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156.見えなくったって、見えない自分を信じてあげるんだよ!

求め続ければ運命的な事と出会う


作家の亀井藤一郎という人はこんなことをいう

求め続ければ 運命的な人と出会い 

求め続ければ 運命的な本と出会い 

求め続ければ 運命的な事と出会う

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©NPО japan copyright association Hiroaki

どんな道であろうとも何か一つの道で成功を得る人たちは、ひたすら何かを求め耐え続けてきた結果だともいう。それらの言葉の裏返しは、求め続けなければ何者とも出会うことができないということともいえる。求めるとは努力、追求心のことをいう。


また、耐え続けてきた結果とは、耐えることによって強くなるという意味。
耐えるということには二点ある。

それは、「神経症的な忍耐」と、「心理的に健康な忍耐」とがあり、何に耐えているのか、何に我慢しているのかが明確でなく、ただ耐えていて、ただ我慢しているというのは神経症的な忍耐といわれている。


それに対して、今自分は何に耐えているのか、何のために我慢しているのかが、自分で具体的に理解できている時こそ、心理的に健康な忍耐だともいわれている。

つまり、求め続けている姿こそ、この後者の健康な忍耐。


自分は今、長距離を走る訓練に耐えている。

今、この仕事を完成、終了させるために耐えている。


昔の武士は、命をかけて剣を鍛えることを通して自分の心を鍛えた。

人は走ることを通して自分の心を鍛え、学問を通して自分の心を鍛え、絵を描くこと、文章を書くことを通して自分の心を鍛え、歌を歌ったり、声を出すことによって自分の心を鍛えている。

わたしたちは、仕事や生活を通して自分の心を鍛えている。

しかし、そのような具体的なものがないにもかかわらず、自分は耐えている、自分は我慢していると騒ぐ人も多くいる。その言葉を単なるその場限りの言い訳にして利用している人も多い。

また、大変だ、大変だと口グセのようにくり返す人たちにも同じことがいえる。では、その人たちは具体的に何が大変で、何に対して耐えているのだろうか。

むしろ、本人の人間性に問題があり、相手から文句をいわれたり、怒られたくないため、ただ耐えているふりをしているのか。

何かを言うと怒られるような気がするから、言わずに耐えているのか、耐えていれば、ただ耐えていれば問題が解決する訳でもない。

現実から逃れようとすると、前者の耐え方になってしまう。

現実から避け続けていると、人生は永遠に同じ問題点を与えようとする、そして最後には追い込まれてしまう。

本当の健康的な忍耐とは、あくまでも目の前の現実に直面しているときの辛さに耐えるという意味で、ただ嫌なことを我慢していればよいこととは違うものだ。耐えて強くなる、鍛える、心を鍛えることが心理的健康な忍耐と呼ぶ。


また、求めることがあると人は耐えることができる。そして自信が生まれる。何も具体的なこともしないで、その場限りの我慢や、耐え方だけで生きていこうとすると、逆に自信を失う。自信は自分のできることをコツコツとしていくことで自信は育っていくもの。

そして、求め耐えるという言葉には、自信という言葉が秘されている。耐えるということは、ただ風が過ぎ去るまで、じっと我慢していることではない。耐えることと我慢することと、じっとしてことは違う。

大変になると、苦しむことを恐れるために耐えるというのは、むしろ自信を失ってしまう。

では、耐えている人、耐えられている人たちはなぜ自信があるのだろう。亀井さんはこんなコメントを話す。

「恐がってトラブルから、しりごみしないで果敢に立ち向かっていくと、しばしばそれが、絵に描いた風景のようなものだということを発見します。人生の十中八九は見せかけの上に成り立っているのです。だから、あっけらかんとして挨拶してやれば、相手はその力の大半を失ってしまうものです・・・・・」といっている。

彼はその現実から逃げてはいけないという。事実を受け入れまいとしたり、責任を逃れようとすると悩みは大きくなるばかり。

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悲惨だと自分勝手に思う状況には直面することであり、これに立ち向かうことが最大の解決方法であり、その解決をするために、耐える、耐えられる自分が、自信をもてる自分になれることという。


恐がったり、しりごみするほとんどの内容は、自分が勝手に不安や恐怖心をつくり出し、自分のつくり出したものに自分が怯える。

それは、自分の影に自分が驚いているのにすぎない。
耐えている人、耐えられている人は自信をもつ。

しかし、なぜその自信をもつのだろう。

なぜ、自信をもてるのだろう。


それはまず積極果敢であること、現実を直視できること、自分と相手を判断する基準をもてること。事実を受け入れようとし、責任から逃げない・・・・・等があげられる。

このように耐えているとき、人は何を信じているのだろうか?

それは自分。目に見えない自分を信じられるからこそ、人はこのような孤独の中で苦しみに耐えられている。苦しみを直視することを避けては耐えることの意味がなくなってしまうからだ。

この困難に、この問題点に、この苦しさに耐えてやる、耐えることができるという自信が、自分を信頼し信じることになる。この程度で負けてたまるか、求め、希望をやりとげるために耐えているのだという積極姿勢のことをいう。

「人は耐えて耐えて耐え抜いた先のことをしる人は少ない。なぜならほとんどの人はその前に諦めてしまうからだ。その先に実は輝く光があることを知って欲しい・・・・・。」ノーマン・ヴンセント博士の言葉より


coucouです、みんなありがとう!

本日でnoteデビュー5か月目となりました。みなさまには感謝申し上げます。


本日2作品「156-2おかげさまで、note記事をはじめて自分勝手な5か月目記念!感謝です。」に続く。




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