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CHANKの音楽のルーツ【1】〜ロックへの目覚め編〜

※この記事は以前BLOGのアーカイブです※

最近歯茎が下がって来ていて、これは対応できないものなのか(∵)…。

なんだか年を取って来たもんだなと感じざるをえません。
さて、今回は音楽の話をしよう。



わたしはまがいなりにもPUNKがずっと好きだ。
この世に生を受けてからずっと好き…では、無いがPUNKとの出会いは高校生の時だった。
そこに至るまでのわたしの音楽的ルーツから話をするから、予め言っておくとそれはそれは途方もない位に長い文章になる。


さて、まずは幼少期から覚えている範囲で話をする。
幼い頃からわたしは音楽が好きでよく歌ってた。
年の離れた兄が二人居た影響で、当時流行ってたBOOWYTHE BLUE HEARTSを小さなころから耳にしていた。
母もTHE BEATLESが好きだったので、自然と聞いていた。

ロックの出会いって結構自然な流れで、小学生の頃ニッポン放送で「ドリアン助川の正義のラジオ ジャンベルジャン」ってラジオがやっててオープニングでSEX PISTOLSのANARCHY IN THE U.K.が流れてカッケーってなったりと、自然な流れで耳に入って来る環境ではあった。

わたしの実家はどでかいレコード聞くやーつとか、兄が高校受かるとカセットテープデッキとかCDコンポとかを買ってもらえる風習があったのでそれで聞く環境は充分に整っていたのかもしれない。
自然とTVで流れて来る曲もなんだかんだで影響受けているだろうし、なぜか聞き逃してなかったような気もする。

とにかく昔から音楽が好きだった。
サボり癖が強いので、技術と才能が全く好きに追い付いていないだけで、純粋に好きのポテンシャルは高いと自負している。
要するに『ヲタク≒NERD』な奴なのだ。

そして、兄二人がX JAPAN好きだった事もあり、そのままわたしも影響されてメタルやハードロックを聞くようになる。
当時のジャケットは衝撃的だったのを覚えている。
長男がそのうち洋楽のメタルやハードロックを聞くようになって、わたしは洋楽を濃いめに聞くようになるのだが、それはそれは色々と刺激的だったものだ。
ただ、中でもハマったのはLA METALとかハードロック系の明るい曲調のロックを聞いていた。

そして、ついに小学生の頃、正式に初めてCDを買う事になるのだ。
hide PSYENCEだ。

このアルバムは本当に今でも影響を受け続けている。
是非とも棺桶に入れて欲しいが、確か棺桶にCDは入れちゃダメなはずだから思い出だけ持って行こう。
ただ、聞きたいものが多いからMP3プレイヤーに入れてもらえると助かる。

話を戻して、小学生の頃にMステでX JAPANhideがソロアルバムのPSYENCEを出した頃にHi-HoをMステでやってたのを見た時に全身に電気が走る程の衝撃があった。
正式にこれがロックに触れてしまった瞬間かもしれない。
ロック元年おめでとう俺。

これはPOP JAMの映像だが、Mステの映像が底抜けに明るくて楽しそうだった。
それがあまりにも衝撃だった。
周りのダンサーがどんどん多くなり、最後はお祭り騒ぎみたいになっていたのがあまりにも最高過ぎたのを今でも思っている。
たった3分弱の中にエンターテインメントの全てを詰め込んだような映像だった。

電気が走る位の衝撃を受けた後って結構呆然としてしまうものなのだ。
ポカーンとしていたのを覚えて居る。

SEXでイッた後に賢者タイム入るのと一緒のようなものだ。


なんだか分からないがカッケー衝撃だったのだ。
そんなこんなで見事に分かりやすい形でロック少年になったわたしは兄の部屋でCDを聞き漁った。
ついでに隠してあるAVも見漁った。
それはそれで違う意味で衝撃的だった。

センセーショナルな恰好に、超絶テクニカルなギターにハイトーンボイス。

Quiet RiotCum On Feel The Noizeは毎日聞いていた。
ポップでキャッチーなのがたまらない。

その後、時は飛んで中学生に入り、わたしはギターを手に入れる。
中学2年生の頃に手に入れたギターは、夜中の番組でグレート義太夫がギター漫談をやっててZO-3ギターが欲しくて長男に頼み込んだ。
しかし、なぜかもらったのはアリアプロⅡのレスポールだった。
ネックのスケールを考えて買ってくれたものだが、初心者からしたら上等であーる。

初めて練習した曲は長渕剛のとんぼである。

話を戻して、リスナーとしての話はそこから飛んで中学3年の時にあまりにもセンセーショナルなアーティストが出現する。
マリリンマンソンだ。

このバンドはhideの次に衝撃を受けた。


インダストリアルロックに触れた瞬間でもあるし、ノイズが音の一部として介在しているこのバンドはとにかくエンタメ力が半端じゃない。
とにかく人間の心の闇の汚い部分を表現する最高にあまりにも絶望的なバンドである。
中二病を拗らせ続けているわたしは、本当に14〜15歳の頃に影響を受けてしまい、丁度高校受験のストレスもあって見事なまでにクロスオーバーしてしまったのだろう。

わたしが日頃、人に試すような事を言って、敢えて嫌がらせをして不快にさせてイライラさせて怒って不快になっている人の顏を見てケラケラ笑って喜んでいるのは、きっとマンソンのせいだと思っている。
んな事ぁ無い。

KISSのRock And Roll All Niteも聞いてたな。
KISSのような最高にロケンローな訳の分からん恰好してる人ばかり聞いてた気がする。

さて、先ほどのX JAPANのhideだが他にも多くの作品がある。
Hi-Hoの他にも好きなものは沢山あるのだ。

MISERYは未だに作曲面で影響を受けている。
音楽的なルーツと言うか、自分の得意な手癖のコード進行がこの曲からスタートしている。
この曲にはロックの良いところがふんだんに詰まっている気がするのだ。
ロックの激しい面もだが、もっと詰まっているのは優しさが詰まっている。

そして楽曲自体に色々なジャンルの曲が自然な流れで入っているのだ。
自分の音楽人生で、楽曲面で多分一番のルーツになっている曲で言えばこの曲である。

さて、そしてそしてX JAPANは1997年に解散をしてしまう。
色々な噂とか当時あった気がするが、それはもう色々な記事で語り継がれている事なので、説明はしない。
とにかくわたしはhide個人のファンだったので、ソロ作品とかのが好きだったのだ。
そして、解散発表からの紅白歌合戦でX JAPANは幕を閉じた。

↓し
↓↓か
↓↓↓し!!!!


1998年1月1日に新聞一面にhideソロ始動の記事。
鼻血もんの鳥肌な事件。

そう、その曲がROCKET DIVEである。

この曲も100点満点で最高にかっこいい。
非の打ち所がないパーフェクトな曲である。

因みに最初のギターはKISSのROCKET RIDEのサンプリングである事は有名な話。

これだけ現代風にアップデートしているのも彼が天才だったからかもしれない。
アートワークやMVのコンセプトや衣装、そしてあまりにも前向き過ぎる歌詞もだが、本当に全てが最高にかっこいいのだ。

そして、ピンクスパイダーever freeを出し1998年5月2日に永眠。
まさかのわたしの誕生日に人生の師とも呼べる人の訃報を聞くとは思いもよらなかった。
この日はわたしは忘れる事ができない日となったのだ。

さて、それから中学時代はhideやマリリンマンソンなどなど、インダストリアル系のロックを聞きまくっていたわたしだが、高校生に入ってとあるターニングポイントが訪れるのだ。

はい、中学生までのロックの目覚め編をお送りしました。
わたしのロックのルーツはあまりにも長すぎて文字数オーバーしてしまったので、何回かに分けます(∵)

SING A LONG FOR EVER!

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