見出し画像

CHANKの音楽のルーツ【2】〜ルーツ・オブ・パンク編〜

※この記事は以前BLOGのアーカイブです※

今回は音楽のルーツpart2のロックへの目覚め編である。
今回の内容は高校生の頃のパンクロックに目覚めてバンドとパンクロックでどっぷりだったそんな高校生活の頃を書いて行きたいと思う。

前回の記事でも書いたが、中学時代はhideやマリリンマンソンなどなど、インダストリアル系のロックを聞きまくっていたわたしだが、高校生に入ってとあるターニングポイントが訪れるのだ。

それこそがPUNKとの出会いだ。
90年終盤から2000年初頭は本当にロックの名盤が多かった気がする。
新たなジャンルがフューチャーされる中、昔からのバンドも良い作品を出し、良い意味でクロスオーバーしていた。
わたしは高校生の頃、下校中に最寄駅にあるCD屋さんで視聴機を毎日毎日欠かさず聞いていた。
勿論毎日行っても変化がある訳では無いが、色々な曲を視聴機で聞く時間は本当に最高の楽しみだった。

今でこそサブスクで大量に音楽を聞く事ができるが、当時はそんなものはあるはずないので、こうしてアナログで探し出すしか無かったのだ。
初めはヴィジュアル系とかメタルとかばかり聞いていたのだが、ふと目をやった時にPUNKのコーナーがあった。
なんとなく興味が出て聞いた時、人生で2度目であろう電気が走ったかのような衝撃を受けたのだ。
この頃は非常にPUNKと言う音楽の影響が大きい。

PUNKの中でもMELODIC HARDCORE(通称:メロコア)と、呼ばれるジャンルが好きになった。
確かMillencolinとかNo Fun at AllとかSatanic SurfersRANDYなどなど、スウェーデンのメロコアを初めて視聴した気がする。

MILLENCOLIN: Fingers Crossedは名曲過ぎる。
スケートビデオ等のX-SPORTS系とも相性抜群である。

スケボーやサーフィンやスノボー等のX系スポーツとのクロスオーバーもあり、本当にここからはハマりにハマっていったのだ。
因みに高校の時の学生証にメモでバンド名とかを書きなぐって居たが、しっかりとミレンコリン等の記載があった。
そもそもなぜ学生証持ってるんだって話だが、その頃から聞いてるものや好きなものが変わって居なくてそれはそれで驚きである。

ただ、ライブを見た事が無かったのだ。
当時結構JPOP系のロックで流行してたのはV系とかだろう。
ライブで言うと暴れると言うよりも、頭を振ったりする感じのお客さんの乗り方が主流である。

しかし、まさかのステージダイブがあるなんて…。
人が人の上を乗って居る映像を見た時はおったまげた。

その時の映像がこれだ!1.2.3!

このSNAIL RAMPMind Your Stepの映像を見て、クラウドサーフをしている人を見て、更にパンクロックの衝動と勢いの魅力にどんどんのめり込んで行くのだ。

それもそのはず、当時わたしの通っていた高校には軽音楽部があり、バンドブームでは無かったが様々なジャンルを聞ける場所があったのだ。
当然パンク好きな奴もいて、わたしよりももっともっと前から聞いてて詳しい奴がいた。

『パンク好きなのにハイスタ知らねーのかよ!?マジ!?』

正直今ならおもいっきり手が出てるかもしれない一言だが、その日の帰り道にCD屋さんに走ったのは言うまでもない。

それがこのバンドだ!1.2.3!

そう!『Hi-STANDARD(ハイスタンダード:通称ハイスタ)』との出会いである。

なんだこのメロウで甘酸っぱいメロディにキュンとするような歌詞はなんなんだ!
わたしは非常に意外性に弱かったりもするのだ。

パンクロックとはただ激しいだけでは無く、優しさや甘酸っぱさに満ち溢れていた。
ユーモラスさや、ノスタルジックでもあり、それでいて斬新で素晴らしい勢いにわたしは一気にのめり込んで行った。
高校の頃は本当にCDの貸し借りも沢山したし、丁度MDウォークマンが流行していたので、曲を入れまくって居た。

すっかりハイスタの沼にもハマり出した頃に、また例の同級生に言われる事があった。

『パンク好きなのに、グリーンデイもオフスプもランシドも知らないの!?マジ!?』

↑コイツマジでうるせーな。

なんだろう。
昔からマウント取る奴と知ったかぶって来る奴は心底嫌いだ。
正直今ならグラウンドアンドパウンドで地獄に叩き落してやる気持ちである。

ああ、CD屋に行ったさ!!!!行ってやったさ!!

どちゃくそカッケー!!!!!!!!!

Green Day
The Offspring
RANCID

この3バンドは『鉄板で聞かなければいけない』位の3バンド位に当時は王道であった。
この辺まで来ると様々な音楽と様々なジャンルで洋楽・邦楽と多岐に渡って友人とのコミュニティで様々なシェアが行われた。
1日中音楽と女の子の話をしてキャッキャしていた。

NICOTINE / BLACK FLYS
ニコチンもこの曲はとても衝撃的だった。
洋楽ライクなこの曲は本当に素晴らしい。
一時期Sky Recordsのレーベル買いにハマっていた時期もある位だ。

そして、夏フェス系でハイスタが主催のAIR JAM2000が行われ、インディーズのアンダーグラウンドシーンに居たバンドが一気にオーバーグラウンドに上がって来た気がする。
紹介するとキリが無いから、また別の枠で書こうと思う。

BRAHMANも、このバンドも民族音楽とハードコアを混ぜた唯一無二のサウンドで最高にかっこよい。
当時はASIAN HARDCOREなんて言われてた気もするが、世界観が当時から今でもずっとカッコよい。

今でも聞いてるが、NOFXは最高のレジェンドだ。
毎日毎日来る日も来る日もノーエフを聞いていた。
アルバムを何枚もカバンに入れてCDウォークマンで聞いていたが、今でもずっとサブスクで聞いている。
Fat Wreck Chordsに所属をしている様々なバンドから今の自分は形成されている事は間違いない。
NOFXのベース・ボーカルのいFAT MIKEが使用しているDAN ELECTROのベースも所持している。
ここまで来ればもはや現在までのわたしに繋がって来る。
話は逸れるが、当時はデータよりも、データを聞く為のハードが様々あった。
MDウォークマンも持って居たが、メインはCDウォークマンだった。
それは、CDを買ったらすぐにでも音楽が聞けるからである。

そして、地元が神奈川県は横浜市の出身で、横浜駅西口に昔『マウントポジション』と言うパンク専門の中古CD屋があったのだ。
ここでは相当格安で中古CDが帰るところで、毎日のように通った思い出の場所でもある。

さて、この辺からついにライブハウスに遊びに行き、生の音を体感するようになっていくのだ。
よく行ってたのは『STOMPIN' BIRD』である。

ハイスタとはまた違うメロコアの形と共に、初めて触れたプロが奏でるロックと、ライブの生の感覚。
汗だくになって、モッシュとダイブに下敷きになったり、転んでも助けてくれる人達も居て最後は知らない人同士が一つの音楽で共有しあっているのだ。
こんなに最高な場所と興奮する感覚は無い。

F.A.D YOKOHAMA
YOKOSUKA PUMPKIN
YOKOHAMA B.B.STREET

毎週レベルで高校生の頃はライブハウスに遊びに行ってた。

高校生の頃の49BALLの二人

そして、高校の頃は、段々お洒落シャレて来て、同時にファッション面でも影響も、音楽と密接に絡み合って来る。
友人とライブに出かけ、服を買いに行き、ライブハウスに遊びに来る他のお客さんでお洒落な服装の人を見つけたら真似してみたり。
スケボーしながらパンクを聞き、とにかくストリートカルチャーで学んだ事は多いのである。

そんな事は無いかもしれない…。

深く深く掘り下げて広げてを繰り返し、自分の血肉にして行ったのは何よりもロックに目覚めた時の衝撃や視聴機で聞いた初期衝動が最高に快感だった。
その気持ちは今でも忘れないし、これから先も衰える事は無いだろう。

まあほら、時代も時代なのと、お洒落シャレ出したてなので服装がびっこひゃっこなのもご愛敬と言う事で。
金も無い頃だったので、少ない金額でやりくりするのは当然と言えば当然である。
それはそうと、高校生の頃から今でも多大なる影響を受け続けているバンドが一つあるのだ。
『Blink-182』
このバンドの存在は忘れてはいけない。

このEnema Of The State(邦題:エネマの逆襲)は人生を変えられてしまった位に頭を撃ち抜かれたような、雷が走ったような衝撃が走った気がしたのを今でも覚えている。
とにかく十代の青臭い若き衝動をそのまま音楽に詰め込んだような疾走感がたまらないのだ。
そして、様々な横乗り系のブランドがサポートに付き、服装もアメリカ西海岸のスケーターの服装で超絶お洒落。
HURLEYのようなサーフブランドもBlink-182から学んだ気がする。
プロのサーファーやスケーターでは無く、ミュージシャンがブランドサポートされているのをこうしたバンドから学んで行く事になる。

音楽やファッション、そしてスポーツ等のストリートのカルチャーがしっかりと密接にクロスオーバーしているのはまさに自分の好きが詰まっている状態で本当に胸アツであった。

『俺がやりたかったのはこれだ!』

こんな高揚した気分になった。
勿論、当時パンク好きは多かったが洋楽パンクが好きかと言えば、周りの友人達はそこまでハマっては無かったのもある。
勿論日本のバンドがカッコ良いのが溢れてたのもあるし、日本人の耳馴染みの良いメロディだからこそ仕方が無いのである。
勿論自分も邦楽は大好きで鬼程聞いていた。

まずはこのバンド。
GOING STEADY(通称ゴイステ)
である。
このアルバムは鬼程聞いたのと、空前の青春パンクブームの火付け役と言っても過言では無いかもしれない。

青春パンクはTHE BLUE HEARTSを基盤としたような、日本語のスリーコードのシンプルなロックを青臭くも情熱的な歌詞とメロディで魂のままに歌うような汗臭くも不器用な若者の複雑な青春の感情を歌い上げたロックのスタイルである。
00年代に再びアップデートされて新しい形の青春パンクとして蘇ったニュースクールスタイルなのだ。

そして、忘れてはいけないのは一代センセーションを起こしたバンドが居る。
MONGOL800(通称:モンパチ)の存在だ。

名盤である。
完全インディーズのレーベルで、ノープロモーションで口コミレベルで100万枚以上売れたバンドは後にも先にもモンパチ位じゃなかろうかと。
礎を築いたハイスタも、こうしたプロモーションをほぼ行わないスタイルと言うのがとても当時カッコ良かったのだ。
誰にでも聞かせたい訳では無く、好きな奴にだけ届けたいと言わんとばかりのスタンス。
しかし、楽曲の素晴らしさから必然的に売れた現象。
時代が味方をし、シーンが活性化されたのはまさにグッドタイミングだったのだろう。

因みにわたしの高校生時代にどストライクの青春ドラマとして『プロポーズ大作戦』がある。
是非とも機会あれば見てほしい。

キレる17歳
プリ帳にプリクラを貼って集める
ルーズソックス
腰パン
ガングロギャル
キムタク

裏原系
カリスマ美容師ブーム

そう、あの頃僕たちは若かった。
バブルもとっくに終わってその恩恵もロクに受け取れなかった世代である。
そんな中でも幸せの形を探し、オリジナルを追求し、何かを体現したかったのは今も昔も変わらない。
トレンドも抑えたいけど、手が届かない憧れがあったり、トレンドを追いたくない天邪鬼な気持ちもあったり、そんな複雑な10代の頃。

わたしは音楽と言うコンテンツと共に様々なカルチャーを通して、どうしようもない大人として形成されて行くのである。
今でもこの頃の音楽は真新しさを感じるし、キラキラと輝き続けていると感じている。
だからこそ、自分の人生を振り返ってみても後悔は一切無いと思って居る。
そして、何よりも楽しさを追及して塗り替えている今この瞬間が一番最高だしカッコいいんだと自信を持って言えるのだ。

まだまだこれはほんの一部を紹介しているので、これからもっとシリーズ化してお送りしていきまーす◎
次回は高校卒業後〜専門卒業位までの音楽歴を書いて行きたいと思う。


いつまでも金ピカのままで!STAY GOLD!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?