見出し画像

そっちのタイプ

 岩佐から、「どうして自分ではダメだったのか知りたい」とお願いされて、なんと不毛な、と思った。「どうしても?」と聞くと、かつて甲子園を目指していたという浅黒い男は、「どうしても」と、真顔で返した。
 学校に来ているなら、あそこだろうと、学食に行ってみると、昼前で閑散としているが、それでも、ここかしこで暇を持て余した学生たちが集まっておしゃべりに興じている中で、カコは、携帯から線の伸びたイヤホンで耳を覆い、小さな無人島のように孤立し、一人で勉強をしていた。
 彼女の視線は辞書とタブレットとA4のノートを忙しなく移動しており、声を掛けづらかった。LINEに、「今、いいかな?」と送ってみたが、テキストメッセージくらいでは彼女の集中を断ち切れなかった。空席を二つ挟んで座り、そのうち気がつくだろうと携帯で暇つぶしを始め、SNSをチェックしたり、返事を書いたりし、区切りの良いところで頭を上げるが、相変わらず辞書とタブレットとノートに彼女は取り憑かれていた。
 さすがに悔しくなって、携帯で動画撮影を始めた。画面上で二本の指を開くと、ノート上の細々した文字がアップに。小学校では「2B」か「B」と決められていたが、あまりの筆圧の強さに、彼女だけが「H」の鉛筆を使うことが許されたそうだ。今も、書くというよりも、彫り込むような力強さで、紙の上に次々と文字が残されていった。
 ようやく存在に気がついてもらえたのは三十分後で、携帯のゲームに夢中になっていた僕に、「御飯食べた?」と、彼女が言ってきた。テーブルの上に広げられていた勉強道具は既に彼女のリュックの中に収まっていた。時間を確かめると、十二時五分前。「なんか買って来るから、入り口で待ってて」と、授業が終わって混雑に巻き込まれては大変だと、売店に走った。深く考えもせず値段だけ見て、棚からおにぎりを三つ選んだ。
 カコと合流する前に午前中の授業終了を告げるチャイムが鳴り、図書館の中庭に着いた頃には、ベンチは埋まっていた。どうにか木陰を確保して、芝生の上に座った。彼女はリュックからランチボックスを取り出し、「それだけで足りる?」と、買ってきたばかりのおにぎりを指差した。
「足りなければ、後でなにか買って食べるし」
 「味は保証しないけど」とプラスチックの蓋を開け、「なにか欲しいモノがあったら、食べて」と言った。「それじゃ遠慮なく」と、唐揚げを一つもらった。「うん、カコさんらしい味」と伝えると、「なにそれ、不味いってこと?」と返された。
 一つ目のおにぎりを食べ終わる前に、「それで、なにか用事?」と聞かれた。なんとなく食事の最中にする話ではないような気がしたが、疑問の切っ先を逸らすような器用さを持ち合わせておらず、「岩佐のことなんだけど」と恐る恐る切り出した。カコは、一瞬だけ困ったように目を細めたが、直ぐに何事もなかったかのように、ランチボックスからふりかけのかかった白米を箸でもって切り分けて、口に放り入れた。
「あぁいうタイプは、苦手?」
 もっくもっくと咀嚼しながら、先ずは自らの内心を漁っているようで、カコは、軽く下をうつむいていた。それから、一度だけ僕を見てから、視線を横にずらして辺りを眺めた。どのような言葉で言い表すべきか考えつかないようで、依然として口がもごもごと動いていた。
 ついに白米を飲み込んだカコは、「友達としては良いけど、恋人としては、別にーってヤツ?」という助け舟には答えず、不甲斐ない自分自身に怒っているかのように、「私、人から好かれるのが苦手」と不機嫌な口調で吐き出した。
 「人に嫌われたいの?」と聞くと、「そんな人間、どこにいるの!?」と鋭く否定された。「好かれるのが苦手なの、それだけ」と強く断言されてしまい、それ以上、なにかを聞けるような雰囲気ではなくなってしまった。
 おしゃべりも出来ない気まずさで、おにぎりを瞬く間に食べ終えてしまい、手持ち無沙汰で、昼休みの中庭でご飯を食べ、携帯で写真を撮り合い、読書に没頭し、ダンスに興じる学生たちを見ていると、「なにこれ」とカコが驚きの声を上げた。振り返ると、僕に向けられた携帯の画面内では、イヤホンをした彼女がノートに向かって書き物をしていた。
「全然気が付いてもらえなかったから」
 「盗撮よ、盗撮」と言い、ググッと拡大された自分が書いた文字を見て、「汚い字ねー」とあきれた。「僕は好きだよ」と言いそうになって言葉を飲み込み、代わりに、「カコさんらしいと思うよ」と口にすると、「下手くそってことじゃない」と笑った。
 それからギリギリまで他愛もない会話をして、別れた。。
 午後の授業は大講堂にてギリシア哲学、退官間近の教授は、学生たちに分かり易く伝えようとするサービス精神は皆無で、代わりに、大きなイビキを伴う午睡にも寛容であった。演台に向かって緩やかに下って行く座席の中で運良く後方を確保できたので、机に突っ伏して、遠慮なく夢の世界にひたっている学生たちが、よく見えた。
 ボディバックを目隠しにして、携帯の動画を再生させた。調べ物をまとめているとか、大事なことを頭に定着させようとか、教師に提出するレジメを記しているようには見えなかった。カコの心の奥底に眠っている言語化できない情念を、鋭い切っ先を持った道具でもって具現化させようと戦っているようだった。人と距離を取りたがるタイプであることは分かっていた。でも、あんなことを言うとは、まったく想像していなかった。他人と違う自分を誇っているわけではなく、そのことを口にした彼女は、いら立ってすら見えた。思い出すと、どうしようもなく心苦しかった。
 大講堂での授業を終えて廊下に出ると、岩佐が待っていて、「どうだった?」と聞いて来た。次の授業へ急ぐ学生たちが引っ切り無しに行き来しており、「ここじゃなんだし、次は何か入ってる?」と申し出たが、「いいよいいよ、ここで」と言った。
 今は自分しか知らない彼女自身の自己分析を、他人と共有しなくてはならないのは残念だった。近くに顔見知りがいないことを確かめてから、彼女の言葉を、出来るだけ正確に、そのまま伝えると、岩佐は、「そうか」と、一つ大きなため息をついて、「そっちのタイプかー」と嘆いた。そっちのタイプ? と内心では苦笑いだったが、微笑ましくも羨ましく、「そうだね」と相づちを打った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?