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#エッセイ 記事まとめ

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noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
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2019年3月の記事一覧

孤独について

先日当面最後になるであろう一般向けの講演で話してきた。そこにいた在日の子が質問をしてきて、それは僕も5年位前までに考えていたことだったのでちょっと書いておきたい。 彼の質問はこうだった。 僕は地方の朝鮮高校出身です。大学からは慶応にきて、そこで勉強して今は起業しています。高校時代の友人たちは今も大切にしているのですが、一方でどうしても話が合わなくなっていることについて苦しさを感じています。慎さんはそういったことを感じたことがあったのでしょうか。どうやってそれと向き合ってい

俺の名前だけが愛称だった

友人が亡くなった、盲腸癌だった。 数少ない親友と呼べる仲間だ。 訃報は経営合宿が始まったばかりの朝イチに届き、動揺から私の話すことは終始グダグダであった。 会議の合間にもうひとりの親友と電話し、ようやく状況が掴めた。闘病してる間は誰にも病状を伝えなかったらしい。ただひとり、いま話している むかし3人組と呼ばれていた会話の主以外には。 だから寝耳に水であったのだ。 電話の向こうでそれを誰にも言わずにいたことを謝っていたが、アイツらしいやり方だと自然に受け止められた。過剰に

見ず知らずの人に100万円もらって湯水のように使ってしまった話

帰宅するとポストに郵便局の封筒が届いていた。 数年前の、陽が落ちればまだ涼しさの感じられる初夏の夜のことだ。 押印から不在票の類だということは察したが見慣れた物とは少々様子が違う。 いわゆる長形3号封筒には割と汚めの殴り書きで私の名前と〈本人限定郵便物到着のお知らせ〉という赤字の判。 更にその下に〈転送不要〉と念押しがされていて、何やら随分と仰々しいモノが届いていることに不安を覚えた。 胸がざわざわする。 薄暗いリビングで電気も点けずに開封すると、A4用紙が2枚。 何て

1994年、恵比寿と母とメリークリスマス。【東京シモダストーリー第3回】

東京に生まれ、33年を生きてきた僕・霜田明寛が、消えゆく平成の東京を綴るエッセイの第3回です。 “平成の東京”であり“僕の平成”であり“僕の東京”……2000年(14歳)、2003年(17歳)ときましたが、今回はさらに過去の“9歳”へ……! ■ 2019年の成人の日。僕は、俳優の中川大志さんの“はたちを祝う会”というイベントの司会をするために、恵比寿ガーデンプレイスに向かっていた。 大事なイベントのときは、キャラではないがタクシーで会場に向かう。 ガーデンプレイスの敷地の中

noteを始めて2ヶ月が経ちました

僕は小さい頃から読書があまり好きではなかった。 どちらかと言ったら映画の方が好きで、小学生時代の僕の将来の夢は「映画監督」だったほどだ。 想像力があまり豊かではなかったのかもしれない。映画であれば観ているだけで主人公の感情や描写なのが全てわかるのに対して、本は自分の頭の中で映像を描かなければならないため映画を観る以上に体力を使う。さらに、当時から流し読みの癖がついていた僕は、内容を理解することができず自分で「あー主人公は多分こういうことが言いたいのかな」というように勝手に考察

何度もなんども、繰り返しトライして、少しずつ改善していけばいい

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  人工知能は驚異的に見えるが、その学習則は単純で、ただ、何度も何度もトライして、その結果の誤差や、より評価関数の高い方にパラメータを変化させることを繰り返しているだけなのである。  繰り返しが、多くなるほど、その積み重ねで、やがてものすごく遠くにいける。  人工知能の学習則は、もともと人間の脳から学んだものなのに、その本家本元の人間の方が、繰り返しの大切さを忘れているという側面がある

書くことはセラピー

私は今でこそ、人前でもよく喋るようになりましたが、子どものころは、自信がなくて、滑舌も悪く、あんまりお喋り上手ではありませんでした。 だからこそ「書くこと」はちゃんと感情を吐き出し、思考を整えるための手段だったんですね。 小学校高学年〜中学生の頃の日記を見ると、それはもう、「よくもこんなに毎日吐き出す感情があったな!」 と感心してしまうくらい、悍ましいほどの感情に溢れかえっている。思春期ってすごい。 しかし、その日記をちゃんと読んでみると、書いている途中で感情がある程度

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単一ではないのであって、その中にさまざまな声がある。

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  現代の最も大切なことの一つは、「多声」ということで、とにかく、たくさんの人の、さまざまな声を聴くのがよい。  多様な声を聞いて、それを自分の中に取り入れていくことで、自分の中の森を豊かに育てていくことができる。  さらに大切なことは、自分自身の中の多くの声に耳を傾けることだ。  自分は単一ではないのであって、その中にさまざまな声がある。  一つの声だけに集中していたり、自分という

クリエイターのための生存戦略入門編

みなさん、こんにちは。 本記事ではtwitter投稿で人気だった、WEBでクリエイターが活躍するために覚えておきたい重要なポイントについて、まとめています。 目次 ・はじめに ①計画を立てる ②先行投資期間を考えてみる ③自分の足場をつくる ④自分のコンテンツを振り返る ⑤読者との関係を大切にする ⑥マネタイズポイントを見極める ・お知らせ はじめにWEB上で創作活動や、発信している方はすでに多くいます。自分のメディアを簡単に持てる時代になりました。マスメディアが力を失い

笑うことを忘れなければ、人生は回っていく。

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。 感じるものにとってはこの世界は悲劇であり、考えるものにとっては喜劇である。 この有名な言葉、あるいは「悦ばしき知識」の中にある「悲劇の時代が終わり、喜劇の時代が来る」というフレーズ。 どちらも、「止めない」という叡智を表している。 とにかく、生き続けること。つないでいくこと。 つらいことや苦しいことがあっても、笑うことを忘れなければ、人生は回っていく。 それは結果ではなく、一つ

変わりゆくことも「あなたらしいね」と言い続けたい

日々の繰り返しの中で、人は少しずつ変化している。迷ったり、悩んだり、手に取っては置いてみたり。大なり小なり様々な選択をしながら私たちは生きている。その繰り返しを経て、大人に近づいてみたり、時には子どもに返ってみたりと、細かい小さな揺れ動きの中で心は形成されていく。 「タイミング」の直感を大切にすること昨年末は様々な選択をした。正社員で勤務していた会社を退職することを決意しフリーランスへの道を志したのは実は数ヶ月前のことだったし、所属していた大好きなコミュニティも退会してしま

僕たちは走ることで、世界に(より自由に)触れることができる

 ここ数年、よく走っている。毎日……と言いたいところだけれど、なかなか時間が取れなくて週に3、4日といったところだ。普段は5キロ、休日などは10キロ、ランニングするのが習慣になった。特に理由はない。健康のためでも、ダイエットのためでもなく単に「楽しい」から走っている。  走ると電車の移動とは違って街々のつながりを読むように移動することになる。閑静な住宅街から、ごみごみした学生街へ。そしてコリアンタウンから歓楽街へ。流れを感じながらの移動は点から点への移動ではなくて、線の移動

デンマーク人が幸せなのは、日本人と幸せの前提が違うから

私がデンマークに来た理由はいろいろあるけど、「なぜデンマークが幸福な国だと言われるのか、実際にこの目で見て知りたい」ということも理由のひとつだった。 高い税率の代わりに教育費や医療費が無料だから?男女平等で女性が働きやすく、子育てもしやすいから? そういうことも一因だとは思う。 でも私がフォルケホイスコーレで生活していて気付いたのは、「デンマーク人はそもそも"幸せの前提"が私たちと違うのでは?」ということだった。 デンマークでは「HYUGGE(ヒュッゲ)」という言葉に象

岸惠子(5)ユダヤ人ってなに?

パリでわたしはインドシナ人だったと、加藤周一は書いている。インドシナ戦争が終結したのは一九五四年のことで、加藤の帰国はその翌年である。 結婚した年の夏、岸は高級靴店に二人の友人と入った。同じ年のテレーズと、夫の友人の妻ニコールである。靴のサイズが小さいので注文しようと思ったのである。服装は所属する階級を示す記号であり、当時のフランス人は、足許から視線をあげてその人物を値踏みする。店の女主人は、店に入ったときから「嫌悪と軽蔑の入り混じった」棘のある眼差しで岸を見ていたが、「足