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学習機会を与えるということの違和感

今日妻とそれぞれの職場の新人さんについての話になりました。

結論としては、「目標とかって今の子達はどうやって見つけるんだろう」といったことでした。

そのきっかけは、私の職場で始まるオンライン学習サービスに関しての話でした。

いつでもどこでもオンラインで学ぶことができる非常に良い勉強機会が提供されたのです。

が、、、。
これもあくまで学ぶための手段の一つなんです。
もっと大事なのは、何のために学ぶのかといった、目的であり、目標だと思います。

こうなりたいからもっと学びたい。
でも今の社会状況的にもなかなか学ぶ機会が持てない。
じゃあオンラインでその機会を作りましょう。
ならわかります。

でも今の運用は、とりあえず契約したから勉強してね。
職場では残業せずに、家で自己研鑽してね。
こんなに良い機会を与えたんだから、これでも成長しなかったら自分のせいだよね。

そういった役職者たちの声が聞こえてきます。
そうなんです。
指導する側も楽なんです。
自分たちはやりましたよ。あとは勉強するかしないかはみんな次第です。
と言えるから。自分たちは何も汗をかく必要がないんです。

どんなに良い勉強機会があっても、どんなに良い参考書があっても、目標や目的がなかったら機能しないんです。

今大事なのは、スタッフ一人一人に目を向けて、仕事だけではなくライフキャリアといった視点から内発的な動機づけを導くことだと思うのです。

だからこそ、自分の病棟ではリーダーの自分との面談を行わせてもらうことができるようになりました。
それでもリーダーとスタッフという関係性もある以上どこまで本音で語ってもらえるかは疑問ですが、少しでも彼ら彼女らの想いが汲み取れるように支援していきたいと思います。

それでは。

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