見出し画像

96.さあ、みんな、早く日常に戻ろう! さあ、もう一度やり直してみよう。

被災地での復活する人々

私の顧問先の商店主が言う。

「俺はね、あれだけの大惨事を見てしまうとね、もし、自分があの被災地にいたとしたら、死んでしまった方が幸せかもしれない。あれじゃあもう立ち上がることなんて出来ないよ・・。家を失くし、最愛の妻や子供、孫や親、友達を失ってしまうのだよ。俺はもうやり直せる齢ではないしね。ひどすぎるよ・・」

また別の経営者は言う。

「阪神大震災と同じだよ・・。保険金だってまともに下りはしないし、住宅ローンを抱えている者は自己破産しか道がない。事業経営者だって同じ、借金を抱えている以上、自己破産したって再出発もできない。だから国は借金をチャラにすればいいんだよ。でもそんなことは絶対にしないだろうけど・・。それによ、他人の事より今は自分の頭のハエさえはらえない状況だ。商売にならん。商品が手に入らないから、買いたい人がいても商品がなければ売れない。もう駄目かもしれないなあ・・」


「早く現地へ行って、助けてあげたいです」

ある消防士の言葉が、私の脳裡に浮かんだ。

画像3

©NPО japan copyright association Hiroaki


店主の店のテレビには、被災地で商売をしている人達の映像が映っていた。


八百屋だった親父さん。
年齢は70歳は超えているだろう。
彼は瓦礫の下で商売を始めていた。
汚い段ボールの上に大根やニンジンが積み上げられていて値段も安い。


この親父さんはお客に、

「次は何が欲しい?探してきてやるよ!」と問い、「えっ、歯磨粉・・?!よっしゃ、探してくるよ!」と応じている。


すぐそばで何やら探し物をしている人物に、テレビのインタビューアーが質問する。

「何を探しているのですか?」。

この男性は、「これから商売を復活させるんじゃ!」と答えた。

「何の仕事ですか?」

「わしゃ金具屋じゃよ。この辺にいっぱい金具が落ちているだろ。これを再利用するんだよ。もう何もないけど、技術だけは残っている。ほれ、あそこの親父は靴屋だ。靴の修理に忙しいそうだ。俺もがんばらなくちゃ、な!」
自分の住まいらしき場所で佇んでいる人がいた。

この人も老人だ。

インタビューアーはこの人にもマイクを向けた。

「何をしているのですか?」

「家を建てようと思ってねえ・・」

「あなたが建てるのですか?」

「もう何もかも失ってしまったし、女房も子供たちも行方不明だけど、ここは皆の還る場所だしね。金は一銭もなくて素人だが、自分で建ててみようかと、チャレンジしてみようかと、考えているんです」


テレビに映し出される、何もかも失った人々と商業者たち。この人たちには大きな共通点がある、それは「人を思う気持ち」だ。誰かのために何かをしたい、何かをしなければ・・。

そのためにはまず自分が率先して日常に戻ることだ。

そう考えている。

それは丁度、敗戦後の日本に似ている。多くの国民が何もないところから支えあい、思いあい、一からやり直す姿。何度でも、何度でもやり直す。それがなぜ出来たのでしょうか?やはり、それも人を思う気持ちから始まっているのですね。


私はあえて何も話さなかったが、この顧問先の経営者たちはこのテレビ放送を見ながら、口を揃えて言った。

「一からやり直してみよう。何度でも、何度でもやり直してみよう。そして、俺たちがまず力をつけなければ世の中も良くはならない。ここは俺たちの現地で被災地だ・・」

さあ、早く日常に戻ろう!

さあ、もう一度やり直してみよう。

さあ、もう少し生き抜いてみよう。

さあ、何度でも何度でもやり続けて見よう・・。


©Social YES Research Institute / coucou

画像2

©NPО japan copyright association Hiroaki

画像1

さあ、早く日常に戻ろう!

coucouです、みなさん、ごきげんよう!

10月1日から緊急事態宣言が解除。果たして私たちはいつもの日常生活を送ることができるのでしようか?1日、2日と街は人が溢れ出し、道路は大渋滞、高速道路も渋滞。町の公園には子どもたちがたくさん集まり遊ぶようになった。東京の中心地も観光地も人でにぎわい、音楽イベントやスポーツなども一挙に動き出しました。

しかし、その反面。2年近く続いた567生活によって身に付いた「恐怖心」「怖れ」「怯え」「不安感」はそう簡単にはぬぐえません。マスメディアは選挙報道にすり替えているようですが、次の第6派の恐怖を流すのを手ぐすねを引いて待機している。つまり、10月、11月の反動が起きるのではないか?ということなのでしよう。

私は10数年前にまとめた文章をもう一度、このnoteで公表することにしました。その理由は、未曽有の大災害の阪神大震災、東日本大震災のときの人々のテレビでのコメントが忘れられないからです。日本の敗戦のときも重なります。

人々は、あれだけの悲惨さの中で、それでも希望を失わず、わが街を復興させよう、困っている人々を支え合おう、助け合おう、と力を合わせていたあの笑顔を思い出したからです。本来、笑顔で話すことなんてできないほどの深い絶望と、深い悲しみだったはずです。

あの、大災害と、この567の一体何が違うのでしよう?

目に見える恐怖と、目に見えない恐怖の違いなのでしょうか?

丁度、福島原発なども放射能という見えない恐怖でしたが、それと何が違うのでしょう?

いのちを投げ出して任務を遂行した自衛官や消防署職員、地元消防団、医師や看護師さんたち、さらに日本中から集まったボランティアたち。あまりにもひどい惨劇に世界中の人々は涙し、海外メデイアのカメラマンや記者たちは取材中に涙を流す。お寺の住職さんたちが泥んことなって自衛隊員と協力して土砂を運ぶ。

私たち日本人もみな涙したはずです。

しかし、567は冷たい!

人のそばに行くことを恐れさせ、家の中でもマスクをさせて、不要不急の外出を避けさせ、お年寄り、病人、子どもたちの自由を奪い、心無い者たちは差別や苛めに走る。一度でも567になれば、その人は嫌われる。だから、黙る以外ない。腕にくすりを入れることができない事情のある人もいる、しかし、その人たちは普通の人間扱いがされない。まさか、我が国は本当に証明書を義務付けるのでしょうか?こんなにも日本は心を失い、正気を失い、狂ってしまったのでしようか?

しかし、現実はまだまだ本来の日常に戻るのがむずかしそうですが、このまま567がゼロとはいわない、もし、急激に減っていったなら、今までの2年間は一体何だったのだろう?という疑問は残ります。

わずか2年足らずの嵐ですが、たくさんの人々が人災による被災を受けて、元に戻すには相当の時間が必要となるかもしれません。しかし、私たちが決して忘れてはならないこと、それはお互いが支え合うこと、信じあうこと、助け合うことしかありませんね。

さあ、早く日常に戻ろう!

さあ、もう一度やり直してみよう。

さあ、もう少し生き抜いてみよう。

さあ、何度でも何度でもやり続けて見よう・・。


ここまでおつきあい、ありがとう!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?