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ぼくは日本人でフランス人で、ちょっぴりベルギー人

3年ぶりの日本への滞在はわずか2週間と短かったけど、楽しいだけでなく子ども達自身に大きな影響を及ぼしたようだ。ずっと自分は日本人、ことあるごとに日本に帰りたいと言っていた長男が発したこの一言。

ぼくは日本人でフランス人で、ちょっぴりベルギー人なんだ。

急に告げられた時は少し驚いた。「どうしてそう思うようになったの?」と聞いてみると、どうやらパパと2人でいる時に外国人だとまわりの人が話しているのが聞こえたらしい。多分悪気があったわけではない。

生まれながらに白に近いブロンドを持つベルギーの子どもが多いこのルーヴェンでは息子の栗色の髪と少し焼けた肌は少し異なる。ベルギーでも彼は外国人として扱われることが多いのだ。もちろん国籍含め多様なバックグラウンドを持つ子どもが多いので気になるほどではないが。でも自分は日本人だからと信じていた日本で外国人として見られることは彼の心にどのように響いたのかわからない。わたしは子ども達が小さいときから日本でポジティブながら「お人形さんみたいだね」と特別に扱われることがどうも腑に落ちずもやもやしていた。子ども達は小さすぎて気づいていなかったが、ついにその時がやってきたのだ。

自国で外国人と思われる辛さをイギリス時代知り合った友人から聞いたことがあった。日本とフランスでどちらもルーツがあるというのは、どちらでも外国人として見られる可能性があるという両親が感じたこともない現実を生きなくてはならない。高校時から帰国子女やハーフ、親のバックグラウンドが育った国とは異なる友人にたくさん出会ってきた。アイデンティティに悩んでない子は稀だった。わたし自身は日本におけるスタンダードになじめず葛藤をかかえていたが、それとは別次元の問題だと若いながら感じた。

長男はベルギーでもまわりがわたしについて中国人だと話しているのが聞こえると「ママは日本人なのに中国人という人がいる。」と少し悲し気で複雑な顔で教えてくれる。わたし自身はすでに気にするという境地も過ぎてまあそれは当たり前だよねと答える。何人に見られるかをコントロールすることはできない。まわりから推測される国籍と自分の国籍が違って全く問題なく、何ならパスポートと自分が信じる国籍が違ったっていいんだよ。また自分が何人かと思うアイデンティティも一つでなくて複数でいいしアイデンティティ自身も固定ではなく変化するものなんだよ、と根気よく伝える。こういった人類学や他の社会科学でも?であたり前の概念は一般的には希薄だと教授が話していたのを思いだす。

自国で外国人として見られながら生きるより家族みんなが外国人になればいいんじゃない。そんな思いで始めたベルギー生活だった。自分がベルギー人でもあると話す息子の声は明るい。それはとてもポジティブな発見だったのだ。

プレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を思い出す。思った以上に過激でなく息子さんへの愛に溢れた母親の物語だった。わたしも息子の生きる道を見つめ続けたいなと思った7歳の夏。

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