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私が大切にしている5人の友人〈4人目〉#133

今日は友人というよりほっとけない人。

いや、ほったらかしなんだけど(笑)

自分が今まで一緒に働いていて楽しかった!
同僚や部下・上司でもこんな人が1人でも
いたら、職場はさぞ楽しいだろうなっ!

という私の大切な友人を紹介します✨


C.Oさん

Oさんは「さん」付けしてるけど、女性ではなく男性です。なぜ、「Oさん」なのかというと、私よりも4歳歳上だからです。

では、なぜ歳上なのに友人なのか。実は友人というよりかは、前の前に勤めていた会社の上司と部下の関係になります。


私はこう見えても、元携帯ショップの店長をしていて、彼は一年後に中途入社で入った部下でした。

とても真っ直ぐで真面目で、不器用で、でも責任感があって、所々抜けている天然。私と似たような属性の部下が入ってきて、周囲は笑ってましたが、私にとってはとても大きな出会いでした。


彼は一言で例えるなら、

Vライバーに命を捧げる人情厚い天然バカ

です(笑) 最近ディスりが激しくなってきたのは見逃してください😂

個人的に、もちろん尊敬していてその仲ができているからこそ言えることであり、決してバカにしているわけではないのです。(多分笑)


出会い

Oさんと出会ったのは、2018年の10月頃。

当時、私が勤めていた会社を転職しようか残ろうか悩み、仕事に身が入ってない時に出会ったので、Oさんからすれば、良い印象はなかったはずなのですが、彼は辞める予定だった私を店長としてよく慕ってくれました。

なので、最悪の出会いかと思ってもいたのですが、今考えると自分に似た性格を持っているOさんとの出会いは最高だったと言えます。


結局、いろんなことがあり、転職サイトやエージェントとの関係を全て断ち切って、残留を決意した私の決断は大きな人生の分岐点となり、残留したことによりOさんとの関わりは続くこととなりました。


貧困と支援

Oさんは当時27歳で私よりも当時4歳は歳上だったにもかかわらず、経済的に困窮していた記憶があります。

私に彼を助ける義理など当然なかったのですが、同じチームで同じ店舗の目標を掲げていく中で彼の困窮を救う為に、若き上司としてできることは、彼を一人前の営業マンにすることでした。


当然、私自身がその〈一人前〉に遠く及ばず、名ばかりの店長だったのですが、彼の困窮を救うことと、自らの成長を掛け合わせると、まずは自分が一人前となり模範になるしかないと、かつてないほどのモチベーションを発揮したのでした。

その会社は完全実力主義の社風で、携帯電話を販売したら販売した分だけ基本給の他に歩合給が入る明確な仕組みが強みでした。

しかし、実績の反映は当月の成績の二ヶ月後、昇進昇級の判定は四半期に一回。もちろん、他の会社よりかはスピード感があるものの、毎月安定した成績を出せるのは、ごく一部の玄人だけで、新人であるOさんがすぐに結果を出すのは至難の道だったと思います。


それでも、私は出来ることをやりたいと思いました。私が稼いだ歩合給でご飯に連れて行ったり、交通費とは別に無償で遠くにあった店舗まで、一緒に行き帰りの時間を私の自家用車で共に過ごすことしかありませんでした。

ですが、それに応えるように彼は、店長である私よりも積極的にお客様にアプローチをかけ、着々と成績を伸ばしていったのです。

その時の感動は感謝しきれないほどでした。彼がダメな時は私が頑張り、私がダメな時は彼が頑張る。

この、信頼関係がなぜか自然と形成されていて、後に店舗達成が常勝になるのは至極当然のことだったように思えます。


歳上の部下という関係性

恐らく、実利至上主義の会社に多く存在するであろう、歳下上司、歳上部下の関係性。

小中高大と、一応歳上が偉い構造で生きていた私たちにとって、歳上の部下というものは、とても緊張するものがあるかと思います。

つまり〈舐められてはいけない〉と考えるのが普通だからです。

もともと、相手の方が人生経験も豊富で、どこぞの誰かも知らない歳下のペーペーが、指示命令してくるわけなので、当然認めてくれない場合もあります。

事実、Oさんの一個前に部下になった歳上部下は、私に逆上し店長の私に向かって「おめぇなんか絶対認めない」と面子切ってきた輩もいたので、歳上部下という存在には軽くトラウマ化している面もありました。


しかし、Oさんは違いました。

私が丁寧に仕事を教えるといつも礼儀正しく感謝の言葉を伝えてくれ、私がミスをすると「店長のせいじゃないです」と励ましてくれたり、私がミーティングをしようと伝えた時には必ず指示内容を守って、納得いかない様子の場合でと、とりあえず約束を守ってくれました。

私のどこに、そこまで慕ってくれる要素があったのか、分からないところが当時ありましたが、お互い無我夢中で目標の達成に向けて、チームとして頑張って仕事ができたのです。

そんな、未熟な歳下上司を立ててくれたOさんには、未だに感謝の念しかないのです。


今思えば、ブラック企業で長時間労働でも、あれほど充実した毎日を過ごせたことはなかったのかも知れません✨


離職してから数ヶ月

私はOさんと切磋琢磨した会社を辞め、会社との縁を99%切ったのですが、Oさんは残留したにも関わらず、最近でも連絡を取り合うことがあります。

毎回、唐突にかかってくる電話に驚くのですが、その真っ直ぐで素直な性格は以前と変わらず、しかし成果が出せずに苦労している話を毎回耳にします。

上司の不満の話を聞かされ、その上司の対応に苛立つ私もいたので、早くこっちに帰って来なよ(本州から北海道へ)と伝えるのですが、収入が途絶える方が不安とのことで、私は何も言えず。


もし自分が会社を経営していたら「間違いなく引き抜くのになぁ」と苦虫を噛み潰したような気持ちになり、彼の不遇をどうにもできない無力な自分に苛立ちを覚えるのです。


しかし、私も私で自分の生計をなんとかする事で手一杯な上に、彼女との将来を考えると、収入源のルートの確保ができておらず、リスクを取りづらい環境にいるのが現実です。


理想を言うなら、自分が起業した会社に大切な友人達の生計を預かり、背負って行けるだけの夢と行動力をもって、チャレンジしたい。

いつもそう思います。

しかし、その為には自分は世の中のことを知らなすぎている。

どれだけ彼らの幸福を祈っても、その生活を保証するだけの責任を私はまだ持ちあわせることができていないのです。


ですが、考えます。

これだけ愉快でバカできる、いろんな能力を持った仲間たちと一緒に仕事ができたならどれだけ楽しく働けることだろうか…!

その夢が尽きることはないですが、まだまだ力不足。一応、その中心に位置する私がコネクター役として、仮に活躍したとしても、早くてももう2.3年先の話になることでしょう。


Oさんの紹介

冒頭で〈Vライバーに命を捧げる〉と伝えた通り、彼はその道一筋という特徴を備えています。

自分のお気に入りのVライバーに毎月給料の○万円を注ぎ込む暴挙。(困窮の理由それしかないやんw)


しかし、私は理解していました。

人にとって生きがいとは、まさしく〈生きている意味に等しいこと〉だと思います。

つまり、そのVライバーに熱を注ぎ込むことこそが、彼にとっての生きている意味なのです。


私は、パラメータを一極集中できる彼を心の底から尊敬するとともに、前の職場では毎日のようにライブ配信の時間を伺っては、彼の帰宅時間を早めたりと、気を遣ったものです。

なぜなら、その時間を奪うことの方が長い目で見てOさんのモチベーションを削ぐ要因となることが、明白だったからです。


今の彼は不遇です。

自分の生きがいを理解されず、上司から「そんなものに時間を使うから成績が伸び悩むんだ」と言われる始末。

私はそれを聞いて呆れると同時に憤りを覚えました。もし、そんな上司がいて、立場が同じならぶん殴っていると思います。

彼が成績を伸び悩ませているのは、Oさん自身にも問題の一旦はありますが、どう考えても上司の責任としか判断しかねます。


もう一度Oさんとタッグを組み、彼が満足できる労働環境で、今よりも高い年収で、強みを活かす役割を担ってほしい。

私が社長なら、そう思います。


終わりに

今回は唯一社会人になってから、関わりが深くなったOさんについて、書かせていただきました。

毎度の如く、自分の話が多くなってしまった所はお許しください🙇‍♂️


彼の今置かれている状況を察して、彼の迷惑にならない、私なりにできる応援の仕方を模索していきたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

(3657文字/執筆時間96分)


■追伸

友人シリーズを書いていて思ったのが

大切な友人は少なからず、
私に大きな影響を与えていると言うこと。 

友人の紹介をしようとすると、何故か自分の話が多くなってしまうのは、つまりそう言うことなのだろう、と前回、前々回から感じていた次第です😇


明日は、高校時代の私の親友について

紹介させていただきたいと思います✨

ではまた明日🍀

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