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韓国の初夏、梅しごと。

 今年もこの季節がやってきた。梅の収穫。そして梅エキス(매실청)作り。韓国では料理をする時、砂糖や酢の代わりに梅エキスを使う人が多く、常備していると何かと重宝する調味料の1つだ。私は暑い夏、この梅エキスを冷やした炭酸水で割って飲むのが大好き。

 今年、日本在住の友人知人のSNSを見ていると、6月初旬には梅が出回っているようだった。日本では梅が手に入ると梅干しを漬けたり、梅酒を仕込んだりする人が多いけれど、それらが「梅仕事」と呼ばれ、「ていねいな暮らし」の代表格のように扱われるようになったのは、いつからだろう?

 梅干しや梅酒を作るような家庭で育ってこなかった私は、長らく梅仕事とは無縁の人生を送っていたのだが、韓国に移住する数年前、「自家製の梅酒を飲んでみたい」という欲求にかられ、何度か母と梅酒を仕込んだことがあった。あの梅酒は、もう全部飲んでしまったのだろうか?それともまだ、床下に眠っているのだろうか。

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 お酒をやめてしまった今では、自家製梅酒やビールの代わりに「梅エキスの炭酸割り」が夏の必需品だ。だから私はひと月前、当然のごとく義両親に尋ねた。「今年はいつ梅を収穫しますか?」と。

 後から聞いた話だが、義両親は私がそう尋ねていなければ、今年、梅の収穫をしないつもりだったそうだ。昨年作った梅エキスがまだ残っているし、収穫もその後の作業も骨が折れるので、やらない予定だったと。

 そうとは知らず、「梅の収穫に行きますねー!」と意気揚々と農園に向かった私。「義両親の心、嫁知らず」とはこのことだが、たわわに実った梅を無駄にするのはやっぱりもったいない。義母と夫と私は手分けして、黙々と梅の収穫作業を始めた。

 義両親の農園で一番高い脚立に上り、木の上の方に成っている実まで1つずつとっていく。生い茂る葉の中にぐっと潜り込み、宝探しのように梅の実を見つけてはかごへ放り込んでいると、どこか遠くからクラシック音楽が聞こえてきた。

 青い空と深い緑に、梅の鮮やかな黄緑。それらの間を優雅に流れるクラシック。義母の話によると、これは近隣のリンゴ農家が農作業中に流している音楽らしい。日本でも韓国でも「農作業中にはラジオ番組を聞いている」という人が多く、私もその内の1人だが、クラシックもなかなか合うなあ。農作業との相性バッチリじゃないか。

 虫除け・日除けのため長袖・長ズボンを着用し、帽子とマスクまでしていたのでとても暑かったけれど、心地よい音楽と、たまに吹く爽やかな風が、農作業の疲れを帳消しにしてくれた。

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 余談だが、脚立はどこに足場を置くかが重要らしい。それを見誤ると、上った時にぐらついてバランスを崩し、とても危険なんだとか。そういう理由から、私が脚立を設置しようとすると、どこからともなく義父や義母が駆け寄ってきて、安定感のある場所に脚立を置き直してくれた。

「数年前、落ちたんだよ私が」と言う義母。齢70を越える義両親は、いつまでリンゴ農家として働き続けられるだろうか。

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 収穫した梅の実は、大きなたらいの中に入れ、一つずつきれいに水洗いしていく。ホースから水が放たれる音を聞き、駆け寄ってきた息子(2歳)は、義父の手からホースを奪い取り、たらいの中に水を貯め始めた。

 いっちょ前に仕事をしている様子ではあるものの、梅と一緒に自分も水と戯れる気満々で、その後結局、別のたらいの中に入って水遊びを始めてしまった。

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 去年の彼は、落ちている梅を拾ってはカゴに入れ、洗い場へ運んでいた。まだ勢いよく水が出るホースを持ち続けることはできなかったし、ダイナミックに水遊びをすることもできなかった。

 梅の木も私も、去年とそれほど大きな変化なく今日という日を迎えたように感じていたけれど、1歳から2歳になった息子の変化を目の当たりにすると、私も確実に成長(老化?)し、梅の木だってこの1年、いろんなことを乗り越えて実をつけてくれたんだな、と実感せずにはいられなかった。

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 よく洗った梅は、水気がなくなるまで乾かしたら、黒いヘタを一つずつとり、保存瓶の中に入れていく。

 日本語で梅エキス等のレシピを検索すると、「保存瓶は消毒済みのものを使う」と書かれている。しかし、義母はその辺とっても適当だ。この日も保存瓶を水でさっと洗い、さらしのような薄い布で水気を拭きとっただけで終わった。

「あ、あの、消毒は…」なんて口にしようものなら、「消毒?しなくても大丈夫よ」と笑い飛ばされてしまうだろう。きっと。

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 異文化の中で暮らすということは、ある意味、諦めの連続である。これはちょっと大げさな言い方だけれど、「私の国ではこうなのに」「私の家ではこうしていたのに」なんて言い始めると、ストレスがたまって仕方がない。

 だから、農作業でも何でも、相手のやり方を一回受け入れる。無駄に抵抗するより、「へーそうやってやるんですね」と習い、家に帰った後、自分なりのやり方を探っていく。その繰り返し。

 幼い頃からずっと、日本各地を転々として暮らしてきた私は、行く先々でその土地の方言や風習、食べ物などに親しんできた。自分に合う土地も、合わない土地もあった。でも、どこで暮らしていても、「郷に入れば郷に従え」という生き方が、気持ちを楽にしてくれるのは確かだった。

 それは、自分を見失うことと同義ではない。自分を持った上でいったん心を無にし、相手を受け入れていくのだ。それは簡単にできることではないけれど、少しでもできるようになると、自分にとっての異文化を楽しめるようになる。

 今思えば、のちにこうして異国で暮らす定めだったから、その訓練をしてきた30数年だったのかもしれない。

 根無し草のように日本各地を転々としていた時は、「私には故郷(ふるさと)がない」と寂しく思っていたけれど、今は「日本のあちこちに私の故郷がある」と思えるようにもなった。結果オーライ(これって死語なのか?!)

 さて、梅エキスの話に戻ろう。保存瓶の中に梅をいくつか入れたら、次に砂糖をたっぷり流し込む。梅、砂糖、梅、砂糖と順に入れることを繰り返し、最後に砂糖をたっぷりふりかけて蓋をする。

 梅と砂糖の比率は1対1。梅の重さと同量の砂糖を使うので、梅の数が多ければその分、用意する砂糖も驚きの量になる。完成は100日後。10月初旬の予定だ。

 ちなみに、100日以上経つとどんな風になるのか?昨年の写真を見返してみよう。昨年は11月下旬に開封していた。

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 待ちに待った梅エキスを嬉々として開け、ざるで濾しながらペットボトルに詰める作業中、私はある衝撃的な事実を目にした。いくつかの保存瓶の内1つだけ、白く細い虫が何匹も発生し、エキスの上に浮いていたのだ。

 義母はそんな虫たちにはお構いなく、表情一つ変えず、虫入り梅エキスを濾していた。その横で険しい表情を見せるトンソ(義弟の妻)。「お義母さん、それはお捨てになったほうが…」というトンソに、「大丈夫。発酵食品には虫が湧くものだよ。これは私が使うから、あなたたちはきれいな方を持って帰りなさい」と言い放つ義母。

 「ああ、虫入り梅エキスを飲まなくて済むのね」と、ほっと胸をなでおろしたのも束の間。「私が使うから」と言った義母の声が脳内でリフレインし始め、「…ということは、お義母さんの料理にはこれからこの虫入り梅エキスが使われるのね!」という事実に気づいてしまった。

 田舎育ちの夫は「大丈夫。虫を食べるのはタンパク質を摂取するのと同じだから」と大らかに笑うものの、私はまだ、その域には達することができずにいる。

 梅の実の中に元々潜んでいた虫なのか、それとも、梅エキスを仕込んだ後に入り込んだ虫なのか。詳細は定かではない。「今年は大丈夫でしょうか?」と義母に尋ねたところ、農作物貯蔵用の大型冷蔵庫の中で保存するから大丈夫だろう、との返事が返ってきた。本当かな?

 100日後、さて梅たちはどうなっているだろうか。小心者の私は「虫たちよ、どうかどうか現れないでおくれ」と願うばかりである。

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