誰も知り合いのいない所に行く。
「誰も知り合いのいない所に行きたい」と常々思う。生きているとなんとなく「あっちの方に行けば皆んないる」とか「あそこに行けば答えがあるっぽい」みたいな気分で走り出してしまうことが多々あるのだが、そういう走り方をし始めた途端に、発する言葉の全ては他者とコミュニケイトする(した気になる)ための道具でしか無くなってしまう。探求の道具であることをやめてしまう。
そもそも、「みんな」なんてどこにいるというのか。
今仮に「みんな」と呼ぶことができる「みんな」が居るとして、あるいは在ると