noteを始めて一年記念日らしい#343
こんばんは♪
新年一発目の出勤、病み上がりでボロボロなノんスケです✨
今日もnote覗いて行ってくれてありがとうございます!(キャスかな?)
さて、先程noteを開いた時に通知が来て驚いたのですが、なんと今日1月4日でnoteを始めてからちょうど1年が経ちました〜✨👏
本当にいつもありがとうございます!
1年間続けてみた所感を少しだけ述べさせてもらうと、ありきたりではありますが、あっという間に経過した1年でした。
毎日投稿を志したのは1月末なので、そことは少しギャップがありますが、それでも1年間、毎日noteを書き続けて本当にいろんな良い効果があったかと思います。
書くのが当たり前なので、もはや自慢するようなことでもないのですが、誇らしいことに違いはないし、興味があれば毎日note書くのは楽しいので、是非オススメします✨
自己満足で大丈夫🙆♂️
一緒に頑張っていきましょう♪
今日のテーマ
さて、今日は【自分が言って貰いたい言葉は他人も言って貰いたいと思ってる言葉である】というテーマで話していきます。
私達は皆、承認を求めてる
人間、多かれ少なかれ、ツンデレな女の子も素直じゃないヤンキーも、何か頑張ったときには「頑張った!すごいね!お疲れさま!」と言われると嬉しいものです。
立場があったり、境遇が違ったり、褒められたときに素直に喜べない可哀想な人もいますが、そんな人でも、面と向かって自分が頑張った時に適切に認めて貰えると、どこか満たされる気持ちになるでしょう。
これが承認欲求というものです。
全人類の内、褒められたい、認めて貰いたいと思っている人が7割〜8割いて、それを満たしてあげている褒める人、認めてあげる人は一方で2割〜3割の割合でしかいないでしょう。
総じて、承認を求めてる人が過多な状態なので、適切に褒めたり認めることができる人は男女問わず尊ばれる存在であることに違いありません。
ですが、やはり自分のことが大好きな人は多く、そして他人を認めることが苦手な人は多いと見受けられるのが世の常だと思います。
最近特に、そう感じるのでした。
自分のケース
目標達成の為、泣き言は特定の人以外の大衆にはなるべく言わず、常に明るくフラットでいようと頑張っています。
ですが、今日ばかしは、「自分は頑張った。認めて欲しい。聞いて欲しい。」そう、強く願ってしまったのでした。
具体的には、年末年始、起きることも辛かった病み上がり状態からの初出勤。会社都合のサービス残業。予定が狂い佐川の受取が出来ず仕事が増えた惨事。併せて個人事業での遠隔顧客対応。電車で遭遇する会社の人を嗜める手間。家族と都合を合わせたいのに連絡が繋がらないもどかしさ。今でも悪化していく声ガラガラ現象。寒さなど。
言い出せばキリがないですが、体力はギリギリです。
そんな中どうしても、「頑張ったね」の一言が欲しかった。
そんな中思わず吐き出たこのツイート
そう。
辛いのは自分だけじゃないんです。
厳しい状況で頑張っているのはみんな一緒。
そう思った時、ハッとしました。
「自分が心の底から欲しい言葉は、きっとみんなが欲している言葉なのだ」と。
しかし、その対象すべてに、自分が声をかけることができるわけではありません。
声をかけるべき人がかけるから、受ける側は承認欲求が満たされるのです。
私は直後に彼女から励まされて救われました。
自分も一日一人でも誰かを励まして、褒めて認めて、相手を喜ばせられる人間になりたい。
そう強く思ったのでした。
終わりに
1年間noteを書き続けてきたことに対して、あまり喜びとか、感動などは少ないのですが、
自分がかけた言葉、簡単なギフト、何気ない挨拶でも救われる人がいると気づいたことの方が今日得られたとても大きな収穫でした。
皆さんの周りにも、「頑張ったね」「おつかれさま」「えらいね」「無理しないでね」と声をかけてあげるだけで、話を聞いてあげるだけで心が救われる方が沢山いるかと思います。
何気ないTwitterのリプライでもそう。
Facebookにいいねを押したり
LINEの投稿にコメントで返したり
noteのコメントを書いてリアクションしてあげたりと
喜ばれる行為はそこらじゅうに転がっているのです。
他人から好かれる第一歩は、興味関心を持つことから始まります。
無関心で、自己承認欲求が高い方は、少し生きにくい世の中かもしれません。
まずは、誰かの投稿にリアクションしてみてくださいね✨
最後までお読み頂きありがとうございました。
いつもnoteを読んで頂きありがとうございます✨ サポートをして頂けましたら、創作活動の勉強費用に当てて、ゆくゆく必ず社会に還元させて頂きます🍀