【長編小説】漂白剤社会 | 第十三話・わたしの自殺
何をしているんだろう。
北海道から上京してきたばかり。三か月前に整形した顔で、目は泣き腫らしていた。
わたしは気付いたら、ある駅の踏切にいた。
ボンヤリと前を見つめると、微かに横目で『小田急線』と書かれた木札が見えた。右手には、犬と命を繋ぐ赤いリードが握られている。
犬は、これからどこに行くんだろう?不安な気持ちが溢れるような瞳で、まっすぐに、わたしを見つめていた。
リン、リン、リン… 段々と電車が近づいてくる。
電車の吐息が突風となって、前髪をかすった。
今だ! こぶしを握り、ぐっと右手に力を込めた、その瞬間、
「お姉さん、大丈夫?」
優しそうな女性が私の肩を叩いた。
「あれ、可愛いわんちゃんだね」
そう言ってわたしの顔を見る。わたしは茫然として返事が出来ない。
声をかけたお姉さんに見覚えがあった。
それは確かに《彼女》だった。
ふと下を見ると、犬は笑顔でしっぽを振っていた。犬の笑顔を見た瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出た。
何かを察していたような顔で、女性は私を公園へ案内する。
「座って、何か飲みもの買いにいくね」
そう言い残すと、近くの自動販売機でお茶を買ってきてくれた。
わたしはどうすればいいのか分からなかったので、ポケットに入れてあった携帯を見た。時間は深夜の十二時をとっくに過ぎていた。
女性からお茶を受け取り、一口飲むと少し、心が落ち着いた。
「どうして踏切にいたの?」
女性は優しい口調で質問した。
わたしはその優しさに流されるように、ゆっくり口を開いた。
「今、自殺しようと踏切に立ったんです。わんこと一緒に」
「そうだったんだね…」
「わんちゃんの犬種はなんですか?」
「…雑種です。男の子です」
「可愛いね、わんちゃん」
緊張の糸がほぐれた瞬間だった。その後は泣きながら、出来るだけのことを話した。
どうして自殺を図ったのか。わんこは子ども同様だから連れて行くつもりだった。何よりも中学の時に受けた性暴力が長年の苦しみだったこと。苦しいままで生きるのが辛い、生き地獄だ、と泣き叫んだ。
女性はわたしの話を聞いた後、ある提案をした。
「もう時間も遅いですし、このままでは心配なので。できれば警察に、電話出来ますか?」
一瞬、無言になったが、質問を返した。
「…わたしはどうなるんでしょうか」
そうすると、間をあけずに女性はこう言った。
「大丈夫、一緒に付いていくから、保護してもらおう」
女性はゆっくりとダイヤルを押した。
「事件ですか?事故ですか?」
警察署に繋がった。
「今、女性を踏切近くで保護しているのですが危険な状態なので警察に来てもらいたいのですが」
「今どこにいますか?」
「下北沢駅の近くの公園にいます」
「このまま話していてくださいね、いるのはその女性だけですか?」
「わんちゃんがいます」
女性がそんな会話を続けていると、ほどなくして自転車に乗った警察官がやってきた。
「あなただね?」
その質問にわたしは頷くと、警察官は無線を取り出した。
「女性と、犬一匹、保護しました」
警察官に大きな道路沿いに案内されると、そこにはパトカーが一台止まっていた。
「わんちゃんも一緒でいいから乗ってくれるかな」
パトカーから降りた警察官が言った。
わたしは先に犬を乗せ、伏せをさせると後部座席に乗った。
女性はわたしの手を握りこう言った。
「あのね、実は私も自殺未遂を何度も繰り返してしまって」
そう言って左手首にある白く深い傷跡を見せた。
「あなたの気持ちがわかるとは言わない、きっと辛いことは想像をこえる痛みだと思う、でも、あなたが生きてくれたなら、私も頑張ろうって今から思えるから、一緒に生きよう」
わたしは何も言えなかった。
すると女性は、ポケットから、小さなキティちゃんのキーホルダーを手渡した。
「もし辛くなった時は、これを見て思い出して。そして、もし乗り越えたなら、その時は捨てちゃっていいから、お守りね」
そう言って、わたしに手渡した。
「もういいかな」
警察官は、女性に声をかけて、車の扉を閉めた。
女性が後ろから見守ってくれていることはわかったけど、わたしは後ろを振り返る事ができなかった。
車内で警察官が「体調は大丈夫?」と気遣ってくれた。
志津里はこう言った。
「…あの、聞きたいことがあります」
「何を聞きたいのかな?」
警察官は振り向いた。
「法律的に、氏名って変えることはできますか?」
志津里の顔に迷いはもう無かった。
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