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日記「Time flies, 握り生姜」

音楽の趣味で人を語れるものではないと思う。
ハードロックを聴いているからそういう性格の人とは限らないし。
優しい歌を聴いているから上辺や本性がそういう性格だとも限らないと思う。

でも、今宵わたしがそうだったらいいなと思う新説、持ってまいりました。
「好きな異性歌手には好きなタイプが表れてる説」!

例えば、カッコいい女性歌手が好きならその人は女性にカッコよさを求めているか、そういう人に惹かれやすい。
可愛さやほわほわさを出した歌い方をしている女性歌手が好きなら、女性のそういう要素に惹かれやすい。
線の細い歌詞をしっとり歌う男性歌手が好きなら、男性にそういう面を求めている。
ゴリゴリのヒップホップが好きなら、攻撃的な雰囲気のある男性に惹かれやすい…など。


まあ、無いと思います。この説は。
そうだったらいいなというだけで。好む音楽の激しさや優しさがその人の上辺や本性と関係しているという説と同じくらい無いと思う。
でも…。そうだったら…?いかがですか…?
なんこの話?




苦しい時、悲しい時。どうしてわたしだけが?と思う。
どうしても思ってしまう。

そんなわたしを、「お前だけが被害者か?」って詰めてくる自分もいる。
「お前だけが被害者か?」って考えは正しい。みんなそれぞれ苦しみ、そしてそれに頑張って対処しているからね。
けれども、それは傷付いてうちひしがれているその時にかける言葉ではない。

しかしわたしはオタクの否定から入るその機能を自分にもオートで適用してアウフヘーベンを常に狙っているので、傷付きうちひしがれているその時にも自動でその言葉が出てくる。

だから…苦しいっスよ。
え?苦しいのはお前だけか?






遺書を初めて書いたのは20歳の時だ。
自転車で札幌から鹿児島まで行く時に、コピー用紙にマジックで「葬式は金かかるから挙げるな」と書いて、その下に葬式で流すセトリを記した。それを自室に置いて旅に出た。

それ以来、時にフランクに、時にシリアスに遺書を書いてきた。回数はもう2桁行くだろう。
もちろんと言うか、遺書が法的な効力を持つ条件を調べていないまま書いているので、本当にただのメッセージ。どうせ保持している資産も無いし、問題は無い。


ふざけてはいけないタイミングが、人生にはある。
不謹慎と言われるタイミングが。例えばそう。人が死んだ時。
その時ふざけていいのは、死者だけだ。つまりわたし。
でも死ぬと行動ができないので、生前に全てを仕込む必要がある。DEADジョークとかね。

「…って、もっともわたしの心臓はもう動いてないんだけどね!」
ドッ  ワハハ!

これが許されるのは死者だけです。
厳密に言うと許されないかもしれないけど、咎めるその声はわたしには届きませんからね。


でもあれなのかなあ。私信を残すのはまあするとして、色んなサービスのパスワードとかロック解除方法とか遺しておいた方がいいのかなあ。その必要はわたしは無いと思うんだけど。webから姿を消した時がわたしの忘れ去られる時よ。


生前でまだ元気なのに遺書を書くなんて縁起でもない…と忌避されることもあるけど、わたしはそれは勿体無いことだと思う。

遺書は心の整理に良い。
特に落ち込んでいる時こそ遺書を書いていると、落ち着いてくる。
死ぬ気が無くなるとかではないけど、落ち込みが治ってくる。

ホラ、落ち込んでる時に「元気になろーゼッ!」って向きの動きは取りづらいじゃないですか。
そんな時こそ落ち込みと順方向の遺書なのですよ。落ち込む時にできるライティング、ノーティングなんです。

遺書って、死ぬに至った自分の心情とか状況を何も知らない人に説明する様に書くじゃないですか。
それが自分の状況の客観的な観察になる。
記述する行動は心の落ち込みから頭の注意を逸らすし、観察は何か別の事を生む。
まぁその"別の事"は死へ向かう更なる理由かもしれないけど。
でもプラスの事が生まれるかもしれないし、そもそも死んだら落ち込みとかもないから。


あ!なんか飛んでんなぁ。匂いも…。うん、これは、これ以上踏み込んだこと言ったら怒られる雰囲気かも!もしくはピロシキの匂いかな。間違えやすいんだこの2つは。


ここで一句

冷える空
聴く雪の音
飛ぶ暦

BRUTUS12月号の表紙を飾る句
(背景写真:マックグリドル)


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