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#エッセイ 記事まとめ

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noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
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2019年8月の記事一覧

シスターフッドの福音

女の子から、かなしい相談を受けるときがある。彼女たちがだれかにひどいことを言われたり、されたりしたという話をきくたびに、そしてそれが「女の子だから」ということと少なからず結びついていることがわかるたび、ひたひたと粘度の高い絶望が靴底から侵入してくるような気持ちになる。靴を脱いだって解決はしない。「女の子」という文脈について、けっきょくどのように扱えばよいのか世界ではいまだ紛争中らしい。あまりに語るべきことが多いために語ることをこわがっているのだけれど、それでもいつだってわたし

夢を諦めさせてくれた人

先生へ ご無沙汰しています。さとうです。 と言ってもおそらく、先生はもう、僕の事を覚えていないと思います。 最後にお会いしてから、もうすぐ10年が経とうとしています。 僕は約10年前、先生から脚本を学んでいました。 10年振りにこうして文章を書いているのは、理由があります。 どうしても、先生にお伝えたいしたい事があります。 1人に向けて書くんだよ。たった1人に まず、その前に僕の事を思い出してもらわないといけませんね。 約10年前、プロの脚本家の方数名で脚本スクールを

その日、私はたった2回カフェをした人のことを想いながら、涙が止まらなかった。

あれは本当に不思議な出来事だった。 特別タイプなわけでも、ロマンチックな雰囲気でもなく、ハプニングが起きたわけでもない。 たった2回カフェをしただけなのに、わけもなく涙があふれてくる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 大学4年の秋、私はパリから大まかなルートを決め、のんびりとフランス一人旅をしていた。 航空会社で働く両親のもと育った私にとって、旅行は昔から身近なものだったので、大学時代は留学と旅の思い出ばかりだ。 現地の暮らしを知るのが好きで、旅では「Worka

あの夏、一緒に焼き鳥を食べた大人たちは、きっとすごい人たちだった。#あの夏に乾杯

大人って、いいかも。 初めてそう思ったのはたぶん、あの夏の夜だった。 *** 学生時代、東京の下町で塾講師のアルバイトをしていた。相手は主に小学生。子どもたちの全身からほとばしるエネルギーにはいつも圧倒されるばかりで、1日合計3、4時間の授業をするだけでヘトヘトだった。 バイトが終わると昔ながらの商店街や神社を通り抜けて駅に向かう。昼間は静かで平らな、それでいてどこか懐かしい空気に包まれていた町は、夜にはサラリーマンたちの憩いの場に変身する。 昼間と同じ道とは信じら

そのむかし、雑誌のライターだったころ。

なんの脈絡もなく思い出したエピソードを語る。 あれはぼくが雑誌ライターをやっていたころだから、すくなく見積もっても15年以上前の話である。当時ぼくは、経済雑誌を主な活動場所にしていた。いまだってそうだけれど、あのころのぼくに経済まわりの専門知識なんて、皆無に等しかった。 ちょうど松井証券が国内初のインターネット株取引を開始し、おおきな話題を呼んでいたころ。ある投資家の方に取材したときのやりとりである。 「ま、個人で投資をする場合は、最低限BSとPLくらいはおさえておかな

生きてるってふしぎだな

一昨日から今日にかけての3日間。 父方の祖父母、母方の祖母と過ごした。 自分が歳をとったということは、当然周りの人も同じだけ歳をとっていくということで。 気がつけば父方のおじいちゃんは88歳、おばあちゃんは77歳。母方のおばあちゃんは90歳を超えた。 一昨日、昨日と父方のじいちゃんばあちゃん、そして父の兄弟家族たちの、総勢15名でプチ旅行をした。目的は祖父母の米寿と喜寿のお祝いをすること。 夕飯後、サプライズでケーキを出し、みんなで祝った。その場にいる人たちみんなでおじ

誰かを褒めるとか祝うとか それは強い人と弱い人がやることだと思っていた

思っている。今でもきっと。 わたしは誰よりも優位に立ちたかったのか。少なくとも負けるのは悔しかった。その悔しさに耐えられないから。いつだってわたしは頑張っていないフリをする。誰かと戦うことを拒んでいた。色をつけられてしまう、それに怯える。半端な努力がわたしの道を結果的には塞いでいた。 何万人、何億人もの人間が。 当たり前に乗り越えてきたそのありきたりな悩みに青ざめる。いくら言葉を積み重ねても言葉にならない焦燥が、身体の中で擦れていた。 「おめでとう。」 「感動しました。

消えない泡 #あの夏に乾杯

北の夏は短い。 盆だというのに吹き込む夜風は涼しく、虫の声も秋を感じさせる。リビングの窓の網戸には、大きな黒い虫が張り付いて離れない。蛍光灯の光に引き寄せられてか、夕飯のカスがこびりついた皿の山に用があってか。 「おい」 テレビの前の父親に目を向ける。むっくりとした猫背のラインに、グレーのTシャツがぴったり張り付いている。野球観戦後そのままのチャンネルで垂れ流されるCMでは、最近人気の俳優が爽やかな笑顔をこぼし、ビールを飲み干している。 「一杯、どうだ」 夕飯の時か

31歳、ホストクラブにデビューしたら、思わぬ悲しみに出会ってしまった。

とある金曜日の夜。新宿・歌舞伎町に4人の女が集った。 ハフポスト日本版が誇る、自己評価低い系のアラサー編集者たちだ。 いつも取材先としてお世話になっている、ホストクラブ経営者の手塚マキさんのご招待で、私たちはこの日、手塚さんが経営している3つのホストクラブを「はしご」させてもらった。 結論を、一言で言わせてほしい。 「女は時に、イケメンの悲しみにお金を払う」。 ホストに会う夜、女は赤い紅をひく。 午後8時。いつもと違う真っ赤な口紅をひいて、ホストクラブの扉を開けた。

スタジアムから聞こえてきた『Creep』に立ち尽くして泣いた夏の話

2003年だった。わたしはまだ20代半ばで、仕事は適当、恋愛だけ一生懸命で、新卒で就職した会社をやめてフリーターをしたり派遣社員としてぶらぶらしていた頃だった。 夏だった。当時の恋人と、その友人カップルと車をあいのりして、幕張の夏フェスへ向かった。男同士は同じバンドのドラマーとベーシストとして長い付き合いがあったが、その恋人であるわたしともうひとりの彼女はほぼ初対面で、お互い少しの緊張とともに車中を過ごした。しかし現地へ着いてしまえばそんな遠慮もふきとんで、それぞれが思うが

借りたままの、5ポンド

2002年の9月。私はエディンバラ某所でバスを待っていた。 ロンドンで修士論文を提出し、1ヶ月半の自由な時間に私はスコットランドのエディンバラに渡って、ずっとやりたかったリサーチをし、論文を書き、版画工房が閉まった後はサルサの教室に通っていた。 ロンドンにいた頃、現地のサルサシーンにすっかり夢中になった私は、エディンバラでたまたま通りかかったEl Barrioという南米風のバーの「サルサ教室、予約不要 £5」の張り紙に惹かれて、毎晩そのバーの教室に通い、フランス人の女友達

わたしが滅亡しかけた夏夜

「パピコ、パピコの、ソーダ!」 幼稚園からかえってきたばかりの息子達は、したたる甘い汁をおしりふきでおさえてる。 Eテレでは知らない子たちが、ダンボールでかき氷屋さんになろうとしてる。インサートされたお店の映像では、透明なひかりの跳ねる天然氷のかたまりに、刃があてられ、ざり、ざり、と削られてる。 ざりざりざりざりざりざりざりざり 夏に特別な思い出がない。 それなのに、忘れられない夏がある。 あれは、地味すぎる大学三年の夏。 なのに10年以上たってもまだ記憶の