アルゼンチンのフットサル:2022-2
ご覧いただきありがとうございます。アルゼンチンでサッカーに挑戦する13歳の体験と様子をお送りしています。
1.アルゼンチンとフットサル
アルゼンチンでは小学生世代のフットサルが盛んで、ほとんどの子供たちが身近にサッカーに触れることでのサッカー王国の底辺を支えている。ここから11人制の広いフィールドに行くかどうかを子供自身が判断するという風土が街全体で出来ている事を感じる。
街のあちこちにフットサルコートがあるのがアルゼンチン。平日は練習、週末はココを会場にして試合が開催される。週末だけは入場料を取って、セキュリティの面でも安全になっているのが特徴。
2.試合の様子
雰囲気だけでもお感じいただけるだろうか。とにかく、観客席との近さと父兄の熱狂がすごい。日本なら中学生のプレーなので、力強さもあって決して子供の余興というレベルではない。
3.アルゼンチンの時間のこと
時間にルーズなのは日本との大きな違い。開始予定時間通りに始まることの方が少ないくらいで、集合時間に会場についても誰もいないことだってある。ウチの親子も最近、ちょっと遅れ気味に会場に行くことが普通になってしまっていて「アルゼンチン時間」が浸透してきている。
試合時間にアップが始まる。とはいえ、個々にボールを蹴る程度のものでコーチ主導で何かを始めるということでもない。場合によっては、アップらしいこともせずに試合に挑むこともあって、そこまでアップに執着しないのも特徴の一つ。余計な消耗をしないという考え方も根底にあるという気がしている。
4.勝てば大いに喜ぶのもアルゼンチン
我が子のご贔屓のチームが勝てば当然嬉しい。勝負に対してのこだわりが小さな頃から根付いているのである。負けることは悔しいし、ゴールを決めれば心から喜びを表現する。実は日本人が苦手とするのが、この喜びの表現(パフォーマンス)だったりする。
アルゼンチンではサッカーでもフットサルでも練習から真剣に遊ぶ。遊びの要素が消えることがないから、ゴールという大きな目的に対して喜びを爆発させることができる。
日本の「練習上手」のプレーでは、ゴールを決めた時でも「上手くできたか」「ゴールできたけど」という意識が先行して、素直に感情を表現することができない。日本の集合教育の「統制」が招く悪循環の様にも思えてならない。自分の主張をできる選手(仲間に声を出すという行為も)が少ないというのはそういう原因もあるような気がしてならない。
5.練習での技術力と試合での表現力
日本の「練習上手」をフォーカスするなら、この年代の子供たちの個人の技術面では日本の方が上かもしれない。サッカーを楽しみ、勝負をする上で欠かせないことの理解力がアルゼンチンが圧倒的に上だと感じている。
コンクリートでスライディングできたり、カラダをぶつけて球を奪い合う動きを低学年のうちにフットサルで無意識に身につけているのがアルゼンチン。これが年代が上がる毎にどういう変化をして、成長にどう影響していくのか、そんなことを楽しみにしながら育成の指導方法を観察していきたい。
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