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【詩作】根無し草

根無し草

われわれの祖(おや)が眠る
森や畑や
木漏れ日の陰に
この血脈が
流れるかぎり

久しく帰らぬ
故郷に残した
淡い後ろめたさを
無機質な都会の雑踏の中に
まぎらわせて

夜ごと
さまよえる魂も
いずれ何処かに
安息の地を
見いだすだろう

遠くにあって近い「大いなるもの」が与え給いし言葉

前回に引き続き、詩作について書いてみたいと思います。「詩を論じる」のではなく(そんな大それた試みではなく)、小さな詩作の自己体験を記す、といえばいいかもしれません。冒頭の詩も、とある文学講座で課題を渡されて、なんとかひねり出した一作。

今回のテーマは「彼方からのコトバ、彼方へのコトバ:リルケとブレイク」。オーストリアの詩人、ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke)と、英国の詩人にして画家、ウィリアム・ブレイク(William Blake)には、共通した詩に対する姿勢が貫かれています。それは、詩を書く対象が人間ではなく「不可視の(=目に見えない)存在」に向けられたものだったということ。彼らはその見えざるものを「天使」と呼び、隣人のような存在として、詩の形で呼びかけました。

愛する人たちよ、どこにも世界は存在すまい、内部に存在するほかは。

(リルケ)

ちょうどミルトンが、「曙が東の空を紫に染める頃、美神が彼の眠りを訪れ、彼を目覚まし、彼に歌を作らせた」と云った。

(ブレイク)

ある人は、その見えざる存在を「神」や「仏」と呼ぶかもしれません。しかし、それは必ずしも宗教的な観念だけに裏づけられるものではなくて、ハンセン病患者の医師を務めた神谷美恵子にとっては、人間の「生きがい」でした。自分の中に潜んでいる幼少期の「記憶」でもよいのです。あえて定義すれば、「自分より遠く彼方にありながら、自分よりも近い存在」になるでしょうか。講義を聴きながら、この見えないものを、宗教とさしてご縁のない私は、より普遍的な「大いなる存在」として解釈していました。

書くのではなく、書かされている

詩作にあたって、メモに走り書きしたキーワードは「先祖」「故郷」「血」「(先人から受け継いだ)技」「(親から)与えられた思い」「愛」「(先生から)託された夢」「志」など、普段の自分から考えると歯が浮くような“クサい”ものばかり。しかし詩は嘘をつけませんから、困りました。自分の心を偽らずに、どうやって言葉を紡ぐことができるか? 故郷を捨てて、勝手気ままに生きていながら、実は生かされ、道を導かれている自分のありのままの姿を描けばいい――。

そう割り切ると筆は意外と進むもので、割り当てられた制限時間の45分に加えて、帰りの電車の中で15分。1時間ほどで書いたのが、冒頭の課題作品です。前作で七転八倒して1週間以上もかかったことを考えると、少しは成長したのだろうか……(謎)。ちなみにリルケの詩集『ドゥイノの悲歌』は、完成までに10年かかったのだとか。ブレイクは、次のように喝破しています。

精霊からの直接の命令で書いた。したがって、書くために費やされた時間というものは存在していない。

(ブレイク)

詩はいつでも読めるもの、書けるものではないようです。忙しい=心が枯渇した状態では、むしろ詩は慈愛の水のように吸収されますが、自ら言葉を生み出す源泉とはなり得ない。また私の場合、“ハッピーな気分”の時には、詩集の背表紙さえ見向きもしなくなります。ですから、詩との向き合い方が、私にとって一種の“精神状態のバロメーター”になっているといっても過言ではありません。

今回の試みは「心耳(しんじ)」、つまり心で言葉を聴き、受け取るという作業です。この時に「彼方の存在」を感じることは、唯物論的な価値観からすると、“怪しいスピリチュアル”以外の何ものでもありませんね(笑)。しかし本来の目的は、普段われわれが見過ごし、見落とし、見失っている「この世にある精神的な深み」を、言葉の力を借りて浮かび上がらせようというものです。

詩作とは、自分で自分を受け入れていく個的な営みであり、他人の評価から最も遠くにあるはず。

(若松英輔)

見えざる存在、語らざる者の「声なき声」を聴きながら、その声を紙の上に文字として刻印し続けたリルケやブレイクなら、このように叫ぶのでしょう。「『私が書いた』などとは言わないでくれ! これを書かせた、私とともにある存在こそ、愛でてほしい」と。

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