思い出なんかいらん論【#マンガの話がしたい】
大好きなバレーボールマンガ『ハイキュー!!』の作中に「思い出なんかいらん」という言葉があります。
最近、この言葉を改めて反芻していて、やっぱり良い言葉だな〜、としみじみ感じたので、自分のマンガ体験における「思い出なんかいらん論」について考えていきたいと思います。
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今さら説明するまでもないですが、『ハイキュー!!』とは、週刊少年ジャンプにて2012年2月から2020年7月まで8年半にわたって連載された、バレーボールに懸ける高校生たちの熱い青春ドラマを描いた作品です。コミックス全45巻・累計発行部数は6000万部超。
個人的には、コマ割りのセンスが天才的すぎるので電子版で見開きをドカッと味わうのがおすすめです。
「思い出なんかいらん」という言葉が登場したのは、春高2日目。主人公・日向翔陽が所属する烏野高校の対戦相手として立ちはだかった兵庫県代表、稲荷崎高校。世代を代表する最強ツインズ・宮兄弟を擁するこの大会優勝候補校のチームスローガンとして、でした。
作中のこの言葉には、稲荷崎のバレーに対する貪欲で前のめりな姿勢が「昨日を守って明日何になれる?」「何か一つでいい 今日挑戦しいや」というセリフなどと共に表現されています。
これは、過去を顧みないという「無鉄砲さ」ではなく、昨日までの経験を糧にして今日の自分と向き合うという「覚悟」の現れです。
『ハイキュー!!』は、高校生編後に「終章」という形で、プロになったキャラクターたちのVリーグの試合が描かれます。
プロ選手になった日向や影山はもちろん、これまで登場した脇役たちも皆ちょこっとずつ登場し、まさに宴のような作品終盤の盛り上がりっぷりでした。「いや、全キャラの職業全部載せるやん笑」と当時ジャンプを読んでいてちょっと引いた記憶があります。(この頃は毎週読んでいた)
このVリーグの試合中、稲荷崎出身のセッター・宮侑のセリフで「思い出なんかいらん」に対する、彼の高校時代から抱く想いと結論が描かれます。
このセリフが本当に大好きで、当時衝撃を受けたというか、「思い出が”1個も無い”」って言い切れるような生き方って何だろう。そもそも「思い出」って何だろう、と考えるようになりました。
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前置きが長くなりましたが、ここからが自分のマンガ体験における「思い出なんかいらん論」についてです。
皆さんはマンガについての思い出はありますか?
なんとなく読んでみた作品がひどく琴線に触れて忘れらなくなった。
壮大なストーリーや巧妙な伏線回収に感動して心動かされた。
大好きなキャラクターが作中で死んでしまい、絶望した。
個人的にすごく好きな作品が打ち切りになり、やるせなかった。
サイン会で初めて漫画家さんと対面でお会いし、思いの丈を伝えた。
マンガ好きの人とSNSでの交流を通じてリアルでも会う仲になった。
などなど
もっともっと、一人一人それぞれの、かけがえのない体験があり、マンガを読んでいて感じたこと、マンガを通して他者と繋がっていったこと、その全てがマンガ体験における「思い出」と言えるでしょう。
漫画を読んでいると、読んだ分だけ感想(面白い/面白くない・好き/嫌い)や知識(「あの作者のこの作品」といった漫画的知識)が体内に蓄積されていきます。
それらを記録したくて、吐き出したくて、ここ2年半ほど、毎月読んだマンガについてまとめるnoteを投稿してきました。
いちいち書き出してまとめていくわけです。大した内容でもないくせにめちゃくちゃ手間を要します。タイパ最悪です。
ただ、これも一つのマンガ体験であり、書いたこと自体やnoteそのものは「思い出」ですが、書き続けるうちに、マンガ体験における「思い出なんかいらん」の意味が身をもって分かるようになった気がしました。
「思い出」が体外にアウトプットされていき(ないしただ単に忘れていき)、体内に残った搾りカスみたいなものが感性として醸成されていくような感覚。
毎日、無限と言ってもいいほどにマンガは生まれています。もちろん読むこと自体も楽しい。どんどん読みたい。でもマンガを読むことを思い出にしたいわけじゃない。
思い出の全てを手放していくということではなく、思い出は思い出としてさよならしていく。それら思い出があって今がある。そして自分はまさにその今、またマンガを読んでいる。
で、侑が言うところの「ぜんぶここにあんねん」なんです。全部が「俺の筋肉」になっていくんです。
マンガ体験における「思い出なんかいらん」は、「思い出を思い出のままあれもこれも手元に置いておくのではなく、感性という名の血肉すればいい」という考え方だと思い至りました。
マンガを読むこと、マンガを読んで思うこと、それを吐き出すこと、それを通じて他者と交流すること、それら全ての「思い出」自体は大切。でも確かに手元にずっと持っち続けていくものではないのかもしれないな、と思うのです。
ずっとずっと大事にしておきたいような思い出は、それはもう「思い出」というより、自分の一部みたいなものだと思いますし、そういう意味でも、「思い出なんかいらん」のかな、と思うのです。
自分の血肉として、削ぎ落とし、己の感性を研ぎ澄ませていく。
まぁ、「思い出"なんか"」なんて言ってやるなよ、とは思いますが。そんな突き放さんとってあげてや。
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今の時代、マンガは日々大量に生まれています。喜ばしいことです。できるだけ色々な作品を読んでみたい、という気持ちはあります。
でも、時間は限られています。同じ時間の中で多くの作品に触れるには、その分一作品にかけられる時間は削られます。次から次へと乱読していくような消費は、それぞれの体験(=思い出)が行き場なく消滅していくように思えるのです。それはとても虚しい。
思い出でいっぱいいっぱいになりたくない。でも思い出にもならないような出会いはもっとしたくない。
いわゆる「量より質を重視すべき」みたいなことを言いたいのか、と問われるとそれも少し違って、読む量が多いと、それだけ体内に蓄積されるものも多いのは事実です。
ただ、マンガに関する思い出を、思い出のままずっと持ち続けることはできない。あくまでそれらを通して培われる自分の中の感性を大切にしながら、今日もマンガを読んでいきたいな、と、そう強く思います。
それが僕の「思い出なんかいらん論」なのです。
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最後、何言っているのかよくわからなくなりましたが、『ハイキュー!!』はやっぱり面白いな、という話でした。
来年の2月には「ゴミ捨て場の決戦」の劇場公開も控えております。楽しみです。
最後に、#マンガの話がしたい のタグについてですが、これはマンガライターとしても活動されているたけのこさんからお借りしました。ありがとうございました。
サムネは『ハイキュー!!』33巻192ページより
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