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あの恋の終わりに私は

「あれ以上の失恋って、私の人生でたぶんもうないんだろうなぁ」とたまに考える。
めちゃくちゃ大好きで、毎日心地よいふとんでごろごろしているような安心感をくれた恋人を、彼と共に積み重ねていくはずの未来を、7年前私は失った。

東京の小さな町で、私は恋人と一緒に暮らしていた。彼はものの見方や表現のしかたが私とはずいぶん違っていて、その感性や使う言葉が私はとても好きだった。
彼といると、駅から家へ向かうなんでもない帰り道も、夏の夜にコンビニで買ったアイスを食べながらする散歩も、ベランダから見えるものすごい色の夕焼けも、猫が見せるヘンテコなポーズにゲラゲラ笑い合う昼下がりも、日常の何もかもが感情を振るわせる特別な時間で、こんな喜びを自分以外の誰かと共有できるなんて奇跡みたいだ、とよく思った。
どこを切り取っても私たちの暮らしには小さなガラス玉みたいな幸せがキラキラと詰まっていたように思う。私の心は、穏やかで暖かな愛情でいつも満たされていた。

私はその幸福な生活を、「結婚」という形で続けていくことを求めた。夫婦になったら、子どもが生まれて家族になったら、今ある幸せの総量がもっと増えるはず。そう信じていたのだ。

でも、彼は違った。
彼は「結婚」を怖がった。
「結婚がずっと続くものだと信じられない」
「今が幸せだからこのままでいたい」と。
彼は、不確定な未来において、私のことも彼自身のことも、何も信じていなかったのだ。
そこから数ヶ月かけて幾度か話し合いもしたけれど、彼の怖れを払拭できるほどの安心や信頼を、私は彼に与えることができなかった。

別れる前の三ヶ月くらいは、私は自分の年齢と今後の結婚・出産の可能性をネガティブに見積もって、そりゃあもう怯えていた。
「このまま彼の気持ちが変わるまで何年も待っていて大丈夫なんだろうか」
「何年も待った挙句、結局フラれて、その後の結婚・出産もできなくなったら…」
「いま別れて他の相手を探した方がいいのかもしれない」
「彼を待ちたい、でも怖い」
そんな葛藤で気持ちがグチャグチャで、心はいつも乱気流の雲の中。
私が「自分の幸せ」を最も他人に預けていた時期だと思う。

彼に「なんでハッキリ決めてくれないんだ」と腹を立てる一方で、当の私自身、彼を信じて待つことにも、彼が全てじゃないと別離へ踏み出すことにも、どちらにもコミットできていなかった。
自分の選択の責任を引き受けられなかった。自分の軸がグラグラゆえの他責思考で、彼を悪者にして、自分を被害者にした。
その結果、ある日我慢の限界がきて、怒りや悲しみに任せて彼を責め立てたのだ。
それが別れの決定打になった。

彼の本心を知りたくてさまざま問いを向けたけれど、彼は「俺の問題だから」としか語らなかったので、あのころ胸の内で何をどう感じていたのか、本当のところを未だ私は知らない。
あのころの彼は、ひたすらに自分の内側に潜っていって、それ以上傷つけられないように重い扉を締め切って中に閉じこもっているように見えた。
はっきりした理由もわからないまま、私と彼は終わった。

孤独だった。
一番信頼していた人との繋がりが切れて、世界中に自分ひとりのような。
果てしない孤独感の中で、私は必死に息をした。
あのとき以上に自分の存在を価値のないちっぽけなものに感じたことは、後にも先にもない。

【最後の数ヶ月、私がやるべきだったこと】

あれから七年経って、わかったことがたくさんあるのでそれについてお話ししたい。
今の私は「あのときこうしていたら良かったなぁ(彼と続くにしても別れるにしても)」と、それなりに客観性をもって振り返れるようになっている(よくがんばった私!)
おおまかにまとめると、当時私がやるべきだったことは三つ。

まず第一に、『自分の価値を信じる』。
何を置いてもこれだ。
当時は無自覚だったけれど、私は自分が他者から愛されるに足る人間だと思っていなかった。
彼は私をとても好いてくれていて、それは私もよくよくわかっていた。でもそれとは違う次元、心のもっともっと深い階層で、「私は価値の低い存在だから、誰も私を愛さない」、そんな思いを強く握りしめていた。

もし私が「愛される私」を当たり前としていたなら、彼が結婚に二の足を踏んでいても、「私ならこれから彼と強い絆を作っていける。必ず選ばれるから大丈夫だ」と根拠もなく思えただろう。
あるいは「ほう、私との結婚を迷うとは。私の良さがわからん男なんてもういらんわい」とさっさと立ち去るという道もあっただろう。

私は、「年齢とともに自分の価値は目減りしていく」「年齢が増えるほど選ばれなくなる」と、世の中一般の価値観を信じ込んでいた。
けれど、「いつどんなときも価値ある私」であったなら「私の価値は年齢に左右されたりしない。仮に数年後に彼にフラれても、私なら他の素晴らしい人とまた関係を新しくつくっていける」そう考えて、ブレまくる彼のことをどっしり構えて待つこともできただろう。

二つ目が、『執着をゆるめる』だ。
私は、とにかく結婚、そしてその先の子どもに強く執着していた。
世の30代女性のスタンダードは結婚、そして出産だ。周りの女友達も結婚しているし子どもがいる。それが無いと私は幸せになれない、それがないと他人より不幸。そう思っていた。
結婚しないで子どもをもたないでも幸せに生きられるなんて思えず、想像するだけで怖かった。愛し合う人との幸せな生活をただ続けていく、それだけでは足りない。
そんな欠乏感から「結婚」という形を強く求めてしまった。
彼は、「こいつは俺といたいのか、それとも結婚と結婚したいのか」そんなふうに内心思っていたかもしれない。

一つ目の『自分の価値を信じる』にも通じるけれど、結婚や子ども(もっと言えば恋人も)という、いわば”オプション”的な付加価値をくっつけなくても、「何も持たない私」のままで価値があると思えたら良かったのに。当時はそんなことできるって全然思わなかった。
そして、そうなれない自分をまたちくちくと責めたものだ。
「なんでそんなに結婚に執着してるの。自分一人でも幸せにならないといけないのに」って、”正解”の通りになれない自分が情けなかった。

『執着を手放す』と書いたけれど、いきなりゼロにするのはとても難しい。そうなれない自分にダメ出しして、ただでさえ低い自己肯定感をますます下げるくらいなら、執着があってもいいではないか。矛盾するようだけど、今はそう思う。
『手放す』の前にまずは『ゆるめる』ぐらいを目標にすればいい。
「そりゃみんな結婚してるんだもん、自分もって思っちゃうよね。一人は寂しいよね」って自分に寄り添って、そのときの感情を認めてあげたら良かった。そのほうが結果的に手放しが進んだのかもしれない。

三つ目は、『自分で主体的に決める』ということ。
私は自己肯定感が低いがゆえのスーパー他人軸で、「結婚するんだかしないんだかハッキリしない彼に振り回されてる不憫な彼女」という被害者ポジションを決め込み、彼にイライラしたり泣いたり、逆に結婚相手として選ばれるよう笑顔で家の雰囲気を楽しいものにするよう努めたりしていた。
彼がどうするかに関係なく、自分自身の気持ち一つで「腰を据えて待つ」か「潔く別れる」か選択することだってできたのに。それをしないで彼の言動に浮き沈みしながら何ヶ月も意思なく濁流に流され続けた。

相手が自分を結婚相手として合格とするか不合格とするかによって自分の価値や幸せが決まる、相手にしか生殺与奪の権がないという心理状態は、すごく不健康で不自由だ。
毎日が妻適正試験。明日には不合格通知を渡されるかもしれない。当時の私は本当に疲弊していた。

あのとき私は、自分主体で未来を選択すべきだったのだ。
どれを選んでも後々後悔する気がして怖くて何も決められなかったけど、本当は自分の価値や可能性を信じて、「よっしゃ自分で自分を幸せにしたろ」って責任をがしっと引き受けられたら良かった。
自分の人生のハンドル操作を彼任せにせずに、「私こっち行きますんで!あなたはあなたでご自由にどうぞ!」とやれば良かった。

他人任せにするとどうしても受け身の姿勢で被害者意識が生まれて、恨みつらみが出てくる。自分で主体的に決めてたら彼のせいにしてあんなに責めたり恨んだりしなかったはず。
幸せだった二人の暮らしの最後がひどいものになってしまったことは今も私の心をチクリと痛ませるし、人生の中でも特別な時間と思い出をもらったのにちゃんと感謝を伝えられなかったなぁ、と悔やむ気持ちもある。

まあ別れなんて大概はズルさや弱さの応酬だったりどっちが悪い悪くないの泥試合だったりで、そんな清々しくヘルシーなことなんてなかなか無いのかもしれないけれど。
理想としては甲子園の決勝戦のあとの主将同士みたいに、いろんな思いを胸に美しく握手して終われていたら良かったなぁ、なんて思ったりするのだ。

【あの恋を失ったのは、それが私に必要なことだったから】

彼を失ったあと、私は落ち込みに落ち込んで、自分を責めたり彼を責めたりもうぐっちゃぐちゃのぺっしゃんこだったけれど、ずっとそのまま塩をかけたナメクジのような状態でいたわけではなかった。

なぜこの恋は終わってしまったのか、なぜ彼は私と安心して結婚できると思えなかったのか、なぜ私はこんなに結婚に執着しているのか、なぜ私は愛される自分を信じられないのか。
知りたいことはいくらでもあった。
三十余年生きてきて、まともに「自分」に向き合ったことなんてなかった(そもそもそんな必要性を感じる機会もなかったのだ)けれど、この大失恋は、私に「自分」をもっと知りたい、いや知らねばならない、そう思わせるだけの大きなインパクトをもたらした。

そこから私は、自分のそれまでの人生と心理学を照らし合わせながら、自分についてひとつひとつ紐解いていった。本を読み、ノートに向かい、ていねいに自分の「現在」「過去」「未来」を見つめる作業を繰り返したのだ。

私は何が好きで、何に喜び、何をしているときが幸せなのか。
本当にやりたい仕事は何か、どこでどんな生活を送っていきたいのか。
それはどんなパートナーとだったら叶うのか。
今の私が抱えている生きづらさは過去のどんな体験に由来しているのか。
なぜパートナーが違っても毎回同じ種類のしんどさを感じるのか。
子ども時代の両親、弟との関係は、私の心や思考にどんな影響を及ぼしているのか。

そういった数えきれないほどの問いを自分に向けて立てた。そうして時間をかけて少しずつ、私は「自分」のことを知っていった。
「自己肯定感」「自分軸」なんかの、幸せに生きる上で必要不可欠とされる概念と出会い、それらを育てることに地道に取り組んだ。

おそらくあのまま彼と結婚できていたら、私は自分自身について知ろうとすることも過去と向き合うこともなかったはずだ。
自己肯定感が低いことを知りもせず、自分軸ももたないままで、尽きることのない悩みや不満に心を占領されながら今この瞬間も生きていたのだろう。
想像するとちょっと身震いしそうになる。だってそんなの怖すぎる。

彼と生きる人生を失ったことはすごく悲しく残念なことだったけれど、それ以上に、私が私を生きるきっかけとして、あの失恋は大きなターニングポイントの役割を果たした。
私が本来の私を取り戻して生きていくためには、絶対になくてはならないものだったのだ。

「起きる問題には全て意味がある」とよく言うけれど、苦しみから抜けた今となっては、めちゃくちゃつらかった大失恋にもこうしてプラスの意味づけができるようになる。
だから今失恋したてで苦しみのどん底にいるひとも、時間が経ったら、未来の幸せに繋がるような光をそこからすくい上げることができるはずだ。

失恋すると、とかく自分を責めて
「私がもっとこうしてたら」
「私があんなことしなければ」
と終わりのないたらればに苦しんで後悔しがちだけれど、私もあなたも、そのときの自分にできるベストを尽くしたのだ。
だから、自分を責めるよりも、そっと隣に座って
「よく頑張ったね」
「どうしたらいいかたくさん考えて精一杯やったよね」
「あなたは自分にできることを一生懸命やってたよ」
って、声をかけてあげてほしい。

それから、彼にフラれたことで「自分にはなんの価値もない」って感じて失ってしまった自信を、もう一度取り戻してほしい。
これから自分が幸せになれるのか不安でいっぱいかもしれないけれど、しっかりその怖れと向き合って根っこにある傷を丁寧に癒して、ありのままの自分の価値を認めたら、自分を幸せにする道を行くことができる。

親や友達や世間一般の価値観じゃなく、自分自身の想いに従って自分で決める。選んだ道を正解にする。
それだけが唯一確実に自分を幸せにする生き方なのだ。
必要なのは力こぶしや眉間に皺寄せた「絶対幸せになるぞ!」って決意ではなくて、
「私は幸せになっていいんだ」
「私はもともと幸せになる価値をもってる」
って自分に許可して『ゆるむ』こと。
それができたら、あとは勝手に幸せになるから大丈夫。
どうせ幸せになる。そう決まっている。
今のあなたがそう信じられなくても、私はあなたを信じている。

たくさん泣いて彼への罵詈雑言や感謝やまだ好きって気持ちや恨みつらみやもっと醜悪な罵詈雑言を思うさま吐き出しきって、少し落ち着いたら、幸せに笑っている未来のあなたを想像してほしい。
それから「そっちに自分を連れていく」って決めてほしい。
大丈夫、あなたにはできる。
だって私たちはいつだって自分のベストを尽くせる力をもっているんだから。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #失恋 #恋愛

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