北村公人

立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程。立命館先進研究アカデミー(RARA)学生フ…

北村公人

立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程。立命館先進研究アカデミー(RARA)学生フェロー。日本ラカン協会会員。フランス現代思想、現代美術、衣服について話します。| お知らせ・プロフィール等 : http://mkitamura.com

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もう困らない!ミーハーのための研究発表での「質問」実践マニュアル

———「質問」。 それは、研究発表などの場で求められる「強制的なひまつぶし」である。 そもそも、「わからない事や知りたい事をたずねること」が「質問」なのだが、「もっと知りたい!」と思えるような面白い発表が行われるなんて稀である。 言ってしまえば、(というか当たり前だが)この世の研究者の9割はつまらない。 そのような発表者の「つまらなさ」に加え、研究発表会という場には、いわゆる「教養主義」という蛮習が蔓延っている。 「教養主義」とはすなわち、読み手側が読解を頑張るものであっ

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    • ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の「出口」 【第二弾:創作編】 イベントレポート

      ※本講演の内容は、髙橋耕平さんの著作権に帰属します。 0. なぜ髙橋耕平さんに講演を依頼したのか? 髙橋さんの講演の前に、「フランス現代思想研究会」代表の北村から、①今回の公開研究会を開催するまでの経緯(D+G『カフカ』の議論の紹介)、②今回の研究会の意図について、お話させていただきました。 ①今回の公開研究会を開催するまでの経緯  今年度、本研究会では D+G の『カフカ』の講読会を行ってきました。なぜそれなのに、今回の公開研究会では、アーティストの髙橋耕平さんをお招

      • ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の「出口」 【第一弾:思想編】 イベントレポート

        ※本講演の内容は、小林卓也さんの著作権に帰属します。 1. 人文知と実践の結びつきを(いったん)断ち切る 人文知には実践につながる「出口」がない…という閉塞的な状況というのは、よく考えてみると、「出口」がないわけではないと小林さんは言います。その「出口」は至るところに開かれているものの、残念ながらいずれの出口も誤った入口にしか導かれない…というのが正確なのではないかと、小林さんははじめに仰られていました。  例えばそれは、低賃金による大学院生やポスドクの労働力の使い回し、

        • 【公開研究会に向けて】 ドゥルーズ+ガタリ 『カフカ』 第2章「太りすぎのオイディプス」要約

          11/5(日)と11/25(土)に、「ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の『出口』」という公開研究会を開催します!!  今回はこの研究会の開催に伴い、D+G『カフカ』から(特に重要な(?))第1章と第2章の、1,000字程度のカンタンな要約を共有します(ページ数は、『カフカ〈新訳〉: マイナー文学のために』のものを表します)。 👉第1章はこちら D+G 『カフカ マイナー文学のために』 第2章 「太りすぎのオイディプス」要約 カフカをどう読むべきか。D

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        • ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の「出口」 【第二弾:創作編】 イベントレポート

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          【公開研究会に向けて】 ドゥルーズ+ガタリ 『カフカ』 第1章「内容と表現」要約

           11/5(日)と11/25(土)に、「ドゥルーズ+ガタリのマイナー文学的戦略から問う人文知の『出口』」という公開研究会を開催します!!  今回はこの研究会の開催に伴い、D+G『カフカ』から(特に重要な(?))第1章と第2章の、1,000字程度のカンタンな要約を共有します(ページ数は、『カフカ〈新訳〉: マイナー文学のために』のものを表します)。 D+G『カフカ マイナー文学のために』 第1章 「内容と表現」要約 この章でD+Gがテーマとするのは、(例えばラカンにおける「

          【公開研究会に向けて】 ドゥルーズ+ガタリ 『カフカ』 第1章「内容と表現」要約

          ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体』第4章「ジェンダーは燃えている —我有化と転覆の問い」要約

          「セックス」や「ジェンダー」という用語を別の意味に転換してしまう可能性? 例えば、「おい、このnoteを読んでいるそこのオマエ!」と、私が一方的に呼びかけたとき、この「おい、オマエ」という「呼びかけ」は、読者である皆さんを(ある意味で)服従化された主体へと導いてしまうことでしょう。また例えば、「そこの▲▲!(▲▲は侮蔑語を表します)」と、侮蔑語を使用して呼びかけたときには、先の「呼びかけ」以上に、読者である皆さんを恐怖に陥れつつ、私とはなんの関わりも無かった皆さんを私と言語を

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          ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体』第4章「ジ…

          ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』 第2章 第5節「権力としての禁止の再考」 要約

           本節でバトラーは、いかにして(精神分析を代表とする)《法》(ex.近親姦タブー)が、それが管理しようとするジェンダーを意図せずして生産し増殖させているかを再考している。その際にバトラーが足場とするのは、アメリカの文化人類学者であるゲイル・ルービンの「女の交易――セックスの『政治機構』」(Rubin,G.(1975). The Traffic in Women : Notes on the 'Political Economy' of Sex. (Rayna R. Reite

          ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』 第2章 第5節「権力としての禁止の再考」 要約

          ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』 第2章 第4節「ジェンダーの複合性、同一化の限界」要約

           本節のテーマは、(ジェンダーの)アイデンティティを固定する基盤的な《象徴界》の《法》を前提としないで構築される「同一化(identification)」について考えること、つまりは、《法》無しで(ジェンダーの)アイデンティティを突き止めることである。  これまでにバトラーは、第2章第2節ではラカンとリヴィエール、第3節ではフロイトを分析し、この3者の枠組みの中でジェンダーの「同一化(identification)」がどのように機能しているのか(はたまた、「機能する」と言え

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          プチ共同討議 : 「他のギャル」を求めて

          Aさん:……これはつまり、男性の自己同一化の対象が一義的でないということが問題なわけですよね? B.G.V.:ええと? Aさん:例えば女性の場合は、TWICEになりたい、乃木坂の〇〇になりたい…というように、まあなんでもいいんですけど、「こうなりたい」という対象が明確にある。80年代、90年代もそれがあったし、現代においてももちろんそれはある。でも一方で、男性の場合は、80〜90年代であれば、矢沢永吉になりたい、木村拓哉になりたいというのはあったし、ギャル男みたいなものも

          プチ共同討議 : 「他のギャル」を求めて

          フェリックス・ガタリの思想と「折り紙」について、T.Y.との会話、私の発言部分の文字起こし

          (B.G.V.):「紙を半分に折ることを42回繰り返すと月に届く」という話があるじゃない? 地球から月までの距離はおよそ38万kmで、一般的なコピー用紙の厚さは0.08mm。この紙を二つ折りすると2倍の0.16mmとなるから、どんどん折っていけば単純計算で42回目で紙の厚さが約35万kmとなり、月に届く…というやつ。だけど実際のところ、紙を半分に折る時に、どんな紙、あるいはどんなプレス機を使用しても、大抵8回ぐらいが限界。つまり、「折ること」には理想と現実に折り合いをつけるこ

          フェリックス・ガタリの思想と「折り紙」について、T.Y.との会話、私の発言部分の文字起こし

          日記(2021/05/06〜05/12)

          2021/05/06(木)男性の、去勢コンプレックスへの対抗について考えた。以下のようなことが起きたとすると、どうなるのだろうか。 「(去勢コンプレックスへの対抗のためにフェティシズムに陥るのではなく、)女性はペニスとは”別バージョン”の統制機構としてクリトリスを持っている」ということを男性が認識した例として、最近のものでは『シン・エヴァンゲリオン』が挙げられるだろう。 「シン・エヴァはものすごくわかりやすい作りになっているから批評性はない」的なことを、ゼロ年代の(あるい

          日記(2021/05/06〜05/12)

          日記(2021/04/22〜04/28)

          2021/04/22(木)「中動態」の発露には、教室的な要素・ある種の閉鎖性が不可欠なのだろう。『中動態の世界 意志と責任の考古学』を読んだのはもはや4年前なので記憶があやふやなのだが、この本の刊行記念で行われた國分功一郎氏と大澤真幸氏の対談の中で、楕円形のイメージをもとに中動態の概念が説明されていた。私はこれを、ある種の「教室」のイメージとして理解した覚えがある。 現代において説かれているコミュニケーション術/論、ナンパ術/論を俯瞰してみると、この「教室」のような空間につ

          日記(2021/04/22〜04/28)

          日記(2021/04/08〜04/14)

          2021/04/08(木)私の好きなアーティストであるMurcofの新しいアルバムが5/21にリリースされるらしい。先行で2曲、公開されていた。 「Underwater Lament」はハービー・ハンコックの「Rain Dance」的な(というか、ものすごく似ている)ドローンジャズ(?)だし、「Dividing space」は自分の好みな感じだし、リリースが楽しみだ。 2021/04/09(金)仕事でガン萎えするようなトラブルがあり、急な雨に打たれ、電車は遅延し、まあまあ

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          日記(2021/04/01~04/07)

          2021/04/01(木)19:30。テニスをした。近くのテニススクールにて。 実は、私B.G.V.、小学生から今現在までテニスを続けている。一体どうしてなのかは分からないが。なぜか今でも続いている。 なんでだろう? 正直言って、楽しくはないのに。 そういえば、オーストリアの精神科医であるジークムント・フロイトの趣味も、テニスであったらしい。そんな彼はテニスコートを「人間存在の科学的調査を試みる最も適切な場所」としていたし、「患者を理解する唯一の道は、彼らとテニスをする

          日記(2021/04/01~04/07)

          日記(2021/03/25~3/31)

          2021/03/25(木)高橋雄一郎著『身体化される知——パフォーマンス研究』を読んだ。なぜ読んだのかと言えば、現在私が研究していることに関連するからだ。私は今、フランスの哲学者・精神分析家であるジャック・ラカンという人物の晩年の思想について研究している。具体的にどんな研究をしているのかざっくり言えば、人々の間で「連帯」することが難しいポスト・モダンの社会で、それでも「連帯」を実現するための思想を晩年のラカンを足場に考えるというものだ。この研究は最近になってようやく、ラカンが

          日記(2021/03/25~3/31)

          シゲヒコとシゲヒコについて

          同じようにフローベールを足場にしていても、蓮實シゲヒコと外山シゲヒコとでは、対象をそれと直接には関係のないものを借りて解明しようとする行為(≒比喩)に対する評価が異なり、前シゲヒコはそれを「凡庸」と言って切り捨てるが、後シゲヒコは「真の比喩」(≠写実至上主義)があるとして、その可能性を探ろうとする。 外山のそれは、比喩というものを「悪しき比喩」(未消化な思考を比喩の形式を借りて合理化しようとするもの)と「真の比喩」(写実と相互補償的関係にあり、写実が到達しえぬところに参入す

          シゲヒコとシゲヒコについて