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この夏読んだ日本•韓国•台湾の本

 読んだ本の感想を書き留めておきたいと思うものの、読んですぐには言葉にできない類のものがある。この夏手にした3冊はまさにそれだった。

 だけど、その3冊を同じ時期に交互に読みながら、言葉にならないものは無理に言葉にしなくてもいいし、「ここはよくわからないな」とか「今の自分にはちょっと受け入れがたい」という感情がわいたなら、そのまま抱きかかえていればいいんじゃないか、という気持ちにもなった。

    だから今日は感想の代わりに、本を手にとった経緯や、読みながらぼんやりと考えたことを記して読書記録としたい。



密航のち洗濯 ときどき作家

 
    私の母方の祖父は幼い頃に家族で朝鮮半島に渡り、日本の植民地支配下にあった京城(現ソウル)で暮らした人だった。10代の終わりに召集令状が来て、一人で先に九州へ戻ったそうだが、他の家族は皆、終戦後に引き揚げてきたと聞いている。祖父は生前、私に京城時代について話したことは一度もなかったし、母や親戚に対しても過去について語ることはほとんどなかったようだ。

    祖父亡き後、形見としてもらった祖父のファイルには、京城の地図や卒業した高校の同窓会名簿、創立100周年記念でソウルを訪れた際の記念写真、韓国人の同窓生と交わした短い手紙と封筒などが入っていたが、祖父が当時の暮らしについて書き残したものは何もなかった。

   社会の教科書では数行で語られていた植民地支配、日本の敗戦、占領地からの引き揚げ、戦後の混乱の中には当然ながら一人ひとりの人生があり、ドラマがある。でもそれは当事者たちが話し伝えたり書き残したりしない限り、「なかったこと」にされてしまう。経験した人たちの証言や記録があってこそ、私たちは過去に生きてきた人の歴史に触れることができるのだ。

   『密航のち洗濯 ときどき作家』は、当事者が書き残していたからこそ生まれたノンフィクションだ。1946年に韓国から日本へ密航したのち日本人女性と結婚し、3人の子どもを育てながら洗濯屋を始めたある朝鮮人男性とその家族について描かれている。彼は働きながら日記を書き、自らの経験を小説にも書き残していた。また、それらを整理し大切に保管してきた子どもたちがいた。

    私はこれを読み、昔私に「この指輪をあげる」と言ってくれた在日コリアン1世のハルモニを思い出さずにはいられなかった。確か、10代前半で朝鮮半島から熊本の天草に渡ってきたと聞いた。天草は私の生まれ故郷、大小の島が連なる海に囲まれた場所だ。あの時ハルモニは多くを語らなかったので勝手な推測だが、密航という形で天草にたどり着いたのかもしれない。ハルモニの指輪は彼女が天国に行かれた後、家族にお返ししたけれど、「指輪をあげたい」と思ってくださった気持ちは、今もまだ私の心の引き出しを静かに照らしてくれている。

その猫の名前は長い

   
    私は今、北朝鮮との軍事境界線に接する街、坡州パジュの目と鼻の先に暮らしている。だからこの短編集『その猫の名前は長い』が福岡のひとり出版社、里山社から翻訳出版されると知った時、目次にこう書かれているのを見て、これは絶対に読んでみたいと思った。

《わたしたちが坡州に行くといつも天気が悪い》

    この短編には、中年と呼ばれるようになった女性3人のコロナ禍に起きた出来事が描かれていた。ここに出てくるウナギ料理店も大型カフェも「きっとあそこのことだろうな」と想像できたし、韓国の首都圏におけるコロナ流行中のヒリヒリとした空気感は私も経験してきたものだったので、まるで近所のご婦人たちの昔話を耳にしたような感覚に陥った。

    上手くいっていると思っていた人間関係が、ささいなことであっという間に崩れていってしまうこと。自分の当たり前が人の当たり前ではないということ。持てる者と持てない者の交流や情愛。小さな裏切りや決別、再会の果ての新しい関係…。姉妹、夫婦、親子、女友達などさまざまな関係性が描かれた短編を一つひとつ読んでいると、共感と小さな反発が交互に波のようにやってきて、言葉にならない感情が埋まきはじめた。

    それは、過去に書けなかった日記を読んでいるような気分でもあり、言語化できなかった感情と再会してしまい嬉しいような困惑するような気持ち、と言えばよいだろうか?

    最後の短編《その時計は夜のあいだに一度ウインクする》の舞台は北海道の札幌だった。札幌は私が大学3、4年生を過ごした思い出深い場所だ。韓国から旅行に訪れた人たちの目に映る札幌、そこで揺れ動く女性たちの心情に触れながら、雪が一気に降り積もった直後の音のない、真っ白な世界を懐かしく思った。


房思琪(ファン・スーチー)の初恋の楽園

   ふと思い立って『韓国に住んだらこうなった』というポッドキャストを始め、1年半が経った。そのタイトル通り、韓国での暮らしや経験を中心に、読んだ本や見た映画•ドラマ、聞いている音楽、出会った人たちから学んだことなどを好き勝手にお話ししているのだが、実はこちらに住んで変わったことの1つに、「韓国文化から少し離れたい」と思う時期が時々訪れるようになった、ということがある。

    最初のきっかけは妊娠中のつわりで、韓国の匂い、食べ物、全てを受けつけなくなった。出産後ずいぶん経った今も、体調が悪くなると身体が韓国料理を拒絶するし、韓国ドラマより日本、その他アメリカやフランスのドラマに癒されることがある。

    そうやって「韓国からちょっと離れたいな」と思っていた時期に聞き始めたポッドキャストの中に、台湾在住のノンフィクションライター、近藤弥栄子さんという方がいた。彼女のエッセイ『台湾はおばちゃんで回ってる?!』を読み、韓国と台湾は文化的に似ている部分が多いんだなあと驚いたものだ。

    そんな近藤さんの発信や著書のおかげで台湾に関心を持つようになった時、ある1冊の台湾小説を知り、読む前から衝撃を受けた。タイトルは『房思琪(ファンスーチー)の初恋の楽園』

    “高級マンションに住む13歳の文学好きな少女が、憧れの国語教師に性的虐待を受ける関係に陥り…”というさわりを読んだだけでも恐ろしいが、これが実話に基づく小説だということ。そして作家がこの小説を発表後、しばらくして命を絶ってしまったことから、台湾では大きな社会問題に発展したという。

    何とか最後まで読みきったものの、10代の少女たちの心を惑わせ、欲望のはけ口にし続ける国語教師は最初から最後まで虫酸が走る存在だったし、子どもの成績や進路にしか関心がないように見える富裕層の親たちもどうかしてるなと呆れ返るばかり。主人公とその友人を支える存在となる女性も夫からDVを受けていて、その描写は読むのも辛い。

   だけど、何と言えばいいだろう…。こんなに腹の立つむごたらしい場面をいくつも書かずにはいられなかった理由がきっとあるはずで、それを読んだ私たちにも何かできることがあるはずで。小説の中で、主人公の房思琪は母親にこう言う。

「うちの家の教育は何もかもそろっているようだけど、性教育だけはない」

    この一行がぐさりと胸に刺さり、私は息子を育てる母親として、小さな頃からしっかりとオープンに性教育をしていこうと心に誓ったのだった。

    最後に、今は亡き作家にひと言お礼を伝えたい。「あなたの小説は私が初めて手にとった台湾文学です。私の読書の扉を広げてくれてありがとう」と。また読み返す自信はないけれど、目をそむけず、勇気を出して読んでみて本当に良かったと思う。多謝!


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