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【長編小説】漂白剤社会 | 第十話・手紙

第九話・動機 | このお話のマガジンはこちら | 第十一話・女海賊


 

 国選弁護人の小林弁護士は、度々、奈恵の留置所を訪れては面会に来た。
その都度、何が必要か聞いた。

「ご飯は食べられていますか?」
小林弁護士は、椅子に腰かけると、穏やかに話した。

 被っていたハットをゆっくりと外すと、白髪交じりの髪が見える。八十代くらいの皺が刻まれた目元がくしゃっとする。

「あまりご飯を食べる気にはなりません…」
奈恵は可細い声で答えた。

「…報告があります」
小林弁護士は重い口を開いた。

「あなたのことが新聞記事になっています、他は週刊誌にも」
そう言って、新聞記事の切り抜きと週刊誌の紙を見せた。

 奈恵はその記事を読んで驚いた。何故なら刑事に話した内容とは異なる、まったくのデタラメな内容が書かれていたからだ。

「全然違う!何故、きちんと報道してくれないんですか!」
奈恵は声を荒げた。

小林弁護士は悲しそうな表情をしてこう答えた。

「もはや日本のメディアというのは、報道しなければいけないものを報道するのではなく、自分たちが報道したいものを報道するんだ。話題になれば、正確さなんて関係ないんだよ、残念だけど、これが今の日本だよ」

 奈恵は週刊誌に目をやると、そこには信頼していた友人からの証言と友人とやり取りした何気ないメールが掲載されていた。こう書かれている。

『友人であるA氏は、前々から奈恵の奇妙な言動を不安視しており、逮捕のニュースを聞いて、やっぱりと思ったそうだ』

 奈恵には、その友人A氏のことが誰かすぐに分かった。
何故なら、そのメールの切り取りに書いてある内容を話したのは一人だけだった。奈恵が胸の内を話したのは、同じDV被害者として、相談し合う数少ない友人だったからだ。同じ被害者だからこそ、奈恵は何でも理解し合えると思った。

 掲載されている部分は切り取られて、いかに奈恵が自分本位な性格なのか《魅せる》ような編集だった。記事の最後にはインタビューとしてこう書かれてある。

『奈恵は信頼できるような友人じゃありませんでした』

 私は弁護士の前で泣いた。
弁護士は「辛いね…」そう言って、そっと手を添えた。



「八番、手紙が届いています」 
「ここに受け取ったサインをしてください」

 留置所は一人部屋だったので、誰かと会話することもない。そんな中、手紙は唯一、外の様子が分かる手段だった。

「いいなー」
突然、横からボソッと声がした。隣の部屋にいる人だった。

顔は見えなかったが、声から憶測するに、二十代後半の女性だ。

「私は、誰からも手紙、来ないからさ」 
小さな声でそう呟いた女性は、以後、何も話すことはなかった。

そうか、手紙が来ることは当たり前のことではないんだ。私は、改めて、手紙を書いてくれる人のことを有難く感じた。

 手紙の裏面を見ると『宮本かなえ』と書かれてあった。住所も名前も見覚えが無い知らない人からの手紙だった。

さっきの嬉しさと変わり、急に読むのが怖くなった。私は、封筒から、ゆっくり便箋を取り出した。

 手紙には私の不安を払拭するかのように、しっかり前を向いて更生してほしいと願いを込めた、力強いメッセージが書き綴られていた。

『大丈夫です、あなたなら前を向いて、また歩き始めることができます』
『わたしはいつもあなたを応援しています』

手紙の最後は、そう締めくくられていた。

私は、報道ニュースを見聞きしたファンの一人が手紙を送ってくれたのだと察した。

 逮捕された時、怒りに満ちた感情や落胆。それは自分本位だと私は気が付いた。悲しさや憤りを感じているのは、誰よりも被害者であるはずだ。私は逮捕されて留置所に来たのだ。自分の犯した罪で、自らここに来たに過ぎない。

被害者や家族、応援してくれるたちは、私の今の状況よりも、もっと辛い思いをしている。みんなに、とても辛い思いを私はさせてしまっているのだ。

辛い思いをさせてしまったにも関わらずにも関わらず手紙を送ってくれることに、奈恵はとても泣けてくるのだった。

「八番、解錠!」
手紙を読み終わった後、男性の留置担当官が部屋の鍵を開けた。

手紙の裏面を見てみると、続きが書いてあった。



下北沢の駅で覚えていますか?
私はあなたに助けられました。

今度は私が助ける番です。
あなたを支える番です。

あなたの取り巻く環境を私なら変えられる。
どうか心を強く持って下さい。

また会いに生きます。

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