見出し画像

『NOPE/ノープ』(監督・脚本:ジョーダン・ピール)

まず、映像に関わる学芸職という立場を横に置いておくと実はこういうものが大好物で、だから擁護するということではないが、ホラー映画はそもそも社会派なのである。よって、ジョーダン・ピール監督を「社会派ホラーの名手」と評の冒頭で安易に書いてしまうようなことは決してするまい。
だが、ここまでの短いキャリアをもってして「サスペンス映画の名手」とは言っても差し支えないだろう。優れたサスペンス映画とは何かについては『サスペンス映画史』(著者:三浦哲哉/2012年)をお勧めするが、ごく簡潔に、結末を知っていたとしても驚きや興奮が衰えないもの、としておく。
『ゲット・アウト』(2017年)『アス』(2019年)に続いて早くも大作と言えるものを手がけることとなった『NOPE/ノープ』(2022年)では、今どきのハリウッド映画らしく予告編やら本編映像やら十二分に宣伝がされているため、UFOらしきものが出てくることくらいは分かってしまっている。しかしながらそのことは重要ではない。もちろん、だからといって、この文章でストーリーを仔細に説明するような野暮なこともしない。

ともかく、UFOらしきものが核心となることは予告編通りなのだが、そのことが分かっていてもまったく構わない映画だったと言って良い。少なくとも私には、この映画は別のところに主眼があるように思われた。それは、フィルムに現実を収めるとは何事かということである(映像/写真としても良いかもしれないが、あえて「フィルムに」である)。

これまでの監督作同様に黒人が主人公ではあるが、そのことはさして重要ではない。アメリカにおける人種問題は根深い現実で、なかったことには決してしないが、もう「白人のようなヒーローを黒人が演じること」ではないとでも言いたげである。ごくささやかではあるが、アジア人はどうだ?私たちのように戦ってきたか?と問いかけているようなところはある。特に一般的な日本人(親のルーツも自分の住まいも日本で、日本語を母語として暮らしている人。つまり自分のような人)は、見終えた後にふと思い出す場面がどこかによってこの映画の大分印象が変わるだろう。

ともかく、そのような人種やそれによる格差といった社会問題よりも、人間が何物かに目を向ける、向けざるを得ないこと(文字通り“目が釘付けになる物事”)とは、そしてそれをフィルムというメディアに収めるとはどのようなことなのか考えさせられた。すべてが0と1のデータに還元できると信じている現在の私たちに、映画史そのものの歴史から考え直してみよと言われたかのようだ。

しかし、それは私のこの1週間の奇遇によるのかもしれない。だいたいにして見た直後の興奮のまま書きなぐった文章など後で読み返せば恥ずかしいものに違いない。それでも書き残しているのは、『ジョン・フォード論』(著者:蓮實重彦/2022年)を読み、『映画はアリスから始まった』(監督:パメラ・B・グリーン/2018年)を見た直後に『NOPE/ノープ』を見た人は他にいるのか(いてほしい)という期待からである。本作をふくめこれら3つは当然まったく別々の人物たちが別々の問題意識から作り上げたものだが、誰かこの3作をほぼ同時に体験した方がいたらきっとこの驚きを分かち合えることだろう。映画史において、その始まりから現在まで見過ごしてきたものは何か、そして、馬とは、さらには、視線の交わりとは何かを、演出上はかなりの部分を音に託したと思われるホラー要素を越えて考えさせられたことを。


『NOPE/ノープ』(監督・脚本:ジョーダン・ピール/2022年/131分)


この記事が参加している募集

#映画感想文

67,333件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?