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生徒も先生も自由になればいいじゃない。校則についてちょっと考えたい。

最終学歴を終えてから10年ほどが経過しました。わりと大人です。
学生時代のわたしは終始うつうつとしていて、いろんなことに対して無関心だったように思えます。対人関係も希薄で、勉学に対してもこれといって突出するものもなく、スポーツに関しては同じ競技を6年間も続けたわりには熱くもなれず、ティーンの醍醐味である恋愛もおぼろげです。

もう古い話ですが、メディアで「ツーブロックが校則違反の学校がある」という情報がピックアップされてましたね。
目にした当時はそこまで特別な思いはなかったのですが、子どもたちにしてみれば、決められた規則の網をくぐり抜け、たどり着いた先の個性の出しどころが「ツーブロック」なのかもしれないなと思います。いいよねツーブロック。楽だし。

わたしはどうだったんだろうと思い返してみました。わたしの覚えている当時の服装の決まりは以下のような感じでした。中学、または高校の校則です。

・インナー(下着)は「白」「肌色」を着用。
・靴下は「白」「黒」「紺」を着用。
・髪型は耳や目にかからず、学生服の襟にかからない長さ。
・整髪料の使用、染髪の禁止。
・制服の着崩し(改造)の禁止。

など。
他にも何かと注意をされた記憶があります。
なんだか細かい内容だった気がする。
教師たちは常に目を光らせていたものですから、居心地が悪かったです。先生も仕事だからしょうがないのだけど。

髪を染めた派手な女の子は、廊下の手洗い場で強制的に黒染めをされていました。
腰骨よりもずっと下にズボンを下げて裾を汚していた男の子は(当時は腰パンと言っていたけど、今はあんまり見ないね)、大勢の生徒の前でおしりに食い込むくらいズボンを上げられていました。
わたし自身の体験としては、部活用の灰色のTシャツをインナーがわりに着ていた時、注意された覚えがあります。
わたしのYシャツのゼロ距離で凝視してきて、「灰色は校則には無いよな?脱ぎなさい。」と言われました。
そうなんですね〜、とすぐ脱ぎましたが、一緒にいた友人は、急にパーソナルスペースに入ってきた教師に対して「なんだあいつ」としばらく不機嫌でした。
もちろん、髪を黒くされてしまった女の子も、ズボンをしっかりと戻されてしまった男の子も、とっても不機嫌でした。

思春期の子どもたちを怒らせることは、とても容易です。そしてその裏で傷ついていることもあります。それが一生のトラウマになることだってあるのかもな、と大人になってから気づきました。

その一方で、さまざまな「性」を配慮した制服がちらほらと出てきています。ネクタイやリボンを自由に選べたり、スカートやスラックスを選ぶこともできます。

そうなると、これまでの古い校則では学校側も対応しきれないでしょう。
10年ちょっとでここまで世間の空気感が変わるとなれば、校則も随時更新していかなければなりません。

「みらいの校則」はきっとこんな風になっていくのだろうな、とぼんやりと妄想したので書いていきます。


1| 校則更新しまくるし、電子化していい?

大抵の校則は、生徒手帳に記載されていると思います。頻繁に変わる世間の風潮を校則に反映するために、変更がしやすい「電子版生徒手帳(校則)」になるんじゃないでしょうか。
冊子としての生徒手帳が廃止され、教育用タブレット機器(またはPCやスマホなどの通信端末)へ情報共有、という具合です。
印刷代も手間かからないので、学校側のメリットもたくさんあります。セキュリティ的な面も、なんとかなるでしょう。

2| 頭髪の禁止事項がめちゃめちゃスッキリする

これは、「具体的なヘアスタイルや長さに関する制約がなくなる」という意味です。耳が隠れないとか、襟足が学生服にかからないなどをちまちまとした記述ではなく、
「学校側が生徒の日常生活に危険または悪影響があると判断した時、容姿またはそのほかに関し教師が指導にあたる場合がある」
みたいな文章がザッと入るだけになるのではないかと思います。
あと、なんとなくですが、生徒と学校側に問題が起こった場合は、すぐ「裁判だ〜」みたいな世の中になるような気がしています。

3| 制服の廃止、または「男女兼用」が当たり前になる

急速に普及したオンライン授業は、メインにはならないにしろ今後も残るでしょう。そうなると制服の意味や価値が変化し、制服自体を廃止する学校が増えるかもしれません。制服がある学校に箔が付くなんてこともあるかも。
もしくは男女差のない、兼用できるデザインの制服が当たり前になるのではないかと思います。これは個人的な希望ですが、スカートでもスラックスでもない「真ん中」の新しいデザインが出てきてほしい。それが一般的になると、「あえてのスカート」「あえてのスラックス」みたいな感じの新しいおしゃれに繋がったりして、ちょっと楽しそうです。
最終的には服装の自由が進みまくって、決まり自体もほとんどなくなったりするかもしれません。

+α| なんなら教師が自由な服装になっていく

学校が「個性」を尊重する環境となり、学生だけではなく、教師の個性も守られるようになってくるのではないでしょうか。
スーツやオフィスカジュアル、ジャージ意外にも自由な服装の教師が今よりももっと増える気がしています。ジーンズとロックTシャツを着たの国語の先生とか、着物を着た数学教師などが増えるかもしれません。体育の先生は本当はジャージが好きではないかもしれません。もちろんスカートスラックス云々も。生徒も教師も同じ目線で、お互いを承認し合う環境になっていくのではないかと思っています。
教師と生徒はお友達じゃないよ、という言葉も聞いたことがありますが、昨今の学校内でのいじめ問題を見ていると、生徒と教師の間では上下関係ではなく、信頼関係のほうが大事なんじゃないかなーと思ったりします。

学生の頃、わたしにとって学校というところはとても複雑で窮屈な場所でした。社会よりもいろんな決まりごとがあり、10代という絶妙な世代特有の世界で、いろんな空気を読まなければいけません。すでにいろいろと縛り付けられている子どもたちですから、もう少し自由にしてあげてもいいんじゃないかと思っています。
古いまま残された必要のない決まりを取り払えば、その時代に教育すべき根っこの部分が見えるような気がしています。律するところは、きっと別のところにある。あとそれから、校則は窮屈で面倒なもの、という風潮もなくなればいいなと思います。

これからどういう教育がされていくんでしょうね。楽しみです。
それではまた。

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みらいの校則

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