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マームとジプシー『equel』をみた。

2024/3/30
私の母校である、桜美林大学に併設されている劇場、ストーンズホールにて、マームとジプシーの新作『equel』を観ました。以下、感想です。

【公演詳細】

マームとジプシー「equal」
作・演出:藤田貴大
出演:荻原綾 尾野島慎太朗 成田亜佑美 波佐谷聡 召田実子 吉田聡子

<町田公演>
日程:2024年3月30日-31日
3/30(土) 16:00開演
3/31(日) 14:00開演

会場:桜美林学園桜美林芸術文化ホール ストーンズホール
(町田駅・町田バスセンターよりバス、④・⑤番乗場「山崎団地」、「山崎団地センター」行き乗車。「山崎団地センター」バス停より徒歩7分)
東京都町田市本町田2600-4

チケット料金
一般 4,000円
60歳以上 3,000円
25歳以下 2,500円
18歳以下 1,000円
チケット発売:2024年1月29日10:00〜

チケットお取り扱い
桜美林芸術文化ホール運営事務局
TEL:042-739-0071(平日10:00~16:00)

STAFF
衣装:若林佐知子(swllow)
シューズ:trippen
ヘアメイク:大宝みゆき
照明:小谷中直美
音響:今里愛(Sugar Sound)
映像:召田実子、宮田真理子
舞台監督:熊木進
宣伝美術:名久井直子


「目を開けると、2024年だった」ということばで、物語は始まる。
〈さとこちゃん〉が、この町に帰ってくる、電車の中。久々に見渡すこの町の風景に思いをはせる〈さとこちゃん〉のモノローグ。(この街とは、劇中では明言されないが、藤田貴大の地元、北海道伊達がベースとなっている)。


例のごとくオシャレな当日パンフレット。この作品はPart1~Part5まで章立てがされてある。まるでCDアルバムのようだ。


〈さとこちゃん〉は、この街でかつてのクラスメイト、〈あゆみちゃん〉〈じつこちゃん〉〈しんたろうくん〉〈はさたにくん〉と再会する。劇中では、久々の再会を記して浜辺でバーベキューを企む〈じつこちゃん〉と〈はさたにくん〉の様子、偶然の再会を喜ぶ〈さとこちゃん〉と〈あゆみちゃん〉の様子が順を追って描かれていき、最終的には全員集合して、みんなで火を囲んで、楽しく「カンパ―イ!」とビール瓶を掲げるのだが、文字通りそのまま楽しい、とはいかない。
どこか、ぎこちないのだ。
それは、全員が抱える、共有する、ある記憶のせいだ。

舞台に立てられた背後のテントに、じっと息をひそめる一人の女の子がいる。
〈あやちゃん〉と呼ばれるその女の子は、中学生のとき、〈しんたろうくん〉に「家出をして森にテントを張る」と告げて出て行ったきり、帰って来ない。
そのことは2013年に初演された、作品「てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。」という作品で描かれている。(今回の「equal」という作品はこの「てんとてんを…」と地続きになっており、登場人物も全く同じだ。冒頭〈さとこちゃん〉が言う「目を開けると2024年だった」という台詞は、この2013年からの時を経て、2024年に再びこの街に戻って来た、という風に捉えていいだろう。)
そして今回の「equal」では〈あやちゃん〉は、みんなの記憶の中の〈あやちゃん〉としてしか登場しない。2024年に〈あやちゃん〉はいない。〈しんたろうくん〉のモノローグによると、〈あやちゃん〉のテントは、大人たちの手によって、既に破壊されてしまったのだという。もう、〈あやちゃん〉は失われてしまったのだ。
「equal」は、この〈あやちゃん〉の喪失という過去と、みんなの再会という今が、等価に、地続きで展開されていく。〈あやちゃん〉との思い出は、前後の脈略無く、唐突に蘇る。そこには、どれだけ、今ここに存在しようとも、人間は過去の記憶からは逃れられないという思想が、根底にある。
どれだけ純粋に、この街を眺めようとしても、〈あやちゃん〉と歩いた景色のことを、思い出さずにはいられない。
そんな当たり前のことが、彼らには苦しいのだ。



〈しんたろうくん〉は朝、目を覚ましてからの出来事を話したい。
しかし、それは失敗し続ける。言葉は断片的にしか口から出てこないし、かろうじて口から出てきた単語も誰かに奪われてしまって、違うシーンに飛ばされてしまう。かと思いきや場面はまた何かのバグみたいに、また最初から話始めなければならない。
〈しんたろうくん〉のささやかなエピソードトークは無情にもエラーを起こし続け、いつまで経っても話し終えることができない。
永遠のようなリフレインの果てに、突如、〈さとこちゃん〉は〈あやちゃん〉との会話を思い出す。

「それでいうとさ、みんなとちゃんと話せたこと、あるのかな。こう話したいって思ったこと、こう話せたことってあるのかな」

話したいことを、話したいままに話すことなんて、出来ないのではないか。
届くか分からない相手に、言葉をかけ続けなければならない不条理、語ろうとする言葉たちや現前する風景が記憶に阻害されてゆく不自由。
それはマームとジプシーがずっと描き続けてきたことだ。
そして同時に、日本の演劇がずっと長い間無視してきたことでもある様に思う。
藤田貴大はマームとジプシーの公式インタビューで以下のように語っている。

それまでは「会話をしないと演劇が成立しない」と教えられていたんです。僕自身、会話というものが演劇の一つの装置であることはわかっていたんですけど、そこに対して疑いを持っていて、僕の問題意識としては「会話をしていない時でも、言葉は頭の中で渦巻いている」と思っていたんですよね。

今、ここで交わされている言葉だけを描くだけでは、足りない。渦巻いているはずの言葉たちを、無視はできない。
リフレインとは、それまでの会話劇に対するひとつの懐疑の表現でもあった。

「equal」は後半、言葉と記憶の問題から一転して、この町の、戦争による被害という史実へ足を踏み入れていく。
空爆によって21人が犠牲になったという事実、浜辺でたくさんの遺体が並べられ、焼かれたという事実。
おそらく藤田自身がリサーチして感じた事、この町の史実が、〈さとこちゃん〉の言葉を通じて語られる。それはただの「報告」には決してとどまらず、胸に深く刺さるものがあった。

2013年の「てんとてん…」の中で、〈さとこちゃん〉は、森の中で空を見上げながら、自分はちっぽけな点に過ぎないのだ、と言う。掌で胸をたたき、声を揺らしながらジャンプをすると、鳥たちと話している気分になる。そうしていると、まるで、自分がちっぽけな点になって、空に放り出される…。そんな感覚。
それは具体的なセリフとなって語られ、場面ごと今回の「equal」でも引用されるが、空爆の場面では一転して、〈さとこちゃん〉の空を見上げる視点は、空から見下ろす視点へと移り変わる。
それは、空爆を行う飛行機を操縦するパイロットの視点だ。
〈さとこちゃん〉はいう。

「点に見えていたのかな。人間に、見えていたのかな。」

2013年の「てんとてん…」では、私とあなた、今と過去を、点と点で結んでいく。9.11が起きてから、3.11が起きるまでの時間軸の中で、実際に起こった事件の話を交えながら、一見かけ離れた、異なる境遇を生きる人々と、私たちの生活を、点と点で結んでいく、想像していくことを試みていたように思う。それは、「ぼくがラーメン食べたとき」という有名な絵本とも、通じるものがあると思う。

しかし「equal」で語られていることは全く逆ではないか。
人間を点として見てしまう恐ろしさ、年表の中の点としてしかとらえられない史実のこと。
点として見てみようという試みから一転、点としてしか見れない恐怖が、語られているように思われた。その意味で、「equal」は、「てんとてん…」に対する、現在からの応答のようだった。

△長谷川義史による絵本「ぼくがラーメンたべてるとき」(教育画劇)は、「ぼくがラーメンたべてるとき、となりでミケがあくびした」「となりでミケがあくびしたとき……」というように○○が○○したとき、という構文によって少しづつ「ぼくがラーメンたべてる」というシチュエーションから遠い世界の物事をつないでいく。最終的には、アフリカの地で、飢餓に苦しみ砂漠で倒れている子供の映像へとつながる。私には、これも、点と点で世界をつないで想像しようという試みに思われる。



もう一つ、「equal」には、「てんとてん…」にはなかったモチーフが登場する。それは、次の世代に何かを託す、というモチーフだ。

バーベキューの食料を調達する際中、〈じつこちゃん〉は港で、"左目に眼帯をした子供"にであう。その鋭い視線に、〈じつこちゃん〉は戦慄する。
じっと〈じつこちゃん〉の方を見つめる子供。片方の目しか使えない分、私たちよりもずっと、世界をよく観ようとするだろう。
「その目で、何を見るのだろう」と、〈じつこちゃん〉は、ラスト付近で問いかける。
左目に眼帯をした子供とはきっと、紛れもない〈あやちゃん〉の生まれ変わりだろう。それは”テント”を破壊した大人たちへ、冷や水を浴びせるような力強さだ。
その強すぎる希望に、強く胸を打たれた。

そしてもう一つ、終幕に迫る頃、〈さとこちゃん〉はじっと前=客席を見つめる場面が印象的だった。

「私の前には、客席。もうすぐ、扉は開かれる。」

扉が開かれた時、私たちはどうなるのだろう?
きっと、左目に眼帯をした子供の〈目〉で、世界を見つめようとするに違いない。あるいは、その視線を感じ続けるに違いない。

あるいは、劇場を後にし、各々の生活へと戻って行きながら、
折に触れ、会ったこともないはずの〈あやちゃん〉を、探し続けるに違いない。



2024.3.30

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追記。
終演後、藤田貴大一人によるアフタートークが行われた。
藤田自身をはじめ、今回の出演者やスタッフの多くが桜美林大学出身であることにふれつつ、マームとジプシーではおそらく初となる、観客から質問を受け付ける時間が設けられた。(それなのに私は作品に関わる一切の質問とその回答を何一つ思い出せない。涙。なので、印象に残った作品とは全く関係のない二つの問いとその回答を、メモ程度に記したいと思う。)


Q若い世代の団体で気になっている人はいますか。
Aあまり演劇を観ないので知識がないのですが…。
 ヨネダ2000が好きです。
 なんだかよくわからないけど泣きそうになりま
 す。もちろん笑えるけど。
 ヨネダ200が好きです。

Q恋愛において大切なことは何だと思いますか。
A恋愛って、ないと思う。恋愛とか恋とか…愛はあ
 るとおもうけど…。
 恋っていうのも、どうかしている状態のことを言
 うと思うので…。
 あんまり気安く恋愛って言葉を使わない方がいい
 と思う。


マームとジプシーは今年5月に新作「Dream a Dream」を発表するとのこと。「equal」とは全く違う視点で、地元の風景を描くという。

こちらも必見だ。


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