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私があの時、忘れられなかった母の笑顔

母の日本語も、日本に二十年以上住むと、さすがに流暢になった。

私の母はとても頑張り屋だ。

数十年前、『日本には介護の仕事をする人が足りない』そうニュースを耳にした母は、パートをしながら、介護の資格を取得するため教室に通った。

資格の試験は日本語で、もちろん教科書も、授業もすべて日本語だった。

母は必死に勉強をして年月が経ち、実施試験をえて、試験に合格した。

そんな母の根気強さには、家族だれもが脱帽をした。
私は、資格を取得したときの母の喜び溢れた笑顔が忘れられない。

ただ、もうひとつ、私には母の忘れられない顔がある。



さっそく母は資格を手に、介護施設の求人に片っ端から電話をした。
緊張した面持ちで、電話番号をゆっくりと押した。

「求人をみました。まだ募集していますか?」

明るい声が返ってきた。
「まだ募集していますよ!」

電話の向こうから聞こえる元気の良い声に、ほっとした母は、続けてこう言う。

「わたしは外国籍です、応募に、何か必要な書類はありますか?」

すると電話の相手は、一瞬戸惑ったような、そんな様子だった。

「…少々お待ち下さい」
保留になった。


長い保留のあと、切り替わったと思いきや、
「ごめんなさい、求人はもう募集がいっぱいでして…」

さっきの元気な声とは変わって小声だった。

「そうですか」
母は落胆した顔を隠すことなく、肩を落とし、お礼を伝えて電話を切る。

私には分かっていた。
募集がいっぱいなのではない、外国人を雇いたくないのだ。

このやり取りを十社以上、繰り返した後、母は介護の仕事に就くことを諦めた。

そして再び、笑顔を見せて、私にこう言うのだった。

「よかった、日本には介護の人、十分に足りてるみたいだね」




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