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今日の僕を明日の君へ(11)

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 瓦解後に活躍を始めた文化人たちは「瓦礫派」と呼ばれて、長らく「若者」と言えば、「瓦礫派」とされていたが、今の二十代からすると、再建された風景が「日常」であり、瓦解の痕跡と言われたところで「通常」であり、この眼の前にある世界こそが「現実」である。瓦解とは無縁で、「瓦礫派」と一緒くたにされることは不本意のようだ。
 瓦解後の生まれからすれば、似たりよったりの建物が並んでいるのは見慣れた光景だが、とある老政治家が「古い現代アートのようだ」と口にしたことが話題となり、新進気鋭の若手評論家は、自らを「現美世代」「モダンアートジェネレーション」「MAG」とした。瓦解前から権力の中枢にいながら、これと言った政治的な業績はなく、それでいて「大物感」だけは備わっている老政治家は世代を問わず好かれていないようで、彼の発言を小馬鹿にした呼称は一気に認知を得たが、一方で、歯に衣着せぬ独特な発言が売りの評論家にもアンチは多いようで、「自分たちは作品ではない」「あんなボンボンと一緒にされても」「シニシズムには同意できない」と拒否反応を示す若手もいる。
 濃淡はあっても瓦解体験に基づいた作品や発言が特徴だった瓦礫派たちを、若手評論家は、「貧乏臭い」と断じた。対して、ポスト瓦礫派たちを一つの傾向でまとめるのは、呼称の統一見解が出ないのと同じく困難で、自らを若者の代表と位置づけて旧世代を挑発して物議を醸す評論家がいる一方で、これまでとは違った形での記憶の継承を目指す作家、負の側面に目をつぶり瓦解前の世界をロマンティックに描く漫画家など、「共通の特徴がないというのが共通の特徴」といった在り来りな表現でまとめるしかないようだ。
 サブリーダーからは、「面倒だとは思うけど、ポスト瓦礫の担当で」と言われた。「改正反対派のスタンスということにはなっているけど、いつも通り、クルクルとやってちょうだい」と、所属に関わらず、立ち位置について制限はしないと配慮してもらったが、リーダーの率いる賛成派にも同じ担当がいるはずで、テリトリーを荒らされて愉快なはずもなく、気をつけなくてはいけない。いくら職場で浮いている存在であっても、それくらいの配慮はするように心掛けている。
 それよりも「面倒だとは思」ったのは、「個人的に手伝って欲しいことがあるんだけど、プライベートのアドレスを教えてもらえる?」と言われたこと。以前の職場のように、やおら肩に腕を回してくるような馴れ馴れしさのない会社ではあり、その中でも、もっとも公私の境界線を守るタイプだと思っていたサブリーダーからの申し出というのは、「面倒」では収まらないトラブルを予感させた。
 滅多に立ち上がることのないメッセージアプリに受信の知らせが届き、画面には、サブリーダーの顔が大写しになる。彼女も、社内では珍しいアバター不使用で、よりストイックにエフェクトも使っていないように見える。後ろ指を指されることがないように、メンテナンスには余念がなく、短く切りそろえられた髪は、まるでカツラをかぶっているかのように完璧に脱色がされており、いつも根本まで白い。酔っ払って朝礼に登場することもあるリーダーを、内々で「アル中」と呼ぶ者もあり、それに合わせて、頬骨が浮き上がったサブリーダーを「ヤク中」としていたが、頬が痩けてはいても不健康な感じはしない。3Dプリンターで自作したのか、クリエイターに特別に発注したのか、縁の太い古風なメガネを掛けており、ガラスの奥からの鋭い眼光には旺盛な生気があふれており、直視出来ない。
 サブリーダーは、「仕事以外のことを頼んで、申し訳ない」と謝ってから、「大学の後輩が、寮の出身者を対象にして、意識調査をしているの。それを受けてくれない? もちろん匿名で。半日も掛からないはずだけど、二、三時間は拘束されると思う」と言った。存外平凡な申し出に拍子抜け、「ぜんぜんかまいません」と承諾した。
「後輩に、このアドレスを教えても大丈夫?」
「えぇ」
「とってもイイ子なの」
「はぁ」
「真面目に答えてあげて」
 彼女の立場上、組織全体に発破をかけることもあったが、個人に向かっては要件だけをシンプルに伝えるのが常で、申し出を受け入れているにもかかわらず、心がけまで押し付けて来るのは驚きだった。会話を終えると直ぐに「今回はありがとう。つまらないものだけど、受け取ってちょうだい」というメッセージが届き、添付ファイルを開けると、瓦解前に流行していたサイトのIDとパスワード、認証突破のアプリであった。
 時代遅れのサービスを廃止しようとすると、少数ではあっても利用者からの訴訟リスクや、歴史的な資料価値があると言い出す外野からの圧力もあり、閉鎖が出来ないまま放置するしかないサイトは、枯れた技術なので莫大な維持費がかかるわけではないが、企業にとっては悩ましい存在らしい。しかし、ここ数年、有閑シニアたちの懐古趣味のみならず、一部の若者たちには、限られた表現方法や不便なUIなどが新鮮に映り、珍重されている。しかし新規の登録は出来ず、既存のアカウントが高値でやり取りされている、というニュース記事を読んだことがある。市場で調べると、「ビンテージアカウント」という項目があり、サブリーダーからもらったサイトのIDは、複数人分の分厚い獣肉ステーキを購入できる価格で売りに出されていた。
 「三時間のアルバイト代にしては、多くないですか?」と送ると、まだ話題になる十数年前は、百アカウント束になって数十円で売りに出されており、先々なにかの踏み台にでも使えるだろうかと大して意味もなく買い集めていたので、自分の手元には大量のビンテージアカウントがあり、瓦解前の雰囲気を味わうのも良し、手っ取り早く換金するのも良し、いずれにしろ自由に使って下さい、ただし、サイトはいつ閉鎖になってもおかしくないし、バブルもいつ終わるか分からない、とのこと。
 翌日には、「あおのチューリップ」という名前でメールが送られてきた。どこかの文例を、そのまま貼り付けたらしい慇懃な文面で、協力への感謝がつづられていた。貼られていたリンク先には、個人情報の取り扱いと著作権について細々と説明が記されており、同意ボタンを押すと質問項目が並んだページに飛んだ。
 ・ 人造胎について、どう思うか?
 ・ AI育児について、どう思うか?
 ・ 自炊権を認めることについて、どう思うか?
 ・ 教育の無償化について、どう思うか?
 ・ 育児手当の拡充について、どう思うか?
 各項目、それぞれについて、「1.良いと思う」「2.どちらかと言えば、良いと思う」「3.どちらとも言えない」「4.どちらかと言えば、悪いと思う」「5.悪いと思う」と評価させて、その理由を記述するように求めている。
 一部の施設では禁書扱いだった「透き通った子供たち」を、うちの寮を束ねる大人たちはスルーと決めたらしく、推薦することがないのはもちろんのこと、禁止することもなく、世間で騒がれていることは知っていただろうが、その書名を寮生の前で口にすることはなかった。
 寮内ではネットで拾った海賊版のデータが共有されたが、細かい文字だらけの生真面目な告発を読み通した者は少なかっただろう。しかし、本のタイトルは全ての寮生の頭にインプットされたので、「おい、お前、どこに行ってた?」「すまんすまん、透き通ってた」とか、「ちょっと痩せた?」「えっ、マジ? 透き通ってる?」とか、「おい、この肉、見てみろ」「スゲェーな、オレたちより透き通ってるじゃねーか」と、会話のアクセントとして重宝された。
 それ以外の影響は、「透き通った子供たち」が世に出た年のクリスマスには、サンタが奮起してくれて、たいそう贅沢な夕食会となった一方で、どっかの田舎の小学生が考案した「服を送って色をつけてあげよう」キャンペーンのせいで、備え付けのタンスには古着がびっちりと収まって、新品の支給が二年間も取り止めとなり、ボロボロになった下着、通称「透き通った下着」を継続して使用するか、潔く履くのを止めてしまうか、マシなパンツを見つけて盗み出すか、選択を迫れることになった。
 サブリーダーの大学の後輩だから、キャンペーン考案者と同じくらいの年齢だろう。お父さんお母さんにお願いしてダンボールを用意してもらい、手放しても痛くも痒くもない服を詰め込んで、善行を積んだと悦に入っていた子供のまま成長して、寮の出身者を見つけては、世のため人のため透き通った子供のため、こんなことを聞いているのだろうか。
 仕事柄、どのように答えてあげることも容易い。
 寮に押し込んだ生みの親、「劣悪」な環境を放置する政府、問題を見て見ぬ振りを決め込む一般大衆への怨念たっぷりの呪詛を並べてやるか、それとも成功者を気取って、そもそも、この世に完全平等などはあり得ないのだから、自らの境遇を嘆いたところで始まらない、どのような苦境であっても、やる気さえあればのし上がることが出来る、出来ないヤツは怠惰だと決めつるか、斜に構えて、機知に富んだと自惚れる「ユニーク」なコメントを載せてはいるが、その実、「何を言ったところで、どうせ何も変わらないけどね」と達観を見せつけるか、賛成反対、どちらも平等に取り扱って両論併記、博識で賢い、バランスの取れた人格であるとアピールするか、教科書にも記すのが気恥ずかしくなるような素朴な原則論・理想論だけを短く記入して低能の皮をかぶった聖なる愚人を装うか。
 「透き通った子供たち」に感銘を受けるような輩だから、冷え切った現状肯定など求めているわけもなく、かと言って世界観の根底を揺さぶられる灼熱の罵詈雑言にも耐えられるはずもなく、体調を崩さない程度のぬるーい小言くらいが適温に違いなく、これまで自分を支えてきてくれた人たちへの感謝を忘れてはいないが、それでも生育環境が完璧であったとは言い難く、これからの寮運営の参考にして欲しいので、自分の経験を元にして建設的な提言でも書いてあげれば、この「あおのチューリップ」とやらは、満足してくれるのだろう。
 先ずは、人造胎の誕生で女性が妊娠から解放され、母体と胎児の安全性が高まったことは、人類の進歩として認めるべきと前置きしてから、旧世代からの「親としての準備期間が無くなり、それが寮生の増加につながっている」という懸念については一定の理解を示しながらも、「実の親と一緒に暮らすのが幸せで、寮で育つのが不幸というのは、あまりにも単純的な見方ではないだろうか?」と疑義を提示し、寮生活の長所短所などをネットに転がっている記事や投稿を参考にして書き上げる。
 読み返していると、仕事の時間外でも、こんなことをしているのかと苦笑いがもれてしまう。適温の文章であると自負するが、サブリーダーが、わざわざ最後に付け加えた「真面目に答えてあげて」という要望を思い出し、なるほど、わざわざ念押して来たのは、こうなることを想定していたのだと、下賤な下心を見透かされてしまったようで、恥ずかしくなる。大急ぎで文章を消去して、さて、「人造胎」について自分はどう思っているのだろうと内心に探りを入れてみるが、拾い上げる言葉はない。「AI育児」「自炊権」「教育無償化」「育児手当」、書けるところから手を付けようとしても、どれも同じで、そこら中からの寄せ集めで文をでっち上げるのは簡単でも、下手くそだろうが、面白味がなかろうが、自らの言葉だけで構築しようとすると、形になってくれない。全ての項目で「3.どちらとも言えない」を選んで、「理由」については空白とした。
 「あおのチューリップ」には、「お手伝いできればとは思ったのですが、すいません、他人に話せるようなことは、なにもなかったです」と「真面目に答え」たメッセージを送った。冷蔵庫から取り出したビールを飲みながら、サブリーダーにはどんな文面を送るべきだろうか、ビンテージアカウントの返却を申し出でるのは、それはそれで失礼になるのだろうかと考えていると、「あおのチューリップ」から返信があった。「正直にお答えいただき、ありがとうございました」と丁寧な文体で感謝を述べてから、オンラインで聞き取り調査をしたいので、都合のいい時間を教えて欲しいと書かれてあり、「とってもイイ子なの」というサブリーダーの褒め言葉が思い出された。

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