生きづらい者同士の密談をしよう
「生きづらさ」を抱える人同士が集まるイベントを企画したいと考えている暇真(いとま)です。
ここ数週間、私の過去のnoteやツイートを見て
「暇真さんの取り組み、すてきです」「そういう居場所が欲しいです」と言ってくれる人が何人かいて、すごく嬉しかった。私はそうやって声をかけてくれた人たちが100%満足できる、有意義なイベントを企画したいって心から思った。
その一方で「企画してどうするの?」「誰かの役に立てるの?」「有益なの?」「私ごときの力で解決できるの?」って不安で、計画が頓挫してた。
私なんかに、彼ら/彼女らを救う力はあるんだろうか?と思って、前に進めなかった。傲慢な心配だ。
私にそんな力、あるわけないのにね。
考えのベクトルをミスってた。
私、救済がしたいんじゃないわ!
私がしたいことは、解決とか、支援とか、サポートじゃない。そういう、クリーンで、正しくて、実用的な集まりは公的機関がやってくれたらいい。
私がやるのはそうじゃない。全然ちがう。
隣に人がいて「私」の問題を
「私たち」で話せる場所をつくりたいんだ。
1人でぐるぐる考えなくて済む場所。
泣いてもいい場所、取り乱してOKな場所、共感し合える場所、誰にも馬鹿にされない場所、孤独を埋め合わせる場所、存在を承認し合える場所、上下がない場所、そういうのが人間には必要なんだよ。だからつくるんだよ。
会社には相談できなくて
医者や社会福祉に頼るんじゃ不十分で
家族や友だちに話すには重すぎる話を
当事者同士が集まって話そうよ。
それで何が変わるわけじゃないかもしれないけど、「聞いてくれる人がいる」「私の現状を知ってくれてる人がいる」「見守ってくれる仲間がいる」「同じように人生詰んでるのにがんばってる人がいる」って思えたら、結構ストレスって和らぐんじゃないかな。一人じゃないこと、集団でいることで救われる時ってあると思う。
そういうのって無駄で、何の役にも立たなくて、直ぐには解決に結びつかないかもしれないけど、それはそれで良いじゃん。折れそうなものが折れないように、誰かと一緒にいる時間が必要な時もある。
具体的な解決策は、心が元気になってから探せば良い。
「自分ってダメだなー」って気持ちとか「どこに行ってもどうせ受け入れられない」って気持ちが解消されない限り「がんばるぞ!」とは思えない。
エネルギーを充電するためのつながりが必要だ。
私はそういう場所をつくりたいんだ。
わかりやすく参加者を募るなら
年齢や性別、抱える悩みのカテゴリで
対象を絞ってイベントを企画した方が良い
とは思うけど、私はそういうのもしたくない。
来たい人は来たら良い。オープンでいたい。
私は、誰も除け者にしない空間がつくりたい。
みんなが悩みを抱えている。
転職・引きこもり・無職・休職・貧困・精神疾患・発達障害・病気・介護・DV・ブラック企業勤務・いじめ…生きづらさに名前があって辛い人もいれば、こういう「生きづらさの肩書き」すらない人もいる。自分ではツラいけどどうしようもなくて、自分の言葉で話そうにも上手く説明できなくて、説明する時間や場所すら与えられなくて、悩みや困難を無かったことにされてしまう人もいる。
そういうのすごく嫌だ。
生きづらさに診断名がついても/つかなくても、社会的に弱者として分類されるカテゴリに属していても/属していなくても、自分の中に「生きづらい」って気持ちがあるなら皆んな仲間じゃん。
「生きづらい」って言っていい。一緒にいていい。それぞれのステップは違うだろうけど「私たちは生きづらさに悩んでいる/悩んでいた」者同士で仲良くやろう。
よし。今月、どこかの金曜19:00-21:00に
山形のカフェもしくは公民館を借りて、
生きづらい者同士の密談の場を企画するぞ。
最初は5人くらい募集しよう。
自分の悩みに関連する本を一冊以上持って、
本を媒介に自分の話ができるような場にするんだ。
一件、ぴったりの雰囲気のカフェがあるから
使わせてもらえないか交渉してみる!!!!
告知もつくるぞーーーーー!!!!
近日中に告知するのでぜひ参加してください♡
▼近況報告
飯島裕子さんのmayflowerオープン記念公演にお邪魔して、すごくいい影響を受けた。私がやりたい事の方向性がクリアになったと思う。特大感謝🙏
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2024/06/02_44
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