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188.生きるって、とても素晴らしい!


生きるって、とても素晴らしい

人間は、もともと情熱を燃やすように生まれついています。それは笑ったり、微笑みを浮かべたりするのと同じように、ごく自然な行為です。

そもそも"enthusiasm"(情熱)という英語は、"entheos"というギリシャ語からきたもので“神が乗り移った”“神が宿った”の意といわれるものです。

情熱とは、とても不思議なもので、情熱を持つことによって苦難に打ち勝ったり、さまざまな問題解決の役目を果たします。

情熱に燃えているときは、人は輝いて見えます。

そんな状態にあるときは、人はやる気に溢れ、心はとぎすまされ、鋭い直感が働き、生命力や創造力がいつもより、ぐんぐんと高まることができます。

2010.02.01 NIKEの伝説 ビル・バウワーマン

 世界的に有名なオレゴン大学の陸上コーチ、ビル・バウアマンもその情熱にあふれた人でした。彼の率いるチームは、1948年から73年にかけて、全米大学体育協会の選手権2回、上位入賞2回、2つの競技会で10シーズン連勝を果たし、その間、通産16年全米トップテンにランクされました。

1971年にバウアマンは、全米陸上コーチ協会から、年間優秀コーチ賞を贈られています。バウアマンは、情熱の人といった印象を人に与えていますが、彼にもコーチとして大きな悩みをかかえて何度も挫折感を味わっていたことはあまり知られていません。

 

50年代半ば、彼は、陸上部員の運動靴のことで頭を悩ませていました。

当時はあまりよい靴がなかったため、膝の炎症や足の痛み、こむら返り、膝や背中の痛みに苦しむ選手が多かったのです。そこでバウアマンは、人間が走るときの動きを研究を始めたのです。

その結果、今までにない新しいタイプの運動靴が必要だと思うようになりました。

それは、選手の足の痛む顔をみて、何か役に立ち、少しでも選手の助けにならないだろうかと真剣に悩み、考え続けていたからです。

そこで彼が考えたことは、安定した船底形のカカトと、軽くて丈夫ですべりにくい底をもつ靴ができないだろうか・・。彼は燃えました、まるで情熱の炎のように、「彼らの痛みをわずかでも取り除いてあげたい」と考えたのです。

彼がいなければ、NIKEも存在していなかったと言われる男 ランナーからカリスマコーチへ

しかし、現実はスタッフもお金もありません。ましてや、それらを製作するためのスペース、机や部屋もありません。そこで彼は、夜、夫人が食事の後片付けをし、子供たちが眠るのをまって、台所のテーブルに向かい毎夜、理想的な靴づくりに知恵を絞ったのです。

すると次々に知恵が浮かび始めました。日々、選手たちの足の痛みの顔を思い、選手の喜んでいる顔や姿が、彼の情熱の素です。

そして、これぞという案が出来上がると、すぐに行動します。大手のスポーツ用品の製造元にそれを持ち込みましたが、行く先々で断られてしまいました。

なぜ断られてしまうのかといえば、アイデアは素晴らしいが、リスクが大き過ぎるという会社もあれば、そのアイデアでは市場ではまったく売れないだろうとも言われました。

ある会社に至っては「自分たちは、おたくにコーチの仕方についてあれこれ注文をつける気はないから、こちらの靴のつくり方についてとやかく言われたくない」ときつくいわれる始末です。

この時代、いや、いつの時代も新しいモノは嫌われてしまうものです。つまり従来のやり方、方法が変わってしまうと、体制や体質を変えなければならない。場合によっては、他の靴が売れなくなってしまう恐れもあるからです。

バウアマンの情熱はどんどん失せてしまいました・・。

断られれば断られるほど、さしもの彼もしょげかえり、悩み、落ち込んでしまいました。しかし彼のスピリッツは、こんな時に思わずよみがえる。数日後、部員たちを集め、次の選手権を控え、こんな激を飛ばしました。

「みんな、ベストを尽くそう。勝つことだけが目的ではない。挑戦すること自体に意義があるんだ。勝利とは全力を尽くすことだ。負けるな」と情熱をもって話しかけました。

 すると、この言葉は選手を励ますための言葉だったのですが、自分にそっくりはね返ってきたのです。

「そうだ、わたしがまずベストを尽くすこと。勝利とは全力を尽くしたかどうかじゃあないか」人は、人を励ますと同時に、自分をも励ましてしまうという不思議な効果もあります。

バウアマンは、選手の痛みや苦しみを考えるならば、まだまだ、自分はその痛みにまで到達していないと考えたのです。

彼は、とにかく靴をつくろう、選手の笑顔を見たい、選手の痛みを少しでも取り除いてあげたいとふたたび心に誓いました。

 

誰も考えず、誰もつくってくれないのなら、自分でつくることも考えました。そして、実際に彼は行動に移します。まず、近所の靴の修理屋をまわり、知恵を借ります。そして独自の方法で試作品に着手します。食料品店の紙袋で型紙をつくり、それから白のキッドの皮で甲の部分を裁ち、その部分をナイロンで補強し、底に取り外しのできるスパイクをつけ、各部分を強力な接着剤で貼り合わせました。

しかし、どのくらいの日数がかかったのでしょう。

時を忘れるくらいの日々、バウアマンには、選手の喜ぶ顔が浮かびます、情熱とは、ある信念も生み出してしまうことがわかります。

靴が出来上がると、早速実験することにしました。エース部員に一足与え、部員はそれをはき、トラックを何周かしました。

しかしこの部員、なかなか戻ってこないのです。どうしてか、と不思議に思ったところ、つまり、部員たちは感動して、靴を脱ぎたがらなかったのです。また、靴をとりあげられるのを恐れたのでしだ。気を良くしたバウアマンは、さらにその後も靴の改良を続けました。

NIKEシューズの産声「ワッフルソウル」

あるとき、妻がワッフルをつくっているのを眺めていて、ワッフル型の底のジョギングシューズに改良することを思いつきました。彼のアイデアは、婦人の台所から次々と生まれて来たのです。

60年代初め、彼は、元部員で往年の陸上の花形、フイリップ・ナイトと会社をはじめ、あのナイキ・トラックシューズ社を誕生させました。

1988年、バウアマンは、「人が喜ぶ姿を想像するだけで、胸がわくわくするんです。次は足の不自由な人が楽に歩ける靴にチャレンジ。生きるって、とても素晴らしい……。」と語っている。

coucouです。みなさん、ごきげんよう!

「人が喜ぶ姿を想像するだけで、胸がわくわくする…」素敵な言葉です。
そうですね、自分の喜びよりも人が喜ぶ姿ってとても嬉しいものですね。

私たちは、いつの間にか、自分が喜び、自分の幸せ、自分の望むことばかりを多くの人は求めているような気がします。

自分が喜んだり、幸せになることは何の間違いはありませんが、それ以上の喜びや幸せは父や母、家族や、兄弟、友人たち、かけがえのない人たちが喜んでくれて、幸せな姿を見るだけで感動したり、涙がこぼれるときもあります。

果たして、それ以上の喜びや幸せがあるのでしょうか?

生きるって、とても素晴らしい!


※1964年、バウワーマンと元教え子のランナー、フィル・ナイトは、ブルーリボンスポーツという会社を立ち上げた。この会社が後のNIKEとなる。彼は、1999年に引退するまで、ワッフルソウルをはじめとする数々の革新的なテクノロジーを次々に開発し、ランニングシューズの新しいスタンダードをつくりつづけた。

今日も、最後まで読んでくれて

みんな~

ありがとう~

coucouラインスタンプより

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人生を楽しく生きる方法①

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