今年の秋で3年になる。初期に感じた高揚感は薄らいで日常が戻ってきた。イギリスに住んでも、ベルギーに住んでもまた日本でも日常は日々細かい業務に追われ楽しいこともあるが退屈な事も多い。そしてその小さな積み重ねが大事なことはどこに住んでもおんなじだ。

カフェでコーヒーを飲みながら思う。またどこかへ行きたいと。ある晴れた陽ざしが温かい午後、10歳のわたしが自分の部屋で母親と七五三の着物を見ながら成人式用に仕立て直す話をしたあの日を昨日のことのように覚えている。あの時10年、20年は一瞬にして過ぎるのではないかとタイムスリップするような不思議な気持ちになったのだ。そんな気持ちをカフェでも感じた。このままどこかへ行きたい気持ちを持ち続けながら何も成し遂げられず60歳のおばあさんになってしまったらどうしよう。ふとそんな不安とまたタイムスリップするような幻想に襲われたのだ。

それでもいいじゃない、お金がなくたって何も成し遂げてなくたって、いつもどこかへ行きたい気持ちを持ち続けているおばあさんでいいじゃない。そんな言葉が木漏れ日から聞こえてくる。ような気がした。

やっぱり春はいい。

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