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29. わたしたちは、あなたのために死んでもかまいません。そう信じて生きてきました。

「私たちの祈り」

あなたが、この世に生まれたとき
あなたの母さんと父さんは素晴らしい夢を見ました
夢を叶えて
私たちの祈りに答えてくれました

私たちにとってあなたは特別な子でした
あなたが微笑むたびに私たちに喜びを与えてくれました
あなたが泣くたびに私たちも悲しみました


あなたには何も知らないでしょうね

私たちが、いずれどこへ行くのかあなたにはわからないでしょうね
それでも、私たちはあなたにすべてを与え続けます
あなたを通して私たちは神を感じます
私たちはあなたのために死んでもかまいません
そう信じて生きてきました

やがて、多くの季節がやってきて、去っていきました
とても多くの年が過ぎて、時間はとても早く過ぎ去っていきました
そして、あなたは大きく強い子になりました

今、あなたはそこで何を思いますか
大きくなったあなたは、母さんと父さんをどう感じますか
もう、必要がなくなったのでしょうか
あなたは自分の声が聴こえるでしょうか
どうしてあなたは、お母さんとお父さんの事がわからなくなったのでしょう


あなたには何もわからないでしょうね

私たちが、いずれどこへ行くのかあなたにはわからないでしょう
それでも、私たちはあなたにすべてを与え続けます
あなたを通して私たちは神を感じます
私たちはあなたのために死んでもかまいません。
そう信じて生きています


あなたは今、過ちの道に迷っています
あなたは一人きりでそばには誰もおらず、見守るものもいません
あなたは今、泣いています
私たちは、大人になったあなたのことを今でも思い、抱きしめたい
心から心配しています

あなたには何も気づかないでしょうね

私たちが、いずれどこへ行くのかあなたにはわからないでしょう
それでも、私たちはあなたにすべてを与え続けます
あなたを通して私たちは神を感じます
私たちはあなたのために死んでもかまいません

そう信じて生きてきました

「anak(child)」より フレディ・アギラ  創訳 coucou

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「一瞬の笑顔にありがとう。」

どこの町を歩いてもビラ配り、ティッシュ配りの人たちばかりが目立ちます。必要なモノや必要な情報であればありがたいのですが、一方的に目の前にそれを差し出されると思わずムッとしてしまうのは私だけではないでしょう。他の人の様子を見ているとほとんどの人は無視していることがわかります。

この仕事は大変だなあ。あまり喜ばれるようではないし、アルバイトの人たちなのだろうなあ。ビラ配りをしている人を見るとつい仕事とはいえ、同情してしまいます。

そんなとき、私は取引先の社長と一緒に歩いていたら、街頭で配られているティッシュやビラを社長は次々に受取っていました。
そして、受け取るたびに「ありがとう」「ありがとうございます」と言いながら丁重に頭を下げるのです。

私はその姿に思わずびっくりして、その社長に尋ねました。
「社長、そんなにティッシュやビラをもらってどうするのですか?」と質問すると。
「いやね。俺も昔、ティッシュやビラを配っていたときがあってね。取ってもらうと嬉しかったんだよ。また、無視されるととても悔しく、悲しかったんだ。だからどこでも必ず受け取っちゃうんだよね」
「でも、社長一人一人に頭を下げてお礼を言って大変だと思うんですが…」
「大変じゃあないよ。みんなロボットじゃあない、人間なんだよ。せめて『ありがとう』『がんばってね』と言ってあげるだけで、この人たちはどのぐらい救われるか、喜んでくれるだろうか。何よりも人間を好きになってくれるかもしれない。わずか一瞬の出会いだけれども、わたしはその人たちの顔すら思いだせないが、とても嬉しかったのを覚えている。受け取ってくれた人にいつも受け取ってくれてありがとうございますと心の中で叫んでいたのを思い出す。ほんの一瞬かもしれないが、一瞬の出会いかもしれないが心が通じ合うことができる。配る人も人生に感謝し、人との出会いに感謝し、受け取るものも感謝する訓練にもなる。
だから、『ありがとう』『がんばれよ』と、自分に語りかけているんだ。

人生って、そんなに悪いもんじゃあないから…」

すごい言葉です。

ビラやティッシュ配りはほとんどの人たちは無視して通りすぎるか、うるさがっています。受け取ったとしても、もらってやるという態度の人たちばかりです。
しかし、ティッシュやビラを配っている人たちも必死に生きているのです。

私はあの日以来、ポケットにはティッシュがいっぱいになりました。そして『ありがとう』と頭を下げるようになりました。
すると、ビラ配り、ティッシュ配りの人たちの顔が思わずニッコリと笑顔を見せてくれるようになりました。
私も「ありがとう」というようにして、笑顔を出せるようになりました。
そして、「ありがとう」といえばいうほどありがたく思えるようになったのです。

人生ってあなたが思うほど悪いものじゃあない。

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coucou(こうこう)です。今日も素晴らしい一日でありますように!いつも読んでくれてありがとう!

追記 「アナック」は私が数十年前に出向いたときにフィリピンのマニラで流れていた曲です。私はこの歌で遠く離れた父や母を思い浮かべました。あまりにも美しい曲なので、英語辞典を引っ張り出し翻訳しました。(英語版とタガログ語の二つの歌がありました)

子を思い続ける父や母、母や父を思い浮かべる子、どの国も変わりません。私も父や母に不安や心配を与え続けてきました…。私はこの世を去ろうとする父や母に私の命を削ってでももう少し生きてほしかったと思いました。遠く離れた父と母、あなたはいつもそばにいてくれているのですね、きっと。

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