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「君が隣を歩くことについて」

インスタントフィクション/作・高山遥


久しぶりに観た空の赤。
まるで別の惑星に来たみたいに感じる。
建物の出口で、
「やっと終わった」と思っていたら、
後からやって来て君が「あっという間だったね」と言った。

こんなに近くにいるのに、言葉だけがなんだか遠い。

僕の右側から、小さめの犬が、小さめの足をぽてぽてと動かしながら歩いてくる。
もっと頭のいい歩き方があるはずなんだけど、こうやって歩いたほうが愛されやすいことをこの犬は知っている。
飼い主と思われる女性は、右手にリード、左手に買い物バッグを提げているが、肝心の買い物メモを家に忘れてきてしまった。もういっそのこと、今の夫と結婚した事実も家に忘れてきたことにして、どこか遠くの方まで歩き続けてやろうかと思っている。どこか遠くの、ここではないどこかに。

飼い主と思われる女性が誰にも気づかれない小さいため息を吐いたタイミングで、我々は駅の方へと歩き出した。
「みんな最後はまたね、って別れるけど、〈また〉なんて二度とないのよ。明日になれば、からだの細胞は入れ替わるし、肌の調子もココロの調子も変わるの。もうそこには今日のあたしはいないわ。人生は始まったら行ったきりよ。この歩道みたいにね。」

「じゃあ、あの女の人は。」

僕は、ぽてぽてと歩く犬のお尻を見るふりをして、飼い主と思われる女性の引き締まったお尻を見ながら言った。

彼女がこんな長いセリフを喋ったのは、一言で言うと「あたし髪切ったんだけど早く気づけよ、ばか」とう彼女なりのメッセージだったらしく、僕は後でシャワーを浴びながらそのことに気づいて大慌てでラインをした。

「今日、綺麗だったよ」



駅に近づくにつれて徐々に騒がしくなる。
赤信号で立ち止まり、ふと辺りを見渡すと、同じ大学に通う知り合い以上友達未満って感じの女の子が居酒屋の客引きをしているのを見つけた。
僕はなんとなくその前を通るのが嫌になって、隣でぼーっと空を見上げていた彼女の腕をつかんで路地に入った。

彼女は「どうしたの」とも「なに」とも言わずに黙ってついてきた。

目の前に並ぶ街灯の明かりが、いつの日か見た月明かりに似ていた。それはたしか海に行ったときのことだ。たしか八月の終わりのことだった。それも真夜中に。僕たちは波の音だけがざあざあと聞こえる砂浜に腰を下ろし、コンビニで買った缶チューハイで乾杯した。暗いから恥ずかしくないでしょ、なんて言って、お互い服を脱ぎ捨てて素っ裸で泳いだ。


僕は彼女の腕を握ったまま公園のベンチに腰を下ろした。
ブランコに座っていた男がこちらに気づいて、気まずそうに去っていった。


目の前に見える家の中では、男が妻の帰りを待っていた。
お互いに喋ることがなくなって、静かになった。
忘れていた疲れが、どっと全身を襲った。

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