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シリーズ:生きながら死んでいる存在~私と周りの障害者たち~第0話 書評『生きてるだけで、疲労困憊。』

自分の兄が知的障害(B-2級判定)の最近はやりの「きょうだいじ」である私が、今までの人生の中で眺めてきた障害者の人たちを個人が特定されない限度において、紹介していきながら、読み手の皆さんに何か少しでも伝えられることができればと思い、筆を(といいながらキーボードを)とることにします。

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第0話の今回は、最近出版され、SNS上で特定界隈に超話題、読まずにツイッターできない、てなくらいに話題になった、reiさん(@rei10830349)の『生きてるだけで、疲労困憊。』についての読書感想をだらだらと述べつつ、それによって呼び起こされた私の見てきた暗い過去を思い起こして行きたいと思います。

1,衝撃的すぎるルポ『生きてるだけで、疲労困憊。』の破壊力

読み終わりましたか??えっ???まだ????なにって『生きてるだけで、疲労困憊。』ですよ。まだなら今すぐhontoあたりでポチッてきてください。なんで怒られてるのか、明日までに考えてきてください(ジョークです)。

この『生きてるだけで、疲労困憊。』、読む前に書評を読んでしまったのですが、それだけで衝撃的でした。

自分が知っている地域の特別支援学級・特別支援学校ではこういうケースは無かったからです。もちろん、私が見えていなかっただけかもしれない。でも、自分がかなり入り込んでいた小中学校の特別支援学級では10人以上の障害児と交流しましたが、そこには1人もいなかったことは断言できます。reiさんとはおそらくかなり年齢が近いと思うので、時代の問題ではないと思いますが、地域差でしょうか。私の地域はとにかく街の過半数が田んぼで占められているような地域でした。

『生きてるだけで、疲労困憊。』は、まずとても淡々とした文章で、かなり意図的に第三者的視点に立って組み立てることに腐心しています。これは著者の特質なのか、出版社側の何らかのマーケティング戦略上の狙いがあったのかはわかりませんが、かなり印象に残ります。

一方で、かなり文章を先取りしてしまいますが、解説とかのたまって文章を載せている精神科医の福西とかいうバカヤロウの解説は読むに値しません。散々こってりいただいた「障害は個性」イデオロギーの焼き直しで、reiさんの文章を読んだのかこいつ!と腹が立つようなものです。これは省くべきです。重版の際には是非!削除してください。「遠回りして手に入れられるもの」なんかねーよ?

興奮しました。話を戻しましょう。

2,幼少期~初等部

生まれてこのかた声が出なかったreiさんの幼少期は、はっきりいってネグレクトの連続でした。代わりに与えられたのは絆創膏とマジックハンドで、「怪我をしたら貼る」「手の届かない物をとりたいならマジックハンド」という放任っぷりです。家族3人は声の出せない筆者のことを留守番に頻繁に出かけてしまう、しかし著者はそれ自体には特に何かを感じたりはしなかったのが不幸中の幸い、でしょうか。そんなreiさんは流れるまま、特別支援学校初等部に入学します。

周りの障害児にも半ばネグレクトを受けている子供が複数いて、そこでつるむことで初めて居場所をとりあえず見つけられる涙がちょちょぎれるようなスタートです。新しいともだちは、虫が大好きムシくんとケイくんです。しか彼らはネグレクトされているのでなにもない。遊ぶものがない。ネグレクトを受けず、親の愛を十分に受けている「持てる者」グループとの対比が悲しいです。ここからの文章が絶句に次ぐ絶句です。そんな彼らはゴミ置き場からゴミを持ち寄ってオモチャとも言えないような物を自作してしのぐことになります。持てる者達のピカピカのオモチャを横目に……。

さらに絶句することが起きます。ある日、ムシくんの片目が黄色く変色しているのです。同世代の女の子に石を投げられたせいですが、親は病院に見てもらう必要性を認識しない。学校の先生に言っても親にどうにかしてもらえとしか言わない。結局、どうにもならないまま失明してしまいます。

3,中学部

中学部に上がったとき、それまでただでさえ痩せていたムシくんの体が異常にガリガリになっているのに気づきます。成長期に必要な栄養を十分に摂取できてないことは明白でした。著者はケイくんと共に給食を早食いして完食し、おかわりして確保した食事をムシくんに食べさせることを思いつきます。はじめはうまくいっていたのですが、「持てる者」グループの1人に弟が誕生します。親は障害児にまでリソースを割けないと考えたのか、目に見えて待遇が悪化したようです。そうすると自然と持てる者グループも同じ戦術で給食の余りを確保せんとします。これは戦いなのです。

一週間程度、著者側(持たざる者側)が負け続けたとき、ケイくんが持てる者グループの1人を殴ります。そのまま乱闘にもつれ込みます。著者もぽかんとながめていて出遅れながらも乱闘に参加します。持てる者グループの「リソースが割かれなくなった君」との殴り合いは体力差で著者の一方的な暴力でした。著者は、普通学校だったら、こんなことはなかったのだろうか……などと考えるのでした。

私の知ってる限りにおいてはみんな給食で補わないといけないほど皮と骨だけのような障害児は1人もいませんでしたし、明確なネグレクトをうかがわせる事例も少なかったです。まさかこんなことが現実に起きたのか、未だに信じられません。もちろん学校の特別支援学級のイベントの参加率は親によって全然違いますよ、障害児の親は障害児が原因かどうかはわかりませんが、片親の確率が少し高く、夫のDVから逃げてきたみたいなケースもありましたが、3段階くらいすっ飛ばした内容には驚くしかないです。

ある障害児を思い出しました。彼を仮にSくんとします。Sくんは母親が熱心な教育ママで、2人の兄弟(兄と姉)は共にいい高校、いい大学に進学したそうです。自宅もなにかの塾みたいなことをやってました。そんな家庭の末っ子に産まれたSくんを、お母さんはどうしていいかわからなかったのです。ネグレクトであるとはいいきれませんが、度々学校にクレームを入れにくる母上のSくんへのまなざしには冷たいものを感じました。食事だけは無制限に与えられたようで、標準体重の倍くらいふとっていました。そのお母様は障害があることを認めず普通学級にいさせることを何度も要求してきました(度々職員室や校長室に来ているのをみていました)。しかし人をたたいたりちょっかいをかけたり物をとったりするのでとても通常学級にはいさせられない。なので体育科の教員を事実上1人つけて、図書室が彼の特別な教室になりました。彼は他人が怒っているのが大好きで、ちょっかいをかけてきます。我々の特別支援学級の先輩の自閉症児、仮にT先輩としましょう、T先輩に何度も何度もちょっかいをかけて毎度毎度騒動になりました。結局、熱烈教育ママがSくんの知的障害含む障害を認めるのは中学校進学のタイミングを待つことになります。

話を本に戻しましょう。reiさんが普通高校に進学したいと強く思うエピソードがあります。それは他校で行われた健常者との交流会で起きます。

普段は来ないような普通学級の女子たちがチョコレートを携えて現れます。チョコレートをもらえる!?いつ!?男子たちは気が気ではなかった。女子達はおそらくは示し合わせ、付き添いの教諭と保護者達がいったん離れた隙を突き、体育館の隅でいつもいじけている著者曰く「卓球君」に話かけます。卓球君はうれしくて応じますが、次の瞬間、女子が卓球君の手を取り自身の胸に当てます。おそらくは何らかの罰ゲーム、または根性試しみたいな遊びだったのでしょう。しかし突然のことに卓球君は呆然としながらも女子の胸を鷲づかみにしてしまいます。別の女子が卓球君を引き剥がすためにボールをぶつけたりします。そこに教諭と親達が戻ります。

障害児側と健常者側と別々に事情聴取されます。もちろん先に仕掛けたのは女子です。しかし女子側が「卓球君がいきなり襲ってきた」とねつ造し、それが通ってしまします(もちろん著者達は真実を話した)。教諭達は強く卓球君に「謝れるよね」と強要します。女子たちが戻ってきました。卓球君に半ば強引に謝らせんとするとき、ケイくんが教諭の股間を蹴り上げ、女子を殴り倒し増した。

「あ、頭を下げるな!た、卓球君が、あ、謝る必要はない!あ、頭を下げるな!」

もちろんこの事件は突如として襲いかかった事件として停学と訓告処分が下されます。障害児の「存在の軽さ」を思い知ったreiさんは、強く普通高校に進学せんと決意するのでした。

私の周りの知的障害児はみんな初等部から特別支援学校か、小中学校は特別支援学級で、高等部で特別支援学校に入学するケースで、その逆は初めて知りました。ちょっと関係が薄いですが友人の話をします。私の友人仮にKとします、Kくんは学力が全体的に低く、ナントカの教室に通級するという名目で、度々授業時間を特別支援学級で過ごすことになります。そんな彼も時は中学3年生の冬、高校受験に頭を悩ませたお母様、担任、特別支援学級の担当教諭は、文字通り「名前が書ければ入れる」と言われる私立高等学校に、さらに第一位専願として出願させます。第一位専願として出願するのは、そうすると評価点が50点だか100点だか上がるからです。あとは内申点と小論文と面接だけですが、落ちる方が難しいと言われる曰く付きの私立高校だったのでもちろん合格はします。しかし彼はそこでいじめを受けることになります。

reiさんが普通高校を受験するのに立ちはだかったのは英語の未履修です。本来、特別支援学校にも教育法の教育カリキュラムが適用されますが、守っている学校はないだろうと書いてあります。私も経験があります。よくサボって保健室にいた自分がたまに優しい特別支援学級の先生に呼ばれて特別支援学級の授業にオブザーバーとして参加すると、やっていることがてんで幼稚で、とてもカリキュラムを遵守しているものではありませんでした。ただ、進度が違いすぎる各生徒に会わせる教育をするリソースがないのが最大の問題で、この優しい教諭はそれまでできなかったようなことを次々実現させていくのですが、あまり熱烈にやりすぎたので兄が卒業すると共に飛ばされてしまい、特別支援学級改革は白紙に戻されました。

reiさんに話を戻しましょう。文部科学省にまで問い合わせて自分の主張が正しいと確信したreiさんは学校側に今でのことは不問にしてこれから対応してくれるよういいます。学校側も文部科学省が出てきては勝てないので補講という形でreiさんに学習の時間を設けます。しかし、いきなりの英語の授業が面倒くさい物に思えてしまったのでほとんどサボり、英語があまり得意ではなくてもいける高校でヨシとしたようです。無事、特別支援学校から普通高校に進学に成功します。

4,高等学校

生まれてから中三まで声を出すことができなかったreiさんは、もちろん高校入学直後の自己紹介でつまづきます。また、教科書や制服は春休みの間に当該高校の卒業式に参加し譲ってくれる人と出会うことができたため、かなり古いものを使うことになり、それも含めていじめの対象になりました。しかし、制服の襟を引っ張ったものは仕込み紙やすりの餌食になり、腹パンしてきたものは仕込み鉄板の餌食になり伏せました。全てはケイくんの策略でした。

こうしていじめを遠ざけた著者は「首領・クリーク」と呼ばれ半ばアンタッチャブル存在になりましたが、余計な干渉がなくなって理想的な環境にも思えたとのことです。

そんな平穏な学校生活を送っていたある日、趣味のエロゲーから派生して呼んでいた美少女ゲーのノベルズをさして「それ、どこで買えたの?」と話かける者がありました。オタク・グループとの邂逅です。美少女ゲーという共通項で知り合った彼らは、オタク特有の喋りたがり、俺が俺がという会話の流しそうめん状態が著者のreiさんにはちょうどよかったようです。まだあまり喋りなれてないところとうまく合致したのです。彼らとはアキバに中野、コミケと一緒に行くまでになります。

そんなある日事件が起きます。アキバに繰り出したところをガラの悪い連中に絡まれてしまうのです。通せんぼをする不良二人を無視してさっさと通り過ぎようとしたところを、襟をつかんで引っ張ろうとする不良。当然仕込みが効いてきます。その隙に逃げたのですが、やはり怖い体験だったので、自営用武器の商う店舗に行き、めいめい好きな武器を購入したのでした。ただ、すぐどこからか漏れてしまい、学校に武器を持ち込むことの禁止と繁華街へ行くことの禁止を学校側から申し渡されてしまいます。副産物として、オタク・グループには「ドン」と呼ばれていたせいで首謀者とされてしまい、学校中から危険人物扱いされるハメになります。

唐突に、これまで話したことのほとんどない同級生が話かけてきます。クラス1の秀才、ガリくんとの会話は著者の会話の不慣れさだけではないぎこちなさがありました。明らかに趣味を合わせてくれている……。そして人気が無いところで彼は「麻薬ってどこで買えるの?」といいます。教育熱心な親の強いプレッシャー、芳しくない成績……彼を追い詰めていたものです。ケイくんと共に説得してなんとか諦めさせることに成功しますが、このガリくんとの友情が著者の人生に大きなよい影響を与えることになります。

ガリくんとケイくんの猛プッシュで大学進学を考えたreiさんは、とりあえず4年間のモラトリアムのために大学進学を決めます。しかし、早速ガリくんから借りたテキストで躓きます。あまりの解けなさに小学校のカリキュラムからやり直そうと思うもそれじゃあ間に合わないと焦り、中途半端に勉強を進めてしまい壁にぶつかります。ガリくんの「問題集はそれをスイスイ解けるようになったら次に進むといい」という的確なアドバイスで壁にぶち当たることがなくなります。そうして高校1年の終わりには、小学校6年分のテキストを終わらせました。小学校のテキストとはいえ、わからないことがわかる成功体験が積み上がることで「勉強してもわかりっこない」という思い込みから脱せました。

高校2年になると進路の話がチラホラ話題になります。そこで著者は私立大学が400万は学費のかかる大変なところだと知ります。いままで自分のためにお金を出してくれたことのあまりない親、400万円なんで望むべくもない。自ずと狙いは国公立になります(ここで著者は国公立大学の授業料を無償だと勘違いして、気づくのは入学の段になってから)。親は結局、受験料だけは出してくれるということです。

狙いも正確に定まったところで、中学校のカリキュラム、高校のカリキュラム、センター試験対策と順調に進んでいきます。そして大学受験に成功します。

5,大学生活

ボロい寮で授業料50万円という現実をたたきつけられた著者は、極貧生活を始めます。奨学金を申請、コンビニバイトをして日銭を稼ぎ、オタク活動のためにお金を使い、食費はキャット・フード(!)。そんな食事をみていて近づいてくるものが現れます。

「もっといいものを食べなよ」そういって差し出されたのはコオロギでした。著者が無造作にほおばると、「ためらわず一気にいったね!僕たち仲良くなれそうだ!」コオロギくんとの出逢いでした。

コオロギくんはコオロギ食を、コオロギの鳴き声を、コオロギ同士の戦いを世界に広めたいと大風呂敷を広げます。そんな純粋無垢なコオロギくんをみて著者は敗北感を味わいます。大きな夢のために歩む君、モラトリアムのためだけに進学した僕。そのまま五月病に移行して大学生活は崩壊していきます。

まず、発達障害者である著者(この時はまだ診断は出ていない)が1限に寝坊したり、間違えて講義があるのに帰宅してしまったりしやすいらしく、できる限り毎日同じようなスケジュールで受講するのがよろしいようだ。

6,障害者最大の敵:就活(シューカツ)

大学4年生になり、周りを見渡すと就活戦線真っ只中。就活は情報戦だった。著者の学んだ宗教学は就活に不利だった。ESを埋めるための美辞麗句の元となるサークル活動などをしていなかった。既に差は開いていた。

ADHD傾向がある著者は、計画を立てず野放図にエントリーをしまくった。これは完全に失敗で、時間が足らずエントリー辞退を招く。そしてそのことのせいでエントリー作業が身に入らずさらなるエントリー辞退を誘発する。完全に失敗だった。

ASD傾向のある著者は、面接が鬼門だった。私服でお越しくださいの文言を真に受けて私服で面接を受けたとき、自分だけ私服で勝利したと思った。「なぜそのような格好をしてきたのですか」には「案内をしっかり読んだからです」と返した。もちろんお祈りされた。

エントリーはもう50社をゆうに超えていた。無い内定が積み重なりどんどん気分は落ち込んだ。そこにコオロギくんが大学のカウンセリングを進めてきた。カウンセラーには実利的な悩みを洗いざらいぶちまけたが、カウンセラーから返ってきたのは「常同的で反復的な習慣や動作の有無」「同一性や日常動作に融通が利かないほどの執着の有無」だった。最初からカウンセラーは気づいていたのだ。「発達障害って知ってる?」驚きはあったがなんとなくすんなり受け入れられた。

その後病院で診断を受け、しばらく後、ADHDとASDという診断名を受けた。大学卒業後は就労移行支援施設に通いながら障害者枠の就活を始めた。そしてそれはあっさりと決まった。

7,しょうがいのこと

著者は発達障害は「明確にできるできない」「性行が強い性行が弱い」と区分できるものではないという。全くその通りだろう。発達障害の症状は本人にもわからないともある。全くその通り。

著者はASDを「空気を読む触覚の欠落」と看破したが、私もそうだと思う。ASDは自分がこう感じるんだから相手もこう感じるだろう……という一般的な「共感」コミュニケーションができない。だから一つ一つ、それがどのような受け止め方をされるかを相手に説明してもらわないとわからない。そのコミュニケーションの「高コスト性」がASDの苦しさの根底にあるのではないか。

本書ではこの後、「仕事において学んだこと」「モテについて考えたこと」に軸足を移しているが、私の周りの発達障害・精神障害者は基本的にほとんど就労移行支援施設止まりなのでこのセンテンスについては触れないことにする。モテについては筆者自身全くモテないので、語るような身分ではないということで遠慮願いたい。

友人の話を少しまたしたい。先のKくんはその後大学受験に失敗し、毒親のこだわりで指定校推薦を禁じられて、泣く泣く専門学校に進学した。ここがなかなかパワハラを満載にしてくる専門学校で、就職率99%超がウリらしいが就職できそうにない者に就職を諦めさせたりバイトを就職にカウントしたり滅茶苦茶だった。Kはここで文字通り100社近くにエントリーシートを送り、数十社を受けることになる。就職担当はとにかく精神論しか述べず、いつまでも内定の出ないKに担任は明確に腹を立てていた。とにかくなんでもエントリーした。CADが必須の職場に、経理系コースなのにエントリーさせられるようなこともザラだった。泣きながら私に電話してくるのが日常茶飯事になっていた。追い詰められた彼は最後の方では開き直り、介護職の会社で「志望理由は」と聞かれ「学校が行けというので来ました」と言い出した。彼はそのまま卒業、母親に大学病院に連れて行かれて、ASDという診断を初めて受け手帳の交付と相成った。果たして健常者として専門学校まで進学したことがよかったのか、もう少し早いどこかのタイミングでわかった方がよかったのか、これは誰にもわからない。

8,終わりに

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