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CHANKの音楽のルーツ【3】〜LOUD・HEAVY MUSICへの目覚め編〜

ようやく音楽遍歴の話の続きをして行こうと重い腰をあげる事に決めた。
どうもお待たせしました。(とくに待ってない。)

理由は簡単だ。

『めんどくせえ!』

リンク貼ったり、横道に逸れて説明をしながら回収していくのが超絶面倒なのだ。
だったらやるなって話なんだが、やってしまうのがわたくしである。
このコラムを書いて居る時は曲を制作するにあたって、歌詞が煮詰まって居たりフラストレーションが溜まっている状態なのがほとんどだ。
浮かばない時は、徒然なるままにしょーもない事を書く事が一番なのだ。

では、早速はじめて行こう。
今回のテーマである『音楽のルーツ』であるが、もう3回目にして少し内容を変更してお送りしたいと思う。

ルーツと言えば、よく考えたらPUNK ROCKだけでは無いのだ。
元々は兄が聞いていたメタル等々を聞いて居た。

なので、その辺を少し深堀しながら進めて行くとする。
話は遡って、高校1年の頃、メロディックデスメタルに超ハマった。
通称メロデス。
その中でもめっちゃくちゃ衝撃を受けたのが『IN FLAMES』の存在である。

『Embody the Invisible』って曲は、斬新さと真新しさを感じ、視聴機で聞いた時、大興奮だった。
正直、当時鳥肌が立った。

未だに現役でアルバムをリリースし続けているので、重たい曲や激しい曲が好きな人は是非とも聞いて欲しい。

そして、何より前回のコラムでも話をした通り、X JAPANhideのファンであったわたしは、無論ヴィジュアル系ばかり聞いて居た。
V系のロックしか正直、当時情報が自分の中では入って来なかったので、それが当たり前だったのだ。
GLAY
LUNA SEA
L'Arc〜en〜Ciel
SHAZNA
DIR EN GREY
PIERROT
黒夢
SOPHIA
SIAM SHADE
D-SHADE
MALICE MIZER
La'cryma Christi
Dope HEADz
machine
PENICILLIN
↑名前をクリックするとMVに飛びます◎

そして主な年表はコチラをチェック

J-POPからの影響はやはり大きいかもしれない。
小学生の頃は、情報を自ら取りに行く訳では無かったから、発信されたものを受信するばかりで、それが全てであると思って居たであろう。
そんな中でも成長をすれば情報の取りに行き方が変わり、新たなコンテンツに触れる事で趣味趣向も変わったと思う。
わたしの小学〜中学の頃は小室哲哉プロデュース全盛期って事もあり、TVを付ければ音楽番組ではジャニーズや小室プロデュースのアーティスト、そしてV系やハロプロ系と言ったアーティストばかり出ていた。

HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP
うたばん
THE夜もヒッパレ
Mステ

他にもあっただろうけど、歌番組が結構やっていた気がする。
そんな中で育ったがある日を境に変わってしまうのは、マリリン・マンソンとの出会いは中々に比重がデカい。
マンソンを初めて聞いたのはメカニカルアニマルズからだったけど、それはそれは擦り切れるかの如く聞き漁った気がする。

ここでマンソンに繋がるのは確実にV系を聞いて居たからこそ、スッと入って来たのだろうと思う。

そうした小学〜中学生時代を送り、そこを経てCD屋の視聴機で聞いたのがINFLAMESなのだ。
INFLAMESをゴリ押しする為のコラムでは無いはずなのに、なぜここまでの文章量を要しているのかは謎だが、この辺からラウドミュージックや、オルタナティブロックや、パンクやハードコア等、激しいロックを聞いて行く事になる。

話は飛んで、高校を卒業してからは、49BALLのドラムのNORISONとMOSH BURGERと言うPOP PUNKバンドを始める。
この辺の話は以前も話をしているので、そちらを参考にして頂きたい。
大体高校の頃から数々の曲を聞いて居たが、00年代初頭位の頃はとにかく様々なバンドが、様々なシーンでクロスオーバーしていた頃な気がする。

高校を卒業したのは2001年の頃。
スケボーしながら、パンクロックばかり聞いてバンドをやってなんて、ステレオタイプのキッズだった自分は既にどっぷりと今の自分が形成されていた。

俺の人生は何年経過してもマインドやライフスタイルは変わっちゃないけど、この道を進み続けて居る事に誇りに思う。
昔々もその昔、まだまだ高校を卒業した頃なんて、まだまだVHSが全盛だった。

高校の頃、実家が金持ちの友人はMTVやスペースシャワーTVが見れる環境下にあった。
だから、VHSでダビングしてもらい貸してもらったりしていた。
ルーツとしてはすっかりパンク少年だった自分はすっかり、海外のアーティストのMVや、見知らぬ日本人アーティストのMVに魅了されていったのだ。

地上波だと、テレ東でやってたHANG-OUTは毎週必ず見ていた。
そして、TVKでやっていたビデオ星人だ。これも見ていたな。

日本の音楽番組で流れるようなメジャーアーティストでは無く、もっとインディーでオルタナな感じが最高に魅力を感じていた。
それは勿論、ハイスタやブラフマンやストンピン等、今でも一線でLIVEしているアーティストの音楽からの影響で、そこから更に様々なジャンルも派生して好きになった。

さてさて、この辺の話は以前のルーツ話で記載したので、今回はパンクロックの話では無い。
そう、ラウドミュージックへの目覚めである。

ラウドミュージックは本当に奥深くて面白い。
様々な音楽がクロスオーバーされていて、『ミクスチャーロック』と、言われて居た。
時代を経て色々とこの手の音楽はジャンルの名前が変化して行くのだが、メタルやハードコアやラップから派生したものが多い。

RAP CORE
NU METAL
MIXTURE
HEAVY ROCK

他にも色々あるだろうけど、各バンドによっても様々言われ方があった気がする。
この頃は、Roadrunner Recordsのバンドが台頭していたな。

KORN
Rage Against the Machine
Limp Bizkit
Linkin Park
Mudvayne
RAMMSTEIN
Soulfly
Nickelback
Deftones
Taproot
Static-X
Hoobastank
DISTURBED
Ill Niño
Slipknot
EVANESCENCE
Stone Sour
System of a Down
Papa Roach
Powerman 5000
Crazy Town

Incubus
Kittie
Mushroomhead
P.O.D.
Godsmack
↑名前をクリックするとMVに飛びます◎

こう並べると色々聞いてた気がする。
まだまだ沢山あるが、挙げ出すとキリが無い。

未だにADIDASIBANEZが好きなのはこの頃の影響だろうな。

そもそもステージに立つのにジャージって言うのがまた、あまりにもお洒落に見えた。
ラッパーとかならあり得るのだろうが、ロックバンドでゴリッゴリに暗くて重たい曲の人達が着るって言うのは中々想像が付かないものである。

メタルやハードロックで行けば、服装からしたら正反対である。
しかし、それが時代と相まってか、やたらと恰好良く見えたのだ。
そして、病的なまでのシャウトや退廃的な歌詞。
それでいて、タイトな演奏力と共にカオスなステージング等ですっかり聞き漁っていた。

個々のバンドにオリジナリティがあったが、徐々に流行しすぎると似たり寄ったりなバンドも多くなってくる。
流行とはそうゆうものだ。
そして、何かのきっかけに徐々に衰退していくものだ。
00年代初頭は日本にもすっかりラウドミュージックは浸透していたので、最高である。

日本でも同時多発的に多くのバンドが台頭した気がする。
山嵐
MINOR LEAGUE
UNDOWN
麻波25
THE MAD CAPSULE MARKETS
DragonAsh
RIZE
UZUMAKI(宇頭巻)
BACK DROP BOMB
ヌンチャク
BAT CAVE
↑名前をクリックするとMVに飛びます◎

等々、今でも一線で続けているバンドは多くいる。
とにかく影響された音楽のジャンルの一つである。

自分のバンドである49BALLは全くこの手のラウドミュージックとは違う音楽性ではあるが、確実にこうした音楽を聞いてたからこそ、今キャッチーなサウンドを作っているのだろうと感じている。

2000年〜2004年の4年間、高校卒業と共に専門学校に通っていた頃である。
ESPミュージカルアカデミー
ギターコースに通っていたわたしは、ここで様々なミュージシャンと出会って行く事になる。
この専門で同じクラスだった男こそが、49BALLを立ち上げた当初のメンバーであるEDDYである。

人と人との繋がりとご縁とは分からないものである。
専門では様々なタイプのミュージシャンが居て、ここでは様々なジャンルの音楽が吸収できた気がする。
偏る事無く、友人同士が情報交換をするような場所は本当に良い環境だった。
互いをリスペクトをする一方で、ライバルでもあって切磋琢磨をする場所でもあった。
専門では様々な授業があるのだが、選択授業がある。
その中で『ミクスチャーアンサンブル』なる選択授業があったのだ。

その名の通りラウドミュージックが好きな人達が集まる授業である。
アンサンブルと言う授業は、他の学科の楽器の人達が集まり演奏をするものである。
課題の曲を渡されたり、セッションしたりと他の学科の人達との交流ができるので、結構面白い。
先生も、当時ラウド界隈で有名な講師陣が多く居た。

今考えるとあまりにも夢のようなひとときだった気がする。

そんなアンサンブルの授業やライブが功を奏したのか、非常にラウドミュージックのギターとは奥が深いものである事を知る。
リズム・フレーズの全てがメタルアーティスト並みに弾けないと難しいって事で、わたしの当時の技術力では諦めざるを得ない案件であった。

いやはや、物を知らないと言うのは本当に怖い事である。
そんなこんなでこうして全然ヘヴィミュージックとは真逆と言うか相反するような音楽をしては居るが、確実に身になっている事は確かな事でもある。

それでも今でもベースの音の作り方はこの辺の音楽からの影響を受けているから、低音がズッシリしている方が好きだったりする。
同時平行線でもメロディックやポップパンクやエモ、スクリーモやハードコア系も多く聞いて居たが、特にこの辺りの時代はスクリーモが流行しだして居た。

SCREAMO(スクリーモ)とは、SCREAM+EMOの略である。
この辺のバンドとして有名なのは中々多いのはポップパンクのバンドが徐々にこのエモの流行に乗って行くからである。
ポップ&キャッチーな感じの曲調のバンドから、どのバンドもどのバンドも暗い感じのアルバムを出す時期が生まれるのだ。

ただ、この流れは今話をしているラウドミュージックが流行してた頃よりも、もっと後の時代の話になるから、またいつか書こうと思う。
まず、この若かりし日に影響を受けたバンドの事を書かなければ、後々の49BALLにまで続かないと言ういばらの道があるのだ。
コラムでいばらの道って相当である。

とりあえずここまで来て『KORNの話をして行きたいのだが、今となっては『雰囲気おじさん』の感じが否めないのだが、このバンドは本当に当時から今でも多大なる影響を受けているバンドだ。

この辺は鉄板でかっこいいのと、MVの色味が90年代っぽくて好き。

そして、徐々にアーティスティックになって行き、カオスさよりも雰囲気重視になって行くのである。
でも、この辺からも音が洗練されてより重たさに磨きが掛かり、カッケーのですよ。

もうこっから先の世界は、恐らく恨みつらみが無くなって来たのだろう。
だって音楽も売れてるし、散々幼い頃の虐待されたり虐められてた経験を歌い続けてたら許しもするだろう。
このように禊を済ませてる間にスッキリして行ったのだろう…ってわけでもなさそうだが、長い事やってれば心境の変化だって出て来るものである。

そんな中、ギタリストのブライアン”ヘッド”ウェルチが、脱退してしまうのだ。
その後、急にクリスチャンになったり破産したりと大変な目にあっているのだ。

そんな中LOVE AND DEATHが出たりとソロ活動でも始まる訳だが、とにかくギター以上に歌がうまいのだ。
この歌にやられてしまい、いつしかKORNよりも好きになっている。
クリスチャンロックが好きな自分としては最高に大好物なサウンドだったし、本国では売れ無さそうな予感しかしない。

そして、KORNと言えば代名詞とも言える故H.R.ギーガーが作ったジョナサン・デイヴィスが使用するマイクスタンドの存在だろう。

名前は『ビッチ』

H.R.ギーガーと言えばエイリアンプレデターのデザインも去ることながら、あの超B級ホラー映画で有名なキラーコンドームのデザインをしたことでも有名である。

ジャケット最高


話がそれてしまったが、ジョナサンのマイクスタンドは確かお値段200万円以上するやつらしい。
200万ドルかもしれないが、それにしてもマイクスタンドでこの値段はすごすぎる。
そして、ジョナサンはバグパイプ奏者としても有名である。

かっこよすぎ
スカート履いてる時期もある

そして、忘れてはならないのはジョナサンの眉毛のあたりに付けてたピアスである。

日本人は顔が薄いのですぐ取れるらしい

このようにファッションから音楽に至るまで様々な影響をくれるKORNは今でも大好きである。

初期のPUMAのジャージとシルバーのサングラスが懐かしい

KORN好きな人は中々の頻度でこのシルバーのサングラスをかけている人が居た気がする。
ちなみに今は廃盤だが、DITAのDOUBLE AGENTってやーつ。

そして、時代をもう少し最近にしてみよう。
イメージとしては、ラウドと言ってもメタルコアとか様々なジャンルのバンドが更に増えて、もうなにがなんだか分からない状況と言うか追えてないわたしが悪いって話である。

そんな中、数年前ヤベーってなったバンドがSTRAY FROM THE PATHの存在である。

このレイジの重たいバージョンとも言うような、どこか懐かしさすら感じてしまう感じがなんかたまらん。
日本だとROSが昔懐かしなラップコアスタイルをやっていて好き。

そして、日本のラウドシーンで本当に本当に忘れてはいけないバンドと言えばやはりPAY MONEY TO MY PAINの存在は忘れてはならない。


Kさんのママと奇跡のパシャリ

とにかく全てがカッコ良すぎるし、日本のラウドシーンが一気に変わった瞬間だった気がする。
勿論前進バンドである『GUNDOGの存在も忘れてはならない。

いや、伝説ですよ本当に。
ダークかつヘヴィで、もう洋楽の域である。

そして、ラウドと言えばhide好きのわたしとしては外したくないのが『ZILCH』の存在である。

ZILCHのアルバム『3.2.1』に入っている『ELECTRIC CUCUMBER』って曲が出たのは1998年。
hide with Spread Beaverと共にリリースされた、まさに海外を視野に入れたバンドである。
このバンドが出た時も中二心をまさにくすぐる作品で、打ちのめされた。

アー写もカッコ良すぎ

この三本ラインのジャージが、またなんともかっこいいのだ。
今までヴィジュアル系の元祖とも言える人が人様の前にジャージで出て来た事があっただろうかと。
しかも、めちゃくちゃラフな感じだし、それがまたクソカッコいい。

重たい音は本当に癒しの音楽と言うか、凄く聞き続けていると心が落ち着いて来るのだ。
なんと言うか、怒りや悲しみを代弁してくれている訳で、それをアーティストは作品としてフラストレーションをぶつけている。

だから、その気持ちの時に聞くとなぜか発散した気持ちになるのだ。

このように脳に良いのでヘヴィミュージックはじゃんじゃん聞いた方が良い。
では、最後にEMMUREのMVで終わりにしたいと思う。

いや〜ヘヴィロックって本当に癒やされますね◎

アレ?
待って違う。
そもそも、わたしの音楽のルーツを話しするところから始まってた気がする。
すっかり横道にズレている気がする。

では、ここからは機材の話でもして行こう。
もう、メタルとかヘヴィミュージックが好きなギタリストが必ず通ると言っても過言では無いエフェクターがある。

『METAL ZONE』である。

もうこれさえあれば無敵。
ワンチャンギターも不要。
弦とかわずらわしいもの張って無くても大丈夫かもしれん。

これ繋いでおけば多分アンプの電源入れなくても行ける。
それ位すごいコンパクトエフェクターである。

KORN好きとしてはやはりフィールディのこのモデル。

IBANEZのSRシリーズがやはりベースで言ったら間違いなくヘヴィミュージックに持って来いだと勝手に思って居る。

ギターはもう色々なブランドがあってアーティストが好きなもん使ってるし、よく分からないから偏見的なものは無い。
しかし、唯一の偏見で言えばピックアップは『EMG』を搭載している勝手なイメージである。
モダンな音が多い傾向だから、綺麗な音が鳴って、尚且つパワーがあるのであればEMGが一番良いような気がするのだ。

個人的にはスリップノットジム・ルートみたいなFENDERシェイプのギターをヘヴィにしたのが好きだったりする。

日本人ギタリストでは圧倒的に好きなのは『TORUxxx』さんである。

わたしの世代で言えば間違いなくTHE MAD CAPSULE MARKETSの時代である。
とにかくギターの歪みの心地よさとステージングのカッコ良さが半端じゃなかった。

ここまで書いて気付いた事がある。
ルーツとして確かにヘヴィミュージックとはわたしにとっては欠かせないものなのだ。

しかし!!

そんなに詳しくないにわか者の為、よくよく読んでみるとめちゃくちゃ浅い事しか書いていない事に今気づいたぜ。
リンクを沢山貼るって事にフォーカスしすぎて本質を見失った気がする。

では、最後に僕が49BALLにこうしたジャンルの音楽を落とし込んだ結果をお伝えします。

こちらの曲になります。
結果的にHOOBASTANKみたいな、ラウド系のバンドが奏でるバラードソングが好きだって事ね。
これを体現するまで、それ相応に時間が掛かったが、通って来た道の中で得る者が多かった事も確かである。
そして、この49BALLの『Take My Pain Of Life』は、自分の中ではかなりの自信作なのだが、全然人気も無ければライブで2回位しかやっていないと言うかなり再現性に関しては難易度高い曲をレコーディングしてしまったのだ。
それでは、最後に『Take My Pain Of Life』の和訳を書いて終わりにしたいと思う。

次は音楽のルーツ『EMO・SCREAMO編』でお会いしましょう。

【49BALL /Take My Pain Of Life】
自暴自棄になって逃げる選択肢
儀式的な雑音にうんざりした
脳みその中のメモリは容量を超えていたんだ
なあ脱獄方法をおしえてくれよ

正直な君が俺はとても悔しかったんだ
ある日、俺は自由を許された
でも俺に準備されていたものは束縛だけだったんだ
俺は全ての意味を失くして目を閉じた

君の心は俺が必要な時に遠くに居た
つらいときに君に僕の声は届かなかった
君が向かいたい場所は俺にとってはあまりにも遠い場所
答えは今夜分かる

俺にはわからないことがあるんだ
さよならも言えなかった
傷つくことには慣れたはずだった
これは逃避ではなくて避難
だけど今は一歩も踏み出せないんだ

いつかこの場所に戻れたら
もう一度だけ君に言いたいんだ
あの日の夜の涙を教えてくれてありがとう

君の心は俺が必要なときに遠くに居た
つらいときに君に僕の声は届かなかった
君が向かいたい場所は俺にとってはあまりにも遠い場所
この答えは今夜解るはずだろう

この声は君には届かなかった
でもこの声が聞こえた場所があったんだ
そしていつまでも自分の目の前には大切なものがあるんだ

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