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学校の校則・ルール 記事まとめ

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学校の校則やルールづくりにまつわるアイデアやレポート、エッセイなどをまとめるnote公式マガジンです。
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#エッセイ

未来の校則は《自律の歴史書》 (エッセイ)

 制服は一応あるけれど、私服で通学しても「お咎め」はない、という高校に3年通った。生徒手帳にあったのかどうなのか、「校則」箇所を読んだことのある生徒は身近にいなかった。  ただ、噂では、校則はひとつだけ存在し、「下駄通学禁止」だとのこと。「禁止」と言われるとやりたくなるのは人の常で、ある日、裸足に下駄で通学した。  いつものように遅刻して既に1時間目が始まっていたこともあり、油の塗られた木製の廊下を歩く私の足音は、とてつもなく大きく響き渡り、何事かと教室から顔を出す先生や生徒

北海道で群馬を流行らせた千葉先生と、人間になった野ザルたち

先日、たべっ子どうぶつのビスケットで遊び倒していた私。 パッケージ裏のイベントに翻弄されたり、知らなかった動物の英語表記を学んだり、新しい英単語を作って新生物を生み出したり、それはそれはとても有意義な時間だった。 このように、と言うにはちょっと遊びすぎたかもしれないが、遊びと学びは合体するととてもよい。 「遊び」という楽しい記憶とともに「学び」を得ることができる。 その面白さ、興味深さが学びの吸収率を上げているのだと思う。 たべっ子どうぶつで遊ばなければ、私はヤマアラシとい

みらいの校則と聞いて思い出した

校則って、いかにバレずに破るかという黒に近いグレーゾーンを攻めるのがある意味で楽しかった記憶がある。 出身校の校則は、指定の制服とバッグでということくらいでうるさ過ぎず、放任すぎずという感じだった。それでも校則違反は生徒指導の体育の怖い先生に怒られたし、まあこんなもんだろうと思っていた。 そんな中で意外と校則に関して印象に残っていることがある。それは校則のグレーゾーンを見つけ出して全力で楽しむということ。 そんな中で自分たちが見つけ出したユートピアが、「顧問の準備室」だ

校則あれこれ

少し前から始まっていた、「みらいの校則」のお題。 このお題を見た瞬間に、青森の某中学校の校則を思い出しました。 今の世代には考えられないことかもしれませんが、私の通っていた中学校・高校(青森)では、四半世紀経って振り返ってみても、意味不明な校則が数多くありましたっけ。 1.男子は丸坊主必須、女子は髪の毛が肩についたら必ず縛る後者は、まあ分かります。髪の毛が長いと、縛らないと邪魔ですしね。 ですが、男子の丸坊主は女子生徒から見ても、本当に気の毒でした。 丸坊主にするメリット

ローファー推し

ローファー履く機会って学生時代しかないよね 制服と一緒 だから今の子がスニーカーとか履いちゃってるともったいないなぁと思っちゃう 好きで履いてんのかもしんないけど スニーカー推しの人もいるからね 今思えばローファーの校則はありがたかったなぁ

生まれつきってだめですか?そんな気持ちをずっとがまんしていた。

決まりごとになかなかなじまない。 そういうものですというあれが 嫌で。 そうしなきゃいけない理由が 知りたくて。 抗えるところはささやかに抗ってきた ようなそんな気がする。 学校時代ってことばはわるいけれど 学校という建物の枠はちょっと檻の様で。 檻のなかも日々そのなかにいると 泳げるようになってくるもの だけれど。 その中にいるとそういうものだからと 飼いならされて行ってゆく。 わたしもかなり飼いならされたんだと 思う。 校則ってなんだろう?

生徒も先生も自由になればいいじゃない。校則についてちょっと考えたい。

最終学歴を終えてから10年ほどが経過しました。わりと大人です。 学生時代のわたしは終始うつうつとしていて、いろんなことに対して無関心だったように思えます。対人関係も希薄で、勉学に対してもこれといって突出するものもなく、スポーツに関しては同じ競技を6年間も続けたわりには熱くもなれず、ティーンの醍醐味である恋愛もおぼろげです。 もう古い話ですが、メディアで「ツーブロックが校則違反の学校がある」という情報がピックアップされてましたね。 目にした当時はそこまで特別な思いはなかったの