個人を守るために必要な支援と対策 第7章:孤立しない社会とは ⑩

 私は“親がやらせたいことを全てやらせるのではなく、子供がやりたいことを混ぜる事が大事”だと思う。

 なぜなら、成功している人の家庭環境や両親の教育観や子育て論を見てみると“子供がやりたいことをやらせてあげたい”という自己選択の機会が多く、物事の決定は子供主導でかつ子供の意思を尊重するという相互関係が幼少期から構築され、時間をかけて確立されていくことで親の提案を受け入れやすくなるため、習い事に対する親との価値観のズレを最小限に抑える事が出来るし、親と子のコミュニケーションが取りやすいことで分からない事を親に質問しながら自分の知識として習得することで自分自身の成長にもつながり、“習得した事を活かして何か出来ないか”という人に貢献する事に対して“give”心理が習慣化されるなど他の子供たちとの価値観における個人差が成功に繋がっていくのだ。

 しかしながら、日本においてはこれらの習慣がなかなか浸透しておらず、子供が自分で努力して、有名チームや学校などに進学しないとプロや大手企業への入社などを叶えることはかなり難しい。

 その理由としていくつかある。

 まず“協調性”という仲間意識の基礎となる価値観が親の心理や価値観に定着してしまっている事で、仮に子供に才能があったとしても周囲からの目を気にしてしまい、その才能を潰してしまうことになる事も多い。

 また、地域によっては“○○さんに気を遣いなさい”や“○○さんより良い成績を取ってはいけない”などの暗黙のルールのような風習や慣習が存在していることや子供が大会などで好成績を取った場合にその結果に不満を持った同級生やその家族が本人やきょうだいなどに対していじめを働くことや親は無関係であるにもかかわらず孤立させられるという事例もこれまで多く発生している。

 つまり、これらの行為の深層心理として“上に立つ人を叩いて自分が上に立ちたい”という私利私欲が強くなる事や親が“自分の子供の方が努力しているのに何であの子に勝てないの“といった対抗心が強くなることで自分の子供に当たるのではなく、直接相手を潰して、子供を上に立たせてあげたいという親心である可能性もある。

 次に“他者尊重より自己尊重”という相手がいくら強くても、自分の方が強いという自意識が芽生えることや学校や地域において相手よりも立場が上である事や周囲から親など身近な人に対しての接し方で“自分の方が上だ”という錯覚を起こすことでお互いに潰し合いのような形相になってしまい、良い結果には繋がっていかないという事になる。

 これは日本における“年功序列”や“コミュニティ・カースト”などの特定の社会や地域特有の価値観が個々に定着している事で“なんで”・“信じられない”などの相手を否定する言葉による噂やデマなど相手を陥れる行為が芋づる式に広まり、これらの拡散行為が本人や家族の肩身が狭くする、立場が危うくなるなどその地域におけるターゲットにされたことで生活が脅かされるという可能性もある。

また、このような行為により、その場所から引っ越さないといけない状況になることもしばしば起きており、このような忖度の過剰反応がその人の選択を阻害する要因になる。

しかし、地域社会において表向きは”見守っている“ように見えても裏を返してみると”監視している“・”弱点を探している“など相手をどのようにその立場から陥落させるか、どのように相手の立場を下げるかを模索しているということも多い。

これが日本において有能な人材が地方から輩出されにくい要因だと私は思っている。

特に、能力が秀でている人や個性的な人、常識に囚われない価値観や発想を持っている人はこのような人たちからの攻撃を受けやすく、無意識のうちに傷つけられるという事態にも発展する事がある。

 その上、年功序列の価値観が強すぎてしまうことでこのような若い世代の人たちが持っている価値観を活かせず、本人たちも“競争”よりも“安定”にシフトしやすくなってしまっている現状を考えると“Donuts型経済”のように周囲には人が集まっているが、真ん中が空いているため、真ん中に進む人がどれほどいるのか分からないのが現状だろう。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。