見出し画像

ぼっち在宅介護 父と私にとっては、今も母の味はパワーフードなのだ

母について、書いてみようと考えています。

noteは、父の在宅介護の中で、いろいろ発見したいいな!と思ったものを誰かに伝えたくて、でも、引きこもりの父娘には伝える先も限られているので…
あ、noteでいいや(失礼ですみません!)と書きはじめました。

一方的にたらたら書くだけのつもりでした。

が、いろんな方のnoteを拝見し、やりとりする中で、フッと心が軽くなっていくこともあって。

ここ7年ほどの間、私の中の重い重いテーマだった母のことも、少しずつ書いていけたらなぁと思っています。

その第一弾。


写真は、母が昔作ってくれていたニラコロッケ(じゃがいも+ニラ+牛ひき肉)を真似て、今、私がつくっているものです。
タマネギではなくニラ。で、俵形。
コレがうちの定番でした。
今でも、父のパワーフードです。
大好きなメニューです。

揚げ物、衣をつける、ネタをつくる…
全部、ウザい(笑)
なので、いっつも常備はしていません。
だから、お惣菜コロッケの日もあります。

でも、父の体調不良が続いたり、じゃがいもが旬とかニラが旬になると、バットいっぱいに作り冷凍しておきます。
父は、安定の食べっぷりで、毎度作った甲斐があります。

母の手作りの料理、いつからかあまり食べれなくなりました。
だんだんサボるようになっていきました。
いや、更年期とか、心配事、不安事、私たち子供やパートナーの父にも話せない、いろんな悩みが相互にあったんだと思います。


やがて、母は認知症になりました。
よくコケたり、車をぶつけたり、ATMがうまく使えなくなり、なぜか通帳にお金がなくなっていて、父に内緒で「お金を貸して欲しい」と私に頼むようになっていきました。


母が認知症になって、さらにいろいろ困ったことになり、ややこしい事情もからんで、いろんな問題が起こりました。正直、今、母に対してあまり快くない思いがあります。


私たちは、後期高齢者の認知症を理解できていませんでした。母から罵倒されたり、あることないことを言われたり…
父と私はやはり傷ついてしまいました。
それでも、母の認知症を理解しようと、向き合うことにもトライしましたが、様々な事情が絡みあい…うまくいきませんで、母は家をでていきました。
(この事は、また改めて書いてみたいと思います)

なんとなく、母と認知症と諸問題について書くと思うと、なかなか私の指は動きません。

母の身になって考えてみると…
「ええよ、好きに書けば」と言うかもだし。
「なんでかっこ悪いこと書くのよ!やめといてよ」と言うかも。
どっちにも転びそうな人なので、、、
このテーマにはとても重く…
なかなかうまくかけません。


が、

本日、
kakiemonさんのnoteを読んで。
あ!と、思い出したことがあって、先にそっちについてを書いてみようかなぁと思いつきました。昔の母と、母の味についてです。


kakiemonさんのnoteはこちら☟

私が料理することにこだわった、もうひとつの理由。|kakiemon #note #noteでよかったこと




母は、器用な人でした。

私が小さい時は、郊外の団地に住んでいて、
『暮しの手帖』とかに載る料理とかを一生懸命作る人だった記憶があります。

当時、子供の誕生日にはお誕生日会があり、同級生や幼馴染を誘い、母が手料理でもてなしたり…(なかなか嫌なブームでしたね…誰を誘うか?誘われないか?とか)
やっと手に入れたオーブン付きの電子レンジで、たまにシュークリームを焼いてくれましたけど、シュークリームにスワンの首までついてた時は、ビビりましたね。今、ママをやっていたらインスタ投稿とかしてそうです(笑)


私にとっての思い出のお袋の味は、ミートスパゲッティです。お誕生日会はもちろん、いいことがあれば必ず作ってくれていました。

味見は私の役目で、仕上がり前に、塩だのウスターだの指示を出していた思い出があります。
牛ひき肉をトマトピューレとコトコト煮て、2日目が一番美味しいミートソースでした。
が、1日目のシャバシャバソースから何杯もお代わりしながら食べていました。

社会人時代も今も、食欲がない時、しんどい時、ミートスパゲティを食べたりしています。

余力のあった頃は、もちろん自分でもソースを作っていました。が、最近は介護と更年期で疲れ果て、父の好きなおかずは作っても、ミートソースはやらないです(笑)


ぁぁぁぁ〜、しんど〜!!!何も食べれない〜!
と、思ったら、セブンイレブンに走ります。

『じっくり煮込んだコク深いミートソース』
(冷凍パスタで便利です。)

を買ってきて、まず食べます!
今の私のパワーフードです。

ミートソースは、なぜか、元気をくれます。
理由なしにエンジンがかかります。
母が遠くからパワーをくれてるんだろうか…

ふと、大学に合格した時、母と二人で手に手をとって小躍りしたことをなぜか思い出します。


そうなんだよなぁ…
いい関係の時、たくさんあったはずなんだよなぁ…気が合えばすごく合う人だったんですよ。

でも、仲違いすると、磁石のSとSで反発しちゃう感じでしょうか…なかなかくっつけなくなりました。ちょっと過干渉な母だったので。


母が認知症になって、父が私にヘルプを出した時、父が経理を私に預ける判断をした時、
母はすごく嫌な思いになったようでした。
ずっとずっと、母が管理していたんです。
今思えば、お金の管理は、母にとって父からの信頼の証のようなものだったんだと思います。
だから、父の信頼が私にうつったと思い込み、私にやきもちを焼いたんではないかと思います。

子に対して、尊敬される親でいたい。
母 > 私

パートナーに対して、最高の相棒でありたい。
母 = 父

これ以上はあっても、
これ以下の関係は、母にとってはありえなかったんじゃないでしょうか…


また…
母のミートソース
時間に余力ができたら、また自分でコトコト煮て作りたいなぁ…
味は覚えています。忘れてません。
最強のパワーフードなんでね。
また、いつか作ろうと思います。


母のことは、、、あまりスッと言葉が出てこないです…難しいな。

でも、また書きます。少しずつ。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?