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SNS上の映画仲間と、四年越しに出逢ってみた話
“運命の出逢い”。
この言葉に、いちいち異性関係・恋愛感情を交える必要はないだろう。
2021年の夏、俺は生まれて始めて“SNS上の友人”と対面し、彼と運命の出逢いを果たした。
以前述べたように、俺はとある映画関係のSNSを愛用している。対人交流を目的としていないので、面白い文章を書くな…と感じた人と、映画の嗜好が合いそうな人しかフォローしていない。
とはいえ、そんな人々ともコメント欄で交流をする機会がある。
的を射たレビューや熱の込もった文章には共感の意を示したくなるし、逆に共感してくれた人には礼節をもって接するよう心掛けている。
中でもとりわけ言葉を交わす機会が多い、約四年来の相互フォロワーがいた(上記の記事の“友人”とは別の人物だ)。
観ている映画の傾向は娯楽作品──特に八十年代以降の洋画が多く、かなり造詣が深いらしい。
文体からは程よい熱量と、心から作品を楽しんでいる様子が感じられる。さらに文章の内容から、彼が同性かつ同い年であることが読み取れた。
こうして次第に俺が覚えた親近感を、相手も同じように感じてくれていたのだろう。
「いつか会って話してみたいですね」
映画を語る傍ら、俺たちは時折そんな社交辞令を交わし合っていた。
ある時、俺は某映画レビューの文末をこのように締めた。
「ブルーレイの映像特典もいつか観たい」
何気ない余談のつもりだったが、彼は反応した。
「俺持ってるんで、今度貸しますよ」
…いつも通りの社交辞令か?いや、何故かそんな気はしない。今回は妙に具体性と真実味を感じる。
会ってみよう。 会ってみたい。
この機を逃したら、一生会えない気がする。
「本当ですか!ぜひお願いします!」
モノの貸し借りなど、あくまでも口実に過ぎない。俺は彼からブルーレイを借りる…否、彼と会う決断を下した。
すぐに臨時のTwitterアカウントを作り、彼とDMでの接触を試みた。会う場所と日取りはすぐに決まった。
顔も名も知らぬ人物とSNSを介して会うのは、それなりの緊張感を保つ必要がある行為だろう。しかし俺の胸中では、不安よりも興味と期待が膨らみ続けていた。
これまで単なる文字情報でしかなかった“彼”の実在。
それを確かめられることが、何より楽しみでたまらなかった。
数日後、俺はとある駅の改札前で、Tシャツが似合う好青年と対面した。
若干アメリカナイズされた雰囲気も感じたのは、“洋画好き”という先入観のせいかもしれない。
決して緊張はしなかったが、ハンドルネームを名乗るのは少々気恥ずかしかった。
駅前のカフェでアイスコーヒーを飲みながら、俺たちは絶え間なく話を続けた。
好きな俳優。
行きつけの映画館。
期待している新作。
お気に入りのサブスク。
叩かれがちなお気に入り作品の擁護。
今は亡き「木曜洋画劇場」「水曜シアター9」の思い出。
日常生活では決してできない会話がとめどなく溢れ出て、邪魔な敬語はいつの間にか消え去っていく。すっかり溶け切った氷とふにゃふにゃになった紙ストローが、会う決断に至ったことの正しさを証明していた。
俺は人に飢えている。
着実に身を固め出す友人たち。そして、以前よりも人と出会い難くなった昨今の時勢。対人関係が徐々に減っていく毎日は、俺の心を確実に消耗させている。
そんな最中に“趣味友”と巡り逢うことができたのは、俺にとって何よりの幸運だった。
年末、再び彼と対面する機会ができた。ブルーレイを返すついでに、お返しとして私物のDVDを添えることにした。
「刑事ジョー ママにお手あげ※」。
間違いなく気に入るだろう…という根拠のない自信とともにDVDを差し出すと、彼は苦笑した。
何と彼も自分の鞄から、おもむろに「刑事ジョー ママにお手あげ」を取り出した。
──2022年も仲良くやっていけそうだ。
口に含んだ豆乳ラテを吹き出しそうになりながら、俺はそう確信した。
※シルヴェスター・スタローン氏主演の珍作コメディ映画。第13回ゴールデンラズベリー賞(“最低映画”を選ぶジョーク賞)の“最低脚本賞”を受賞している怪作。
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