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ポテンシャルを秘めていたはず…! 映画「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」


1、樋口真嗣監督と“向き不向き”


 人間、誰しも“向き不向き”がある。全ての物事を器用にこなせる完璧超人なんて存在しない。それは表舞台に立ち、社会的に大成功を成し遂げている方であっても例外ではないだろう。
 例えば、現在公開中の「シン・ウルトラマン※」の監督:樋口真嗣氏…。この方は“特撮演出の天才”であると同時に“人物演出が苦手”と評されることが多い。この世評には、俺も概ね同意している。

 ※「シン・ウルトラマン 」はよく“庵野秀明作品”としてのみ語られがちだが、監督を務めたのはあくまでも樋口真嗣氏であることに留意する必要がある。



 あくまで私見に過ぎないが、一部の例を挙げてみよう。
 まず、怪獣・ミニチュアセット等に携わる“特技監督”として参加した平成ガメラ三部作──特に「ガメラ2  レギオン襲来」(1996)では、リアリティを持たせつつも非現実的なカタストロフィを見事に表現していた。以下の記事でも述べた通り、「レギオン襲来」は上映から四半世紀以上経過した2022年に観ても、近年の作品に対して全く見劣りしない大傑作であったと言える。


 勿論、「ガメラ2」の出来は監督の金子修介氏・脚本家の伊藤和典氏の実力の賜物でもあろう。しかし“怪獣映画”である以上、それらのパートの指揮を執った樋口氏の功績は特に大きく、その手腕・能力は讃えられて然るべきである。



 一方、“特技監督”ではなく監督を務めた「シン・ウルトラマン」。こちらはCGで作られた“カイジュウ”とウルトラマンが関わるシーンは概ね素晴らしくて非常に見応えがあったものの、等身大の人物が登場するドラマパートでは、多くの場面でぎこちなさと違和感を覚えざるをえなかった。(主人公:斎藤工氏とメフィラス成人:山本耕史氏が絡む幾つかの場面に関しては、そのぎこちなさ・違和感が良い方向に作用していたと思われる)。


 以前の記事でも数行だけのレビューは書いたものの、鑑賞してから一ヶ月以上が経った今も、その印象は概ね変わっていない。あえて付け足すなら、良い部分・悪い部分双方の要素とも、やはり樋口氏が監督を務めた実写版「進撃の巨人」二部作(2015)と何処と無く印象が似通っていたように感じている(世間的には悪評ばかりの作品だが、要所要所の“巨人”演出に関しては目を見張るものがあった)。



 では、そんな樋口監督がお得意の怪獣・ミニチュアを使わない映画を撮った場合、どのような作品を創り出すのか…?樋口監督にさほど詳しくない俺は、無性に興味が湧いた。そこで俺が選んだ作品が、本稿で述べる「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」(2008)である。


2、「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」とは


 本作は樋口真嗣氏が監督を務め、「劇団☆新感線」作品や「仮面ライダーフォーゼ」「プロメア」等でお馴染みの劇作家:中島かずき氏が脚本(原作からの大幅な脚色)を手掛けた、黒澤明監督の代表作「隠し砦の三悪人」のリメイク作品である。

<本作のあらすじ>

時は戦国。とある地方に、海に面した豊かな国・早川と、早川と同盟を結ぶ小国・秋月、そして覇権拡大に野心を燃やす山名の三国があった。ある日、山名が秋月に侵攻。圧倒的な軍勢の前に秋月城は陥落したが、生き残った雪姫と莫大な軍資金・黄金百貫は城から消えていた......。
 隠された黄金を探す金掘り師の武蔵(たけぞう)と木こりの新八は、ひょんな偶然から秋月の隠し金を発見する。その直後、ふたりの前に真壁六郎太と名乗るサムライとその弟が現れた。六郎太に金を奪われた武蔵たちは、秋月領から金を運び出す奇策を授ける代わりに分け前を要求する。金を運び出すために手を組む武蔵たちと六郎太。しかし六郎太には武蔵たちには言えぬ秘密があった。そしてそれぞれの思惑を胸にした一向の背後には、冷酷無比な山名のサムライ大将・鷹山刑部の手が迫っていた......。

Amazonあらすじより引用

 俺の記憶の限りでは、公開当時に本作はさほどヒットせず、様々な評論家の方々から内容をボロクソ叩かれていた印象がある。絶賛評を述べている方を見た経験はほぼ無かった。
とはいえ、世間の評価をアテにし過ぎるのは良くない。出来不出来は自分の目で確かめるべきだ。何しろ原作は黒澤映画の代表作。ハードルが上がり過ぎてしまい、相対評価的に酷評された可能性もあるだろう(なお、俺自身が原作を鑑賞したのは5〜6年前であり、比較できるほど記憶に残っていない。ご了承ください)。



 この度改めて観てみると、いやいや、ボロクソ言われる程には悪くない!むしろもう少し練り込めば良作になり得るポテンシャルを秘めた非常に勿体無い作品として、本作は俺の心に残った。

3、良くも悪くも印象的な作品



 まず、素直に“良いな”と感じた部分を挙げていきたい。
 原作には登場しないオリジナルキャラクターである主人公:武蔵を演じた松本潤氏(以下、松潤)のガサツな小悪党感は意外にもハマっており、特に序盤の立ち居振る舞いに関しては中々好感が持てた。“本来の主人公を差し置いてオリジナルキャラクターが出張る”とは“原作クラッシュ”問題を引き起こしかねない(実際、引き起こしてしまったとも取れる)が、今回の場合は物語を引っ張る役として上手く機能していたと個人的には感じている。
 それ以上に目を見張らざるを得ないのが、原作における主人公:六郎太を演じた阿部寛氏の堂々たる佇まい。全編に渡って非常に様になっており、強烈なインパクトを残してくれる。先述したように松潤の存在は決して悪くないのだが、阿部寛氏の迫力と印象が圧倒的過ぎて、ヒロインの雪姫役:長澤まさみ氏等、他のキャスト陣まで丸々食ってしまっている程だ。



 また、意外にも“パブリックイメージとしてのダメ映画”にありがちな心情吐露・説明台詞が極力廃されていたのが好印象だった。そのようなシーンが多い映画を観ると鑑賞中にゲンナリしてしまうが、本作では意外にもこういった点が少なく、ストレス無く映画を楽しむことができた。むしろ部分的に“粋だな!”と感じた台詞さえ有る。この辺りは中島かずき氏の仕事の賜物だろうか?



 更に、冒頭40分程はテンポ良く痛快な展開が続き、物語の先をつい期待してのめり込んで観てしまった。つまり、俺は本気で本作を楽しんでいたのである。
こうして「おお、これは中々の拾い物なのでは…!?やるじゃん樋口監督!!」と思った矢先…。残念なことに、約40分目以降から徐々にボロが出始めてしまった。その“ボロ”の例を箇条書きで挙げると…


“死ぬ見せ場を作るために登場させた”としか思えない、とあるキャラクターのあまりに雑な退場とその演出
・いがみ合っていた雪姫と和解した直後、現代の若者的“恋愛モード”にギアチェンジし、唐突に雪姫にガッつき始める武蔵…というか松潤。この現象によって先述の小悪党感的魅力が消滅し、途端に映画自体がが安っぽく見えてしまった
・尋常じゃない量の不自然なカット割で殺陣の見応えが皆無。「チョコレート・ファイター」(2008)等を観る限り、阿部寛氏はアクションもイケる人の筈なのに…それを魅せてくれないなんて!
・一人だけダース・ベイダー風の甲冑を着込み世界観から浮いているラスボス:椎名桔平氏。しかも剣戟のアクション演出が噴飯モノ。剣から発せられる謎の波動エフェクトは一体何…?
・予算を掛けて大規模かつ立体的なセットを組んだ割に、その場所を活かしたアゥション面の見せ場が少ない。
・所々で「スター・ウォーズ」をオマージュするくせにラストで“あの施設”“ああする”のは主人公の役目じゃない等、オマージュするべき重要なポイントを履き違えている節がある

 …等々、結果的に本作はマイナス要素が数多く目立つ作品となってしまったようだ。特に強引な恋愛要素・アクション演出の貧弱さは一切擁護できない。樋口監督、本当にこれで良かったのか!?



 とはいえ先に挙げた複数の美点、特に阿部寛氏の存在感は捨てがたく、実際に楽しんで鑑賞していた時間もあった以上、俺は本作を駄作扱いする気にはなれない。どちらかと言えば、もっと良くなる余地が有ったはず…!と嘆きたくなる感情が強く心に刻まれた。
例えば、ラストシーンをグダグダ引き伸ばさず、松潤が雪姫に向けた“あの決め台詞”でバッサリ映画を終わらせるだけでも…!そうすれば非常に“粋”で、かつ先述した強引な恋愛要素も活かされ、ほろ苦さを含んだ心地良い余韻(=終わり良ければ全て良し)を味わわせてくれたのに!
 このように“良作の可能性を秘めた惜しい作品”或いは“怪獣や特撮に頼らない樋口真嗣監督の力を観ることができる作品”として、本作は俺の中で意義深く、そして印象深い作品となった。



 本作は樋口監督の強み=特撮技術を活かせぬ、不向きな題材の作品であったと言えよう。だが少しでも“良い”“惜しい”と感じた部分がある以上、また同様の題材(或いはSF・スペクタクル要素を含まない現代劇)の映画を撮ったとしたら…。俺は良作が産み出されたことを期待して、積極的に劇場へ足を運んでいるかもしれない。


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