見出し画像

『82年生まれ、キム・ジヨン』を語る② 私と夫に生まれた変化


小説の絶望感を経て、映画で描いた希望

 物語の中で、キム・ジヨンは子どもを保育園に預け、再就職を目指すものの、「他人の人格が憑依して思いを語りだす」という言動が増え始め、夫の勧めで精神科を訪れる。小説は男性精神科医のカウンセリングカルテを読むような形で、淡々と物語が進んでいき、丁寧な心理描写や感情的な表現というものがほぼない。

 それはこの夏、4世代にわたる在日コリアン一家の人生を描いたミン・ジン・リーの翻訳小説『パチンコ』を読んだ時に受けた印象と少し似ているのだが、「私はこんな目にあってこんなに苦しかったのよ」という、押しつけがましい感情表現がないうえに、当時の社会状況を示すデータまで盛り込まれているため、主人公が置かれている現状を素直に受け止めやすい気がした。

 一方、映画では、小説ではあまりよくわからなかった夫の性格や内面が、俳優コン・ユの演技によって詳しく描かれている。また、女性たちだけでなく男性たちが置かれている社会的状況が垣間見えるシーンも登場する。よって、「これは女性が男性を糾弾する物語ではなく、家族の、社会の問題を描いた物語なのだ」と感じられる作品に仕上がっていた。

 しかし、映画を観た後、世の中にはこんな意見があるのだと知って驚いた。それは「コン•ユが演じる夫は優しくて、子育てにも協力的で、むしろ妻のことをよく考えてくれているのに、キム•ジヨン、あんたは何が不満なの?」という女性からの厳しい声だった。それらを目にした時、思わず「女性の敵は女性」という言葉が頭に浮かんでしまった。

 自分よりましな境遇の人や幸せそうな人、自分が手に入れられなかったものを持っている人を見ると嫉妬し、「あんたなんかまだいいじゃない」と言ってしまう。その気持ちは私にもある。認めたくはないが、それがきっと女性、いや、男性もそうだろう。人間という生き物なのかもしれない。

 でも、そんな恵まれた環境にいるように見えるキム・ジヨンでさえおかしくなってしまう何かが、この社会に潜んでいるのではないか?作家や監督が言いたかったのは、そういうことではないだろうか。優しくて理想的な夫にさえ、社会の中で自分が置かれている状況を理解してもらえないという現実。それが余計に彼女の孤独感を強めているのだと、私には思えた。

 小説では救いがなく、おもわず深いため息が出てしまったラストシーンは、映画では希望的未来が描かれていて、どんよりとした気持ちではなく、少し前向きになって映画館を後にすることができた。キム・ジヨンと似たような状況を生きる今の私には、原作通り忠実に再現した社会に物申す作品よりも、「こうなっていけたらいいな」と少しでも希望を抱ける作品になっていたことが、大きな励ましになった。

映画館を出た後、取り戻し始めた自分

 子どもを夫に預け、急ぎ足で映画館に駆けて行ったあの日。家に帰る途中「ああ、私だって映画館で映画を観てもいいんだ」と思えたことが何よりの収穫だった。他人には馬鹿みたいに見えるかもしれないが、出産してからずっと、私は「母親はいつ何時も自分を後回しにし、家族のために生きなければならないのだ」と、どこかでそう思い込んでいたのだ。

 夫は気持ちよく送り出してくれたのに、子どもを預けて一人で映画を観に行くことに後ろめたさを感じていたのはなぜだろう。何が私をそうさせていたのだろう?

 1つは、身近な母や祖母の姿を見て育ったことが大きく影響している。彼女たちは、キム・ジヨンの母や祖母と同じく、そういう時代を生きてきた人だったから。また、学校や職場、本・ドラマ・映画、ニュースやワイドショー、雑誌や広告などで日々発信される「日本の母親像」に、知らず知らずのうちに大きな影響を受けていたのかもしれない。

 『82年生まれ、キム・ジヨン』という作品は、そんな私に「自分を取り戻せ」というメッセージをくれた気がした。誰かの娘でも、誰かの妻でも、誰かの母でも、誰かの嫁でもなく、一人の人間としての軸を自分でしっかり握っておきなさい、と。いつ何時だって自分の言葉で思いを表現しても良いのだし、その時できる形で人や社会と関わっていけばいいのだと。

 とはいえ現実は、幼い子どもを育てていると、映画館に足を運ぶことすら難しい毎日だ。こうして思いを表現することだって、子どもが寝静まった後、睡眠時間を削って書いている。それでも、だ。自分を取り戻し、自分を喜ばせる時間を作る努力をすることは、まわりまわって家族にも良い影響を与えるのではないかと、私は今実感している。

 夜更かしをして文章を書いたり、本を読んだりした翌朝は辛いけれど、不思議と心は爽快だ。息子にもいつも以上に笑顔で話せるし、夫にも少し優しくなれる。私が機嫌よく過ごしていると、家族もそれぞれ自分のことに集中しだす。だからと言って、いつもニコニコしていられることばかりではないけれど、少なくとも「私は家族の犠牲になるしかないのかしら」という思いは、どこか遠くへ消えてゆくのだった。

原作者、映画監督もキム・ジヨンだった

 本来なら、この小説を読んだり、この映画を観た仲間と一緒に思う存分感じたことを語り合ってみたいのだが、今はそれがなかなか叶わない状況にある。だからこうしてここに書くことで、叶わぬ思いをせめて形に残そうとしている自分がいる。

 そんな孤独だけれでも充実した時間の中で、この作品に関する様々な記事を目にした。それらを読みながら、もやもやとしていた気持ちがすっきりしたり、励まされたり、なるほどなと勉強になったりしたものがいくつかあった。それはまさに、この小説を書いた作家と、この映画を撮った監督のインタビューだった。2人とも、出産・子育てのためにキャリアを中断した女性たちである。

 小説を書いた作家のチョ・ナムジュさんは1978年生まれで、大学を卒業後、テレビドキュメンタリーの作家として10年間働いたのち、結婚・出産を機に退職。出産後、子育てをしながら小説を書き始め、作家になった人だ。彼女はあるインタビューで、この小説が生まれた時のことをこんな風に答えていた。

子供が託児所に行っている間や、子供が寝ている間に食卓で書いていたのですが、こうして書くことが生計を立てる仕事になりうるんだろうか、逆にこれだけの時間とエネルギーがあるなら、今すごく大事な時期にある子供に注ぐべきなんじゃないかーーそんな風に悩んでいたんです。

▼引用元HP

 今の私は、この時のチョ・ナムジュさんとまったく同じ日々を生きている。息子を保育園に送り、家事や在宅の仕事を済ませた後や、息子を寝かしつけた後。私も毎日食卓で、パソコンを広げて文章を書いているからだ。

 誰に頼まれたわけでもないのに、どうしてこんなに一生懸命書こうとしているのだろう。これを書いて一体何になるというのだろう。もっと他に、子どものためにできることがあるんじゃないだろうか。そんな悩みは尽きないが、20年間生きながら取材してきた出来事を私にできる形で表現していくのは今だ。そんな予感めいた思いに、唯一支えられているのだった。

 もう1つ、日本語版の翻訳を担当した斎藤真理子さんとの対談で、チョ・ナムジュさんは、物語を書き始めた2015年当時の韓国の社会状況についてこう語っている。

本当に2015年は女性嫌悪がひどく多く起こった年でした。その反動で、女性はこのときから、いままで我慢していた様々な不満を話すようになりました。そして、社会で問題提起し始めました。女性たちは自ら「私はフェミニストだ」と宣言したり、不平等な扱いを受けた経験を話し始めたりしました。私はそのとき同世代の女性たちの話を整理して記録して文章に残そうと決めました。

▼引用元HP

 また、映画の演出を担当したキム・ドヨン監督も、俳優を経て2児の母になり、40代半ばで大学院に入って学び直した後、長編映画のメガホンをとった人だった。彼女はインタビューで「私もキム・ジヨンだった」と答えている。

俳優として活動した後に子どもを産み、子育てをしながら舞台に立つのは難しくて、かなり長いあいだキャリアを中断しました。でも、何かを創造したいという気持ちは膨らむばかり。だから40代半ばにして演出を志し、大学院に入学したのです。仕事を休んでいる間に、社会的な多くの関係が途切れてしまいました時々一緒に役者として活動していた仲間が成功しているのがうらやましくなったことも。複雑な気持ちでしたね。

 この映画を撮っている最中の、夫や子どもの様子について語った言葉も非常に印象的だ。

夫とは……実は育児や様々なことで何度もぶつかったことがあります。でも、私が必死にシナリオを書いたり、撮影をしたりするのをそばで見て何か感じたことがあるようで、映画を撮影している間はずっと、とても協力的でした。自分をコン・ユの姿に重ねて、誤解してうれしそうでしたね(笑)。息子たちは、まだ幼いので母が何の仕事をしているのかさえもよくわかっていないようです。

 キム・ドヨン監督のインタビュー記事(下記リンク)を読むと、この映画には、監督自身が育児中に経験したエピソードがいくつも反映されていることがわかる。

▼引用元HP

 韓国人の夫がついに映画を鑑賞

 最後に。ここ最近、少しずつ自分を取り戻し始めた私の変化を見て何か感じたのか、わが家の夫にも、少しだけおもしろい変化があった。常日頃から古今東西の映画に親しみ、中でも「宇宙人や宇宙船が出てくる映画が好き」と公言していた夫が、これまで全く関心がなかった映画『82年生まれ、キム・ジヨン』をついに鑑賞したのだ。

 日本以上にネット上での情報があっという間に波及していく韓国では、自分の目で確かめる前に人のうわさ話を信じてしまう、という傾向があるのだが、残念ながらこの映画に関しては夫もその口だった。「フェミニスト小説が原作の映画なんて、女性たちをいっぱい泣かせてお金をもうけようとしているに違いない。観たいとは思わない」と。

 ところが、数日前、結婚してから今までずっと我慢してきたことを全部夫にぶちまける、という瞬間が訪れた。ぶちまけてもなかなか静まらない心を落ち着かせようと、息子が寝た後、私はリビングで一人、映画『82年生まれ、キム・ジヨン』をNetflixで観返すことにしたのだった。

 すると、しばらくして夫が謝りにやってきた。私は「じゃあこれを一緒に観て。ここに出てくるジヨンは私で、ジヨンのお母さんは私のお母さんと、あなたのお母さんなんだから」と言い、映画を巻き戻して再生した。彼は観終わった後、いくつか感想を述べる中で、「フェミニスト小説が原作と聞いていたから、男性を強く批判するシーンが多いのかなと思っていたけど、ずい分違ったね」と言った。

 夫がこんな風に述べるには理由があって、韓国では小説『82年生まれ、キム・ジヨン』が、一部の男性たちから「男性嫌悪のフェミニスト小説だ」と言われ、煙たがられていたのだ。「読んだ」と言った女性歌手が「フェミニスト宣言した」と叩かれる出来事もあった。読んでもいないのにこっぴどく批判する人たちが後を絶えなかった。

 なぜそんな男性たちが現れたのか?それを説明できるようになるためには、もっと韓国社会についてよく知らなければならないが、1つ考えられるのは「韓国の男性には兵役の義務がある」ということではないだろうか。それを「男女不平等だ」と不満に思っている男性がいると知ったのは、2012年に韓国留学していた時だった。

 当時、同じ下宿に兵役を終えて除隊したばかりの男子学生がいて、食事中、こんなことを言っていたのだ。「兵役は義務なので仕方がないけれど、男性が軍隊にいる間に女性は勉強を続けて、先に就職してしまいます。兵役のために、同じ年の女性と2年以上も差がついてしまうんです」と。

 この件に関しては、小説『82年生まれ、キム・ジヨン』の翻訳者である斎藤真理子さんも、インタビューでこのように述べていた。

日本と大きく異なるのが徴兵制です。韓国では18歳以上の男子に約2年間の兵役が義務づけられています。そのため長い間、「男は兵役で苦労するんだから、女は我慢して当然」というような意識が社会的に根付いていました。しかし、1999年末に「軍服務加算点制」(兵役を終えた者に公務員採用試験などで加算点が与えられる制度)に違憲判決が出て、廃止されました。男性に与えられていた特権が引きずり下ろされたわけです。男性たちの間には「女は兵役にも行かないし、デート費用も出さない。男を不当に搾取している!」というミソジニー(女性嫌悪)が広がり、今日に続く男女対立の一つの火種になりました。

▼引用元HP

 しかし、作品を読んだり観たりせずに批判する男性たちがいた一方で、キム・ジヨンに自分の娘や妻の姿を重ね、涙した男性たちもたくさんいた。その辺のことは、小説の出版元「민음사」のYouTube動画の中で、担当編集者たちが次のように語っている。

【女性編集者】男性読者たちも私たちに多くの反応を見せてくださいましたが…【男性編集者】この本が超大型ベストセラーになる前、だから直接探して読んだ男性読者たちは、今と同じような反応ではなかったようです。その時はこの本に共感する男性たちがとても多かったし、実際の生活や人生を省みる男性が多かったんです。私はそれが本当の反応だろうと信じています。

▼引用元(日本語字幕あり)

『82年生まれ、キム・ジヨン』の編集者が語る裏話

 この映画を観たからといって、誰もがラストシーンのキム・ジヨンのようになれるわけではないし、現実は小説のラストのように、何も変わらないのかもしれない。

でも、キム・ジヨンという女性の人生を垣間見て、自分や家族や周りにいる人たちのことについて考える機会を持つのは、男女ともに、悪くない経験だと思う。

 社会を変えるには時間がかかるけれど、自分の行動を変えるのはたぶん一瞬だ。だから、もし「私もキム・ジヨンと一緒だわ」と感じている人がいるならば、自分の話をどんどんしてみてほしい。人に話せないのなら、文字にして自分自身に読ませてあげてほしい。

 私はそんな誰かの物語にたくさん触れてみたい。そしていつの日か、「あんな時代もあったね」と、元キム・ジヨンたちと笑って話せる日が来ることを楽しみにしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?