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小説『丼とburger』草稿 田辺篇④

 いい香りですね。バニラのような。
 紹介してもらったパン屋の近くに南方熊楠邸がある。そうだな、彼の庭に来たんだった。
 南方熊楠邸、離れの書斎の縁側に座ってぼうっとしていると、いい香りが漂ってくる。葉っぱがざわざわしていていい。
「気持ちいいですか」いつのまにか管理人の女性が隣に座っている。
「ええ。風がいいです。それといい香りですね。バニラのような」
「昭和天皇のプレゼント」
 カラタネオガタマというらしい。安藤みかんの花も香りを出している。女性は70代だろうか品の良いおばあさま。背筋がピンとして言葉がはっきりしている。
 この庭の植栽の話。熊楠の日記に書いてあること、その再現。鳥も種を落とすので、見慣れない苗木を「こんなところに」って見つけることもある。熊楠の庭そのままは難しいし、それはそれで熊楠も面白がっていると思う。それよりも、訳あって全く関係なく植えられた木がある。いけないことだけど、そんな木はあんまり世話しない、枯れちゃえって、と少女のように可愛く微笑んで話す。
 この家は、南方熊楠の娘さんが晩年に戻ってひとりで住んだ。田辺市に寄贈するにあたって四つのお願いをした。一つ、家はそのままで。二つ、庭も一緒に保存して。三つ、蔵の収蔵品の目録を作って。四つ、熊楠研究の場にして。
 施設ができた経緯。閉じた田辺と外への向かう意識。多い海外への移住者。熊楠のロンドン生活。那智暮らしと見た幽霊。森の森羅万象と図書館や博物館。熊楠研究者たちの今。たくさん話を聞いた。
 十年後、この庭がどうなっているかは心配。だから、庭のことを書き留めて置く。
 庭に思いがある。親戚と言っていた。子どもの頃の記憶、熊楠の娘さんと暮らした思い出。
 どうして僕なんかにいろいろ話してくれるのだろう。
 トントントン。何だろう、木を突く音?キツツキ系?コゲラか。音のする方に体が向かう。
 枝葉のむこうによく見える。細い幹をトントンしている鳥。気づくと周りにもたくさんの鳥がいる。ヒヨドリ大の鳥たち、スズメ大の鳥たち。見えてなかった。
 空を見上げると猛禽類が舞っている。驚いた。街中の民家の空の上に、だ。この庭の森か?すごい食物連鎖だな。猛禽類と粘菌が森でつながっている。その間に、小鳥やネズミや虫や草木やきのこを散りばめた曼荼羅の図が一瞬、頭に浮かんだ。
 それから森の博物学という言葉を反芻していた。

 紹介してもらったパン屋、ラ・ジモーティは町の南西のブロック。かつて海に面してあった田辺城の東、上屋敷という地名の場所にある。城下でも上級の武家の屋敷のあったところなんだろう。
 レトロでカッコいい建物は石造りに見える木造建築で、戦後まもなく警察署として建てられたものらしい。食べるものも困ってるその時期によく建てたなと思うくらい、意匠に凝っている。
 老朽化激しく、解体されるところをリノベしてレストランとベーカリーになったという。田辺の残したい景色の建築物の一つなんだろう。
 カフェ風のパステリアで、何種類かのパスタとデセール、つまりスイーツの皿盛りを出している。
 ベーカリーは本格的で、ハード系のバタールや、食パンはケフィア酵母と玄米酵母のものがある。調理パンも甘味も充実している。
 先日のケフィア酵母の生地で、バーガー用のバンズを作ってもらえないか、お願いした。ぱんとはんとのシイタケフライサンドの話、丼とバーガーへの思い、寿司屋のあがら丼をバーガーにすること、いつものように熱く語った。
 快諾いただいた。何だろう、取材させていただくお店を飛び込みで探しているテレビの時に比べて、ほとんどの人が面白がってくれて協力してくれる。連敗続きで落ち込んでいた時とは全然違う。
 やっぱりコンセプトが良いのではないのか、と自分なりにほくそ笑んでいる。やってみなくちゃわからないじゃん。

 そういえば、「ト」のイベントで、はんとぱんとの折り畳みおにぎりもいただいた。
「これも椎茸フライ?」
 切り面から見える中身は、鶏ミンチ詰め椎茸フライにきんぴらと錦糸卵が加わってる。
「随分と豪華ですね」
「ほら、お弁当をワンハンドで食べるのが、コンセプトだから。」と笑う。
「いくらですか?」
「350円。」
 これももらって食べてみる。ああ。弁当の絵が浮かぶ。キャベツの千切りの上に置かれた椎茸の肉詰めフライ。フライは甘めのソースの壺にどぶ漬けされ衣に染み込んでいる。横にはきんぴらごぼうの付け合わせ。ご飯の上に錦糸卵。
 これを、むしろ丼のような構成になるように畳んでいるのだな。
 折り畳みおにぎりは、韓国の巻かないキンパ(日本ではおにぎらずだね)がアメリカでプチブームになったそうだ。まあ、良くテレビでテロップが入る「諸説あります」、だけど。
 海苔1枚を四つに折り畳んで使う。そのためにまずセンター手前から真ん中まで切れ込みを入れる。
 左手前にメインの具材、左向こうにご飯、右向こうに副菜、右手前にサラダや漬け物などの野菜系の副菜を置く。そうして、左手前から向こうへ折り畳み、メインの具材をご飯の上に乗っける。今度は右に畳み、副菜の上に乗せる。最後に手前に折り畳み完成というわけだ。海苔1枚の四分の一の大きさの巻かないキンパができる。それを半分に切って食べる。
 椎茸フライの折り畳みおにぎりの断面は、上から順に海苔、錦糸卵、海苔、ソースにつけたフライ、キャベツ、ご飯、海苔、きんぴらと刻んだキューちゃん風漬け物、海苔、という組み立てになっている。どんぶり風だ。
 サンドイッチも良かったが、錦糸卵ときんぴらが加わって圧倒的に和食感が強まっていて充実感が大きい。しっかり食べた。しかも片手で。
 やはり一汁三菜。この三つの因数を大切にしよう。


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