見出し画像

日記(2021/04/01~04/07)

2021/04/01(木)

19:30。テニスをした。近くのテニススクールにて。

実は、私B.G.V.、小学生から今現在までテニスを続けている。一体どうしてなのかは分からないが。なぜか今でも続いている。

なんでだろう? 正直言って、楽しくはないのに。

そういえば、オーストリアの精神科医であるジークムント・フロイトの趣味も、テニスであったらしい。そんな彼はテニスコートを「人間存在の科学的調査を試みる最も適切な場所」としていたし、「患者を理解する唯一の道は、彼らとテニスをすることだ」とも言っていた(出典はまた後日、追記する)。

フロイトと自分を重ねるなんて不遜だが、彼の言っていることはよくわかる気がする。私はどこか、ある種の「臨床」としてテニスをしている。



2021/04/02(金)

ラース・フォン・トリアーってなんだろう?っていうのを考えた。

また、以下のツイートをした(ラース・フォン・トリアーは何も関係がない)。

「睡眠」は、他者と溶解して死にゆくような感じもあるが、一方でこのツイートのように、布団という”他者のようなもの”を自分の戦友?にして、死に対する抵抗をしているようにも思える。皆さんはどっちだと思いますか?



2021/04/03(土)

昨年の今頃(2020年3月ごろ)に、主にTwitter上で問題?になった、若手ドゥルーズ研究者による、ラディカルなふりをした権威主義(”読書感想文”問題)について考えた。

最近何かと話題になる、というか続出する、「反体制」を謳いながら実は権威にすがっているという人たち。この人たちはなんなのか。また、どこからやってくるのか。

特に結論は出ず。



2021/04/04(日)

画像4

知り合いと食事。

私は「お酒について全く詳しくない」というコンプレックスがあるのだが、いつも「若いからしょうがなくね?」という開き直りで乗り切ってしまっている。

果たしてこれはいつまで通用するのだろう。



2021/04/05(月)

千葉雅也著『メイキング・オブ・勉強の哲学』後藤明生の『挟み撃ち』を再読。

本人にもこの感想ツイートが届いたらしく、反応が来て嬉しかった。

また、この理論?を使った、”妖しい版の”メンタリストDaiGoなるものについて考えた。



2021/04/06(火)

「パフォーマンス」という手垢にまみれた言葉を、何か別の言葉で言い表せられないだろうか、ということを考えた。ということで、まずは「パフォーマンス」という言葉をよく分析して見ることに。


…うーむ。「パフォーマンス」という言葉、「よくできてる」な。

まず「パ」という破裂音=半濁音で、ある空間に突如押し入り、

なんらかの錯乱行為をしたのちに、潔く「ス」という音(サ行)で去っていく。

パフォーマンスという行為の「パフォーマンスみ」を、その言葉自体がそのまま体現しているではないか。

画像5

これを踏襲して、「半濁音+サ行」で色々考えたが、良いのは思い付かず。



2021/04/07(水)

仕事?を終え、コメダ珈琲へ。 ナプキンに穴を開ける。

画像1

さて、突然すぎるが、穴は、穴それ自体で存在しうるものなのだろうか? 穴の隣には、ある種の盛り上がりのような目印が必ずある…と言えないだろうか? つまり、ブラックホールはブラックホール単体で存在し得るのか? ブラックホールの隣には、ブラックホールがあるということを示す実体的な目印があるのではないか?

画像2

よく日本は、「外部」を持たず「内部」しかない、脱構築を準備する構造=構築を根本的に欠いていると言われてきた。そのような日本のブラックホール性(椹木野衣の言葉を借りれば、歴史も思想もない”悪い場所”)ってほんとうに妥当なのだろうか?

ブラックホールだけが、それ単体としてただ在るのが日本なのか? 

その”隣に”何かあるのでは? 例えば膣口の隣にクリトリスがあるように(正確には尿道だが)。

(クリトリスの語源はギリシャ語の「κλείς クレイス」というらしい。川原拓雄(1992)による『現代ギリシア語辞典』で「κλείς クレイス」を引くと、「κλείς:1, キー.  2物を開ける道具.  3(問題などを)解く鍵, 手掛かり」とある)


これまでの日本論は、「穴」自体しか見てこなかったのではないか? 

付随物?付録?目印?を見てこなかったのではないか?

・・・

新たな(?)日本論を展開するために、そのようなことを考えた。

画像3


——————————————————

今週も、大したことは書けなかった。去勢としての日記。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?