【エッセイ】「読書感想文」とは一体なんなのか
私が小学生の頃は、
夏休みに読書感想文を書かされていた。
どの学校も、これをやらされるのだ。
自分からそれを書こうとしたのではなく、
「しぶしぶ」書いていた。
もちろん
「読書をして原稿用紙に感想を書きなさい」
という宿題があったから、である。
あれは本当に苦痛だった。
本を読むこと自体がイヤなのではない。
私はそれを文字に起こして感想を書くのが、
本当に出来なくてイヤだった。
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私は小学生の頃から、
文字を書くこと自体は好きだった。
友達に手紙を書いたりしていたし、国語の授業で漢字を書き写して練習するのも、特にイヤでは無かった。
しかし、読書をしてその感想を書くことが上手く出来なかった。
読書感想文というのを一言で言うと、
「読んで感じたことを書く」
という単純で簡単な事。
「起承転結」が必要だろと言うかもしれないけれど、コンクールではなく小中学生の宿題。
そんなものは無くてもいい。
とにかく書いて書いて、
文字数を埋めるだけ埋めれば良い。
これがなぜ出来なかったのか。
ひとつは「表現方法」が分からなかった。
読書をして感じた事はあったけれど、
どう表現して良いかがわからなかった。
もうひとつは読書をしても、
その文字が書いてある以上の事
が分からなかった。
つまり「感受性」が低かったのだろうと思う。
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「表現方法」については、どのくらい文章を読んでいるかに尽きるのだと思う。
私は中学生以降「小説」を読みまくったおかげで、色々な言い回し方法が見つかったし、自然に句読点の使い方や、「てにをは」も完べきではないが、使えるようにはなっている。
「感受性」については、
自分の体験によるところだと思う。
私は「それなり」の体験をしてきたので、
「それなり」の感受性を持つことができて、
「それなり」の感受性が磨かれた。
そして自分の感じたことを「それなり」に文章へ落とし込む事が出来始めた。
文章を書く基礎となっているのは、
読害と体験によるものが大きいと感じる。
アウトブットするために、
いかにインプットしているか
という事なのだろう。
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小学生の頃は、400字詰めの原稿用紙1枚書くのもやっとだった。
中学生の頃には「読書」と「体験」のおかけで、原稿用紙2-3枚くらいは書けるようになったけれど、それでも本1冊読んで1,000字~1,200字。
今や自分のちょっとした体験談で、
1,000字から1,500字を書いている。
これでも推敲時には削っていて、削らずに思いのまま「つらつら」と書いていたら、2,000字超のモノを毎日投稿できている事になる。
もちろんChatGPTも活用出来ているので、内容もボリューミーに出来ている部分はあるが。
以前アップした、こんなテキトーなモノでも800字書ける。400字詰め原稿用紙2枚。
書いている時間は記事によって異なるが、
約1-2時間くらいのものだ。
当時は夏休みが40日ほどあり、
読書感想文1,000字を書くのすら辛かった。
エッセイと読書感想文の書き方が違う、
と言うのは百も承知なのだけれど。
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今はもう「読書感想文」の宿題は出されない。
仮に出されたとしても全く苦痛ではなく、5,000字から8,000字くらいはスラスラかけるのだと思う。
今度、noteにも読書感想文を書いてみたい。
ちなみに、この記事は1,500字オーバー。
思いついて40分ほどで書いた。
推敲を含め1.5時間ほど。
当時もこのくらいスラスラ書けていれば、
読書感想文を半日から1日ほどで終わらせることが出来たのだろう。
家に籠り、原稿用紙の前で鉛筆を持ったままボーッと何日も過ごす事はなく、もっともっとたくさん「無駄な遊び」ができたのだろうなと感じる。
つづく。
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