見出し画像

自分の青春とコンプレックスとその克服の為のバーサーカーと、その日々の思い出の話。

過去に↓のような「夢」だとか、「青春」について語ってきたので・・・、自分の過ごした10代の青春とか、そういった話を心の中の内容を中心に書き連ねていこうと思います。

〇過去の



〇ガキの頃自分と家が嫌で嫌でしょうがなかったはなし

子どものころ!どうでしたか!私は・・・勉強もできなけりゃ運動も全くできない運動音痴で身体も弱い・・・かといって口だけは達者、外ヅラは良くて学級委員とかやったりして・・・でも家では傍若無人とかいうゴミ中の「ゴミ」みたいな人間でした。小学校の頃とか・・・。

からだよわい、勉強できない、運動できない。


いや、マジトンチキすぎる。自分の存在全てが黒歴史みたいなもんで・・・。小学校低学年の頃とかまんまこれでした。只・・・ただ、自分でも「そんな自分」が嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。周りに比べても背丈も小さけりゃとりえも何もない人間が居て・・・それが自分だったんです。常に「自己嫌悪」しながら生きてました。只先に結論を述べると、この「内弁慶」な性格は治ったんですよ。小学校高学年くらいから意識して自身で矯正して・・・、中学校くらいには治ってたかも。
自分がすごい小さいガキの頃は・・・いわゆる「教育」が厳しいというよりは・・・親の「見栄」の為に育てられてたってところがあるかもしれません。世間体って奴ですね。全然今は許せてるしむしろ今の自分を作り上げてくれて感謝しているのですが・・・当時はきつかったなって思うのは・・・、

夏休みの宿題でめんどいやつ

例えるなら「夏休みの宿題」。読書感想文だったり、自由研究ありますよね。あとは絵をかいたりとか・・・。アレ、自分に選択権は一切なかったんですよ。自分がこれで「読書感想文」書く!って言っても「ダメ!」って親に言われて。「これにしなさい」と言われたものを渋々読んで・・・書く。書いてるときも・・・傍に常にお袋が居て。表現が!とか、この書き方はおかしい!みたいなことをしてました。あとは・・・「自由研究」。これ・・・殆ど自分がやっていたわけじゃなくて・・・。アイデアだしとかも同様に「これやろうかな」と思っても却下で。結果的に「母親介入」で殆ど強制的にそのテーマで自由研究をやるんです。興味もないのに・・・。絵とかもそう。絵のテーマを決める決定権はなかったし、もうそういうもんなんだろうなってあきらめの気持ちの中・・・かいてたりしました。そういった作品が「入賞」とかするわけですよ。市内のホールとかに飾られるわけで。まあ何とも複雑な気分・・・て感じですよね。
あとは「男たるもの強くあれ」というのがうちの教育方針でもあったので、とかく強くなかった自分は本当にいろんな野山に連れ出されたりして結構スパルタに走ったりしてました。あとは・・・逆上がりとかですかねー・・・。当然できなかったので、夏休みとか一週間朝から晩までお袋つきっきりで弟たちもつれて小学校の誰もいない鉄棒で強制練習してました。嫌でしょうがなかったけど・・・これについては今お陰でできるようになったので感謝・・・してたりもします。すべてが全て結果を見ると「やっといてよかったな」とは思わないけど・・・、当時いろいろ複雑な家庭環境だったので、「しかたがなかったのかなー」って今は思います。

オヤジ、今も昔もアルコール依存中


オヤジ。親父はすごいお人好しで人が良いんですが、悪い点もあって。若いころから「酒浸り」だったんですよ。そしてものすごいヘビースモーカー。小学校時代はそのさっき言った「複雑な問題(所謂嫁姑問題のウルトラ版)」みたいな影響で、狭い団地に5人で住んでたんですよ(親父、お袋、私、弟二人)。寝るのも川の字で寝て。自分の部屋は無かった。でもそれは文句なくて。

こんなもんじゃなかったうちの嫁姑問題


嫌だったのが・・・「機嫌が悪くなると」台所で「機嫌を悪そうにため息つきながら煙草」吸うんですよね。そういうシーン=親父ブチギレのシーンで。1日に数回ありました。子供ながらにびくびくしながら親の顔うかがってたり・・・してましたね。懐かしいな。酒飲むと人が変わるし・・・暴力までは振るわなかったけど言葉の暴力はあったな・・・、あとは威圧感とかか・・・。反面教師っちゃ反面教師になっていますけどね・・・。当時はそれが怖かったなあ。酒は最近一瞬辞めてたんですけどやっぱり飲みだすようになって。タバコは変わらず・・・。お袋はお袋で家出したりして、月に1-2回は家出してたかなあ。
まあ・・・そういうオヤジとお袋の元で育ったのが・・・私なわけで・・・。


〇嫌でしょうがなかったから「ただ」がむしゃらにがんばった話

まあ小学校低学年の頃からそれが「当たり前」だったので生活について特に疑問を持つことはなかったです(大人になるにつれて、うちってなんか変だったなと思うくらいで)。
身体が弱くって、勉強もできなくて運動もできない、外ヅラはイイと。
どこから治す?ってなった時・・・そうなんです、治そうっていうか・・・ある意味「外で演じてる自分」はあくまで自分の中の「理想像」でもあって。足りないのは「努力」だなあって思ったんですよ。その中で・・・最も最初に手を付けたのは「勉強」だったと思います。死ぬほどやりこんだ。勉強はやっても息が上がったり苦しくなるってことはないじゃあないですか。だから初手は「勉強」にターゲットして、そこを突き詰めました。
そして・・・運動ですね。小学校低学年の頃、徒競走とか基本的に常に「ビリ」だったんですよ。
演じてた外ヅラのいい言葉だけで着飾った「できる自分」のベールがはがれる日でもあったので、特に運動会とか地獄だったなーって思います。
勉強ができるようになったら、次は運動に目をつけて。嫌だったけど・・・自分から運動クラブチームに入ったり、朝早く学校行って運動場を走りこんだり、無料でやってる市内の子供向け運動練習教室(跳び箱とかの奴)に足しげく通ったりして、できるように、できるようにって努力したんですよ。

親父(経験者)と始めたハンドボール キャプテンもやった

おかげさまで小学校高学年の頃には、「勉強はできて」、「運動もできる」くらいにはなれて。ビリだった徒競走はむしろ毎回一等賞になるくらいには短距離走が好きになったりして。運動会が好きになって。親父と一緒にハンドボール始めたりして、楽しかったな。そしてひねくれてた自分のいい子の仮面をかぶった外ヅラ・・・については、学年でも捻くれて大分厳しいお祖母ちゃん先生が担任の時に、誰もやりたがらなかった「学級委員」とかを「自ら」立候補して・・・、揉まれに行きました。スゲ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~キビシイ理不尽な先生だったけど・・・頑張ったおかげか性格の矯正もある程度自身でできたし・・・、その先生が中学校、高校と運動会わざわざ見に来てくれるくらいには偏屈婆さんと仲良くなって。家での「内弁慶」も落ち着いたんですよ。まあ反抗期まだでしたし・・・。こんな感じで小学校中学年あたりから結構頑張ったなって思って。
只気分はいつも「最低」でしたね。辛かったから・・・。
この間親友(小学校から一緒)が昔の写真見てたら私とツーショットの写真がなぜかあったって話をしてくれて写真を見せてくれたんですよ。
そしたらそのころから「思いつめた」顔してて。
友人から「今も昔も変わんねえなwwwwwwwwwwwwwwwwww」
って言われました。そりゃあ~そうだよねって。2枚目もあったんですけど「薩摩武士みてえ」って言われました。しかめっ面で。まあなあ・・・当時から変わんねえなあ・・・って思って一緒に笑ったのを覚えてます(1か月前くらいの話)。
ここまでの話振り返ってみると、まあ祖父祖母と親の問題だったり、偏屈祖母ちゃん先生だったり、なかなかとっつきにくいキャラの人ばかり身近にいたせいか、今医者になって・・・いわゆる「関わるのが難しい」患者さんに対してものすごく「好かれる」タイプの医者になれたのはある意味で「役得」というか、そういうスキルありきでできてるのかもなーって今思えばありますね。

〇中学生になって。

中学校の入学式でスピーチやりました。やれって言われたからやった。元々小さいころからホントに「前に出ること」は慣れてたので人前でしゃべってました。思ってもない事もね。一般の公立中学です。
ハンドボールは続けてて、割とガッツリやってたのでそんじょそこらの人よりうまかったと思います。東海大会にキャプテンで出たりするくらいにはガッツリやってました。まあそれは置いといて・・・。
中学校ではハンドボール部が無かったのですが、代わりにまあ似たようなもんだろって思ってバスケット部に入って生きてましたね。このころは前のネトゲの記事でも書いたように・・・朝練やって授業受けて部活やって帰って飯風呂そしてネトゲして午前2時に寝る・・・みたいな生活をしてました。無尽蔵だったなあの頃の体力・・・って思います。あと中学校では生徒会も入って、生徒会長とかもやりました。卒業式の送辞とかもやったりして・・・。

マジこんな感じでめちゃくちゃ前でてしゃべってた

運動も引き続き頑張って、中学3年の運動会で選抜リレーに選ばれて且つアンカーやるくらいには脚も速くなって。

色別対抗選抜リレーのオオトリで2位だったかも いいおもいで。

合唱コンで指揮者やったりとかもしたな・・・。いろいろ大変でもあったけど、友達にも恵まれて・・・楽しかったなって思います。反抗期とかもあったり、背も伸びて親の背丈近くになったり・・・あとは親も・・・ちょっとだけ精神的に成長してくれたのもあって、ぶつかることはちょっと減りました。もちろん小学校時代に比べてってだけで普通に日々そういうのはありましたけど、逃げというか「ネトゲ」の「世界」が自分にはあったので。あとは愛犬がいてくれたから平気だったな。
小学校の頃は「ブラックジャック」に憧れて、「医者」になりたかったんです。でも・・・中学に入って世界が見えてくるようになると、「医者」になることはとんでもなく難しいってことが分かって(家は特に医者とかじゃなかった)。いったんは諦めたんです。都内の会社員でいいやって。というか都内に住みたかった。そういった中学校生活でしたね。

〇高校生活

オヤジと同じ高校に行きたかったんです。市内で一応一番の進学校ってされてるところに。だから中学校時代はホントに勉強頑張ったし内申点もよくなるよう頑張った。まあ勉強頑張ってりゃ内申点は良くなるわけですけど・・・。それで入った高校は・・・まあ真っ黒で・・・楽しい事もあったけど・・・。あまりかけない内容ばかりですが、赤点とりかけたり学年順位は下から数えた方が早いくらいの順位の勉強ぢからで・・・。部活とかも「他人がいじめられてる」体育会系特有のアレに対して憤慨したり(自分は経験者だったからむしろ優遇されいじめる側のポジションにも立たされたからそれが嫌でやられる子を守った)・・・まあ・・・地獄の日々っちゃ日々でした。

いじめられてる子がかわいそうだった。こんな露骨じゃなかったけど。


いつかこの件については書くとして・・・このころから「医師」になりたいって強く思うようになって。んで結局大学受験で、医学部受けたけど落ちたんで浪人することになったんです。
まあ総括じゃないんですけど・・・高校時代に「部活仲間」も信じられず「家族」に嫌悪感を抱き「教師」からも嫌われ「全て」が分からなくなった時期があり・・・このころに一回自分の「アイデンティティ」が壊れた気がします。ここから「がむしゃらに命を賭してでも自身が思った夢、または自身にかけた夢という名前の呪いに向かって突き進む」人間に塗り替えられたかなあって思います。もとよりその気質はあったと思うんですが・・・でもやっぱりそれが顕著になったのはこの時だと思う。

〇浪人時代(1-Lowと2-Low)と医学部

なんか成績で学費タダになったので都内の予備校に通ってました。
1浪目がホントにメッキメキ伸びて伸びて自分でも伸びる成績が楽しくて仕方がなかったです。現役時代塾とかに行ってなかったので、特殊な解法とか知ったりして、「すげー」って思いながらサクサク階段上っていけた気がします。只やっぱり物理が苦手で・・・。物理については伸び悩んでました。1次試験は難なくボーダー取れるくらいにはなって。1浪目、国立医大とJ天、慈〇、慶〇の医学部しか受けなかったんですよ。傲慢すぎる。そんでまあ・・・受けた国立医学部は・・・「行きたかった志望大学」を受けたんですよね、ランクさげて地方に行きたくなかったから・・・。そしたら落ちちゃって。どこも行くとこなくなっちゃったんですよね。センター利用すら出してなかったから。金勿体ないからって理由で。バカすぎる・・・(でも受験料ってバカにならないんですよ)。
両親・祖父祖母ともに「1浪まで」と言われていたので、「行き場がなくなった」私は本当に路頭に迷って・・・。親に土下座しましたよね。引き続きなんか学費免除試験では成績良かったんで引き続き学費はかからんかったんですが・・・、家族からの当たりは強かったです(あたりまえ)。辛かったな(自分のせい・・・)。
2浪目に・・・授業ももう殆ど出ず、自習室でただ勉強する「浪人中友人一人も作らない常にボッチな」ヤツだったんですよ。結構変わり者だったみたいで、ひげもボーボーだったし髪の毛も肩にかかるくらいまであって。言ってしまえば見た目ホームレスみたいな風貌でした(実際ホームレスと間違えられたこともある)。そこである日突然勉強を教えるよって言う人に声をかけられて。マンツーマンで「個人的に」「無償で」見てくれるってことになって。それが・・・「救い」だったと思うのです。浮いてるやべー奴で、しかも同郷ってこともあって・・・ちょっと思うところがあったのかもしれません、声をかけてくれて。そこから苦手だった「物理」が好きになりました。
私は・・・「恩師」って言葉は簡単に使うべきでないと思うのですが・・・少なくとも私にとって人生の恩師をあげるとすれば・・・「その人」だと思います。
そのおかげか成績も安定して伸び切って。伸びしろももうないなって感じになったんです。
2浪って辛いんですよね。1浪目って去年を思い出すと「高校生活」がある。
だけど2浪って去年を思い出しても「今と同じ浪人生活」なんですよ。淡々と・・・変わらず・・・同じことが進む。同年代の子はもう大学生活エンジョイしたり働いてるさなか・・・2浪したのって多分中学では私一人だし、高校でも一人だったかも?。勉強頑張ってる無職だったんですよ。お先真っ暗だって思って。
それでいて「マウントの取り合い」になるのが嫌で浪人時代は一人も友人を作りませんでした。高校時代の友人たちには知られたくないから連絡しないし会いもしない・・・、殆ど孤独でしたね。1か月に1回位、薩摩武士の写真くれた友人の下宿先(都内)に遊びに行って数人で泊まってバカ騒ぎすることで精神を保てていたところがあると思います。それでもやっぱり2浪目の時は一人で寝るとき・・・毎晩将来の不安で涙ボロンボロン零しながら寝てましたね。ホントに毎日。飽きもせず涙がこぼれてました・・・。だってもう自分で「伸び切ったな」って思っちゃっているところが脳内にあったから。

才能!やっぱりそれはあると思う。うらやましいよね


「ああ、所詮オレはこの程度なんだな」って。センター試験だったら・・・90%前後を行き来するくらいで、95%とかもっととる人にはなれなかったんですよ。それでも一瞬でも気が抜いたら落ちる世界で・・・日々・・・ヤキモキしながら過ごしてたわけです。ストレスでこのころは過食もあったし、勉強・メシ・睡眠しかとってませんでした(おかげでこの時期に身長7cm伸びて172cmになれたのは嬉しい誤算でしたけど・・・!)。
そんな感じで日々泣きながら過ごして・・・何とか・・・何とか受かったんですよ。地方だったけど。

受かったら家族とか、知り合い程度の友人、近所の人まで・・・こぞって腫れ物に触るかのように接してきた人がいきなり「開業するのか?」とか聞いて来たりするのは「嫌」だった。手のひらを返すような見え見えの対応で。まだ受かっただけだって言うのに。これから頑張らなきゃならないのに。応援してくれてたか・・・?って思いながら・・・。
「神様がみてくれてたね」「あんたのおかげじゃなくて神様のお陰だよ」っていろーーーーーーーーーーーーーーーーーんな人に言われた。

かみさまなんていないよって思う

ふざけるなよって 思った。 だって神様なんていないもの・・・。
神様が居たら・・・こんなつらい思いはさせんって。いや、わざとつらい思いをさせたのかもしれない。それはイイとして・・・「神様のお陰」って何なんだって。俺の頑張った部分はないのかよって強く強く、これは今でも、思っていて・・・。

レビューブックに書き込んでたりした

それでやっとこさ、医学部に入って・・・。医学部も本当に1単位落とせば留年だし、全力で全力でやり切れるだけやって後悔はしたくないからやれるだけやって結果を見ようって毎年繰り返して身体壊したりしながらストレートで卒業してストレートで国家試験受かって医者やってる今になるわけです。

〇将来の夢と、その夢を果たし終わった後のこと。

私にとっては「果たさなきゃならない」夢であり「そうならなきゃならない」呪いでもありました。何でそこまで固執したんでしょうね。分からないけど・・・きっといろいろな気持ちが渦巻いてたと思います。
高校時代とかの件とかもあんのかなあって思ったりもして。

この記事にも書いたんですけど、やっぱり自分自身で自分に「呪い」かけてるんですよね。歪んでるなあって思います。でも・・・それが自分だから。

今の自分は、過去の自分に「誇ること」が出来ます。ずっと他人というよりは・・・「自分」と闘ってきました。一つの夢がかなった今・・・。次は「どうしよう」?と思っていて。

医者って、なってからが「スタート」なんですよね。「終わり」じゃないんですよ。
初期研修を終えたらどこかの医局に入って専攻医となり・・・いわゆる専門科の医師となり・・・そして内科であればJ-Oslerとかをやり・・・内科総合専門医を取って・・・そこから専門の科目の専門医を取り・・・学位とるなら大学院で無給で働きながら研究し・・・論文出してうまくいけば学位とって・・・そんなこんなやってるうちに40代後半くらいになって・・・。医者って社会デビューはすごい遅いし、手技とかの習熟もあったりとかで「年単位」で人生設計が求められるんですよ。そしていわゆる「熟れた」医師ってホントに30代後半~40代でようやくなれるって感じです。世間でいえばいいとこオジサンに変わりなく。
20後半の自分は社会的に見れば「いい大人」にもかかわらず・・・医師としては「ぺーぺー」もいいとこなんですよね。そしてじゃあ何を目指すの?ってなります。医局のトップに立って「教授」になる?そこまでしたいとは思わないし、あまりに博打だし、博打の結果が出るのが遅すぎる。人生かけた博打はもうこりごりなので、したくない・・・。じゃあ何に向かって次にオレは頑張ればいいんだろう?ってなって・・・。家も医者じゃないし、親族全員農民の出身で。開業医は今の時代なかなか一からは厳しい状況で。かといって勤務医してたらいつか過労死する未来が見えていて。どうしよう、どうしようって思いながら日々を生きています。
次の夢・・・は何だろう。って思いながら・・・。探し、追い求める日々を過ごしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?